Chapter11 『北のアサシン 如月カンナ』
Chapter11 『北のアサシン 如月カンナ』
部長室の窓際の机に座った阿南の前に課長の神崎が立っていた。
「丸の内の事件の報告書を読んだが、また沢村米子がやったのか? 相変わらずハリウッド映画みたいだな」
阿南が言った。
「はい、そのようです」
「早く彼女を取り込むんだ。どんな手を使ってもかまわん」
「はい。それとまだ調査中ですが、今回の事件を起こしたのは『真革派の赤い連隊』のようです。自分たちの存在を売り込んでいるようです」
「売り込む? 何処にだ?」
阿南が怪訝そうに言った.
「『赤い狐』です」
「なに! どういう事だ!?」
「赤い連隊は新しい居場所を探してるようです。母体組織の『真革派』は今やこの国では存在意義を失っています。資金集めにも苦労しているようで、詐欺まがいの事をしてなんとか存続しているようです。実行部隊の赤い連隊はそんな上部組織に愛想をつかし、新しい宿主を探しているのです」
「ふん、たかが日本の極左グループの実行部隊など赤い狐が相手にする訳ないだろう」
「しかし赤い連隊は日本政府に打撃を与え、それを手土産に赤い狐に取り入るつもりのようです」
「それは面白いな」
「といいますと?」
「君は噂ほど優秀な男ではないようだな。沢村米子の家族を殺したのは赤い連隊だ。今回、図らずも沢村米子は赤い連隊のテロを防ぎ、テロの実行犯を殲滅した。赤い連隊に沢村米子の情報を流し、同時に沢村米子にも家族を殺したのが赤い連隊であることを吹き込むんだ」
「沢村米子と赤い連隊を戦わせるのですか?」
「赤い連隊は組織だ。さすがに沢村米子でも一人では勝てない。だが内閣樹砲統括室を巻き込めば話は別だ。内閣情報統括室の本隊が出てくれば赤い連隊もひとたまりもないだろう。内閣情報統括室の実働部隊は我々と違って非合法の組織だ。手段を選ばないはずだ。その戦いぶりを見てみたい」
「なるほど。それは面白そうですね。すでに沢村米子には原田と川島が接近し、9年前の事件の真相について我々が知っている事を匂わせています。きっと喰い付いてきます」
「それだけじゃない。我々も沢村米子に協力して恩を売るんだ。沢村米子の家族を襲撃した実行犯はわかっているのか?」
「現在調査中です」
「最優先で取り組め! 弱みを握ってる刑事部の人間も動かせ」
「はっ、承知しました」
「それと沢村米子にある工作員を接近させる」
「ある工作員?」
「赤い狐の工作員『金清姫(キムチョンヒ)』。日本名『如月カンナ』。女だ」
「北の工作員ですか?」
「そうだ。沢村米子に協力するよう依頼を出したらこの工作員を選出してきた。内閣情報統括室の本隊が動く保証はない。だから強力な助っ人をつける。沢村米子に死んでもらっては困る。沢村米子にはもっと重要な事をやってもらいたいからな」
「金清姫とはどんな人物ですか?」
「北の工作員の中でもかなり優秀らしい。戦闘力が高く、暗殺も得意だ。何よりも組織への忠誠心が高いようだ」
「我々は本格的に赤い狐と手を組むのですね?」
「そうだ」
「しかしまだ上層部は『新しい力』との関係を重要視しています」
「馬鹿なヤツらだ。アメリカの『マージャン大統領』は日本の事をATMとしか思っていない。金を引き出すだけだ。もし日本が有事になっても在日米軍は動かない。本国の軍隊もわざわざ日付変更線を超えて来るはずもない。それなのに我が国の在日米軍の負担割合は増える一方だ。この国が復権するにはこの地域での後ろ盾が必要なのだ。そしてもう一度、アジアの覇者になるのだ。私は一警察幹部で人生を終わるつもりは無い」
阿南の目が不気味に輝いた。
【都内某施設】
信濃町にあるその施設は宗教団体をよそおった庭園のある大きな建物だった。北朝鮮を支援する在日系の経済団体が所有する施設で、日本で活動するスパイの拠点でもあった。
「同志吉村、なぜ私が日本の工作員と組むのですか?」
如月カンナが朝鮮語で言った。
「任務だ。『沢村米子』はかなり優秀な工作員のようだ。資料があるから目を通しておくんだ」
「しかし日本の工作員などあてにならないと思います。こんな堕落した国の工作員などと組まなくても私一人で任務を遂行できると考えます」
「勘違いするな。今回の君の任務は沢村米子を支援し、こちらに取り込むことだ。同志如月、これは絶対命令だ!」
「了解しました!」
日本名『如月カンナ』こと『金清姫(キムチョンヒ)』は施設の宿泊施設の部屋にいた。部屋はホテルのシングルルームに似た作りになっていた。如月カンナは椅子に座り、テーブルの上に置いた米子のプロフィールと工作作員としての経歴を記載した冊子に目を通していた。金清姫は北朝鮮の工作員で破壊工作と暗殺が専門だった。
金清姫は北朝鮮北部の中国との国境まで30Kmの貧しい農村に生まれた。一番近い鉄道の駅まで15Km離れており、農業以外の産業は無かった。村人は皆、狭く痩せた土地を耕して生活していた。畑では主にトウモロコシやコーリャンを栽培していた。農作物の生産には厳しいノルマがあったが、そのノルマの達成すら厳しい状況が続き、農民たちは常に飢えていた。『白米を食べ、肉のスープを飲み、絹の服を着て、瓦屋根の家に住む』とういう言葉の実現が農民たちの夢であった。この言葉はかつて韓国の父『金日成主席』が北朝鮮人民の目指す姿として人民に訴えたものであるが、1948年の建国以来まだ実現されていない。
北朝鮮の子供達には5歳から16歳までの11年間の義務教育が課せられていたが、農村部の子供達は農業の手伝いが忙しく、学校には満足に通えていなかった。金清姫も家事と農業を手伝い、学校には週に2日しか通えていなかった。毎日4回の水汲みと農作業の手伝いを行っていた。水汲みは1Km離れた川の水10リットルを桶に入れて運んだ。10歳になると運ぶ水の量は20リットルになった。氷点下になる冬の水汲みは特に辛く、常に霜焼けや赤切れに悩まされていた。通常の農作業だけでは生活できないので、わらび等の山菜採りも行った。ごくまれに朝鮮人参が採れる事もあり、売れば臨時収入となった。最近では北朝鮮の農民が国境を越えて、中国の畑から最新技術で栽培されている朝鮮人参を盗む事件が頻発してトラブルが多く発生している。
15km離れた駅の周りには小さな露店が何軒か並び、缶詰等の食料や日用品が売られていたがかなり高価だった。駅前には多くの浮浪者が地面に寝ており、行き倒れや餓死者が出る事も珍しくなかった。金清姫はあまり学校に通えなかったにも関わらず成績が良かった。学校では1日の最初の日課として政治思想が記載された新聞や教養資料を声に出して読む事が義務付けられていた。歩きながら実施する事も多いので「独歩時間」と呼ばれている。独歩時間は独裁者に対する忠誠心を高めるために活用されており、主体(チェチェ)思想の根幹となっている。金清姫も独歩時間に積極的に取り組み、主体思想に傾倒し、独裁者への崇拝を強めていった。
金清姫は17歳で軍に入隊して兵士となった。北朝鮮では17歳になると男性は10年間、女性は7年間の兵役の義務が発生する。貧しい家庭にとっては口減らしになったが、貴重な労働力を失う事になり、損失の方が大きかった。入隊後の金清姫は訓練に励み、優秀な兵士となったが、軍隊の勤務環境は劣悪で、給料はほぼ『ゼロ』、食事は一般市民より遥かに貧相でトウモロコシとジャガイモばかり食べていた。部隊によっては餓死者も発生し、兵士が農民から作物を奪う略奪行為も発生している。兵舎の衛生状態は最悪で、何人もの人間に長年に渡って使われ体臭が染着いたベットマットで睡眠をとり、シャワーは週に2回しか浴びる事ができなかった。そのシャワーもお湯を浴びる事はできず、冬でも山から引いた冷たい水を直接ホースで浴びるのであった。寒冷地装備の不足から凍傷になる兵士も多く、訓練時に負傷しても満足な医療も受けられないのである。軍服や靴も使い回しのボロボロで古いものを着用していた。劣悪な環境の原因は国力に対して『兵士が多すぎる』事である。経済力の弱い貧し国家において、人口2600万人のうち『何も生産しない兵士』が、128万人(自衛隊は20万人)も存在するのである。実に人口の5%が兵士なのだ(自衛隊は人口比率0.2%)。準軍隊と予備役の650万人を入れると30%にもなる。労働人口比率で計算すると比率はさらに高くなる。金清姫の所属する部隊は弾薬不足から射撃訓練を行う事は殆ど無く、肉体の鍛錬がメインであった。それでも金清姫は優秀さが認められて18歳の時に特殊部隊軍に転属となった。特殊部隊軍でもさらに優秀さが認められて19歳で特殊工作員となるための工作員訓練所に送られる事になった。
工作員訓練所では勤務環境は大分ましになったが訓練は厳しく、語学などの座学と戦闘訓練に明け暮れた。戦闘訓練では射撃や格闘術はもちろんの事、サバイバルや遠泳や潜水訓練も実施された。どれも非常に厳しく、常軌を逸したものもあり、訓練中の死亡率は8%、重傷は15%と高いものだった。死者が出る事を前提とした訓練である。模擬戦闘では実弾や本物の爆発物を使う事も多く、遠泳訓練と潜水訓練では溺死者が多く出た。訓練生達はまさに死に物狂いで訓練を行い、生き残る事が目的の一つとなっていた。そんな中、金清姫は抜群の成績で工作員訓練所を卒業して上級特殊工作員となった。
特殊工作員となってからは破壊工作と暗殺を専門に行うようになり、スパイ養成所でさらなる訓練を受けた。これまでに国外での破壊工作を3件、暗殺を2件実行している。いずれも実行1週間前に対象国に潜入し、スリーパーなどの協力者が用意したアジトに籠って作戦を練り、実行後はすぐに出国するというパターンだった。金清姫は中東某国の国際空港での爆破テロにより、世界の諜報機関機にその存在が知られることになった。
平日の夕方、米子は西新宿の事務所に顔を出していた。ミントとパトリックと樹里亜と瑠美緯も各自の席に座ってパソコンで情報収集をしていた。
「ちょっと集まってくれ。話がある」
木崎が大きな声で言った。米子達は木崎の席の前に集まった。
「今使ってるハリアーをアルファードに変更する。ハイエースはそのままだが防弾仕様に改造する。それと新たにランドクルーザーを購入することになった。米子もミントも公に車を運転できる歳になったからな。これで悪路でも戦えるぞ。武器も本部からの借りていたHK416Cを正式に装備する事にした。これでアサルトライフルはM4A1とHK416Cの2種類になった。用途に合わせて使ってくれ。この前使用したバレットM82もこの会社の正式装備となった」
「凄い豪勢だね! この前はスマホと腕時計を支給してくれたし、どうしたの?」
ミントが驚きの声を上げる。
「防衛予算の一部が内閣情報統括室に割当てられる事になった。そのおかげでニコニコ企画の予算も増える事になったんだ」
「へえ、うちの会社も認められてるんだね。まあ活躍したからね~。外務省の工作員の護送にニセSATの殲滅に法務大臣救出。認められて当然だよ! 予算ってどれくらいなの?」
ミントが元気よく言った。
「内閣情報統括室には20億の追加予算が組まれた。ニコニコ企画にはその20%程度だから4億円ってところだな」
「へえー、凄いじゃん」
「スゲエなあ!」
「凄いです」
「凄いっす!」
ミント達が驚きの声を上げる。
「その分重要な任務が回ってくるという事ですよね?」
米子が冷静に言った。
「米子は相変わらず勘がいいな。ニコニコ企画も単なる暗殺だけでなく、大きな作戦への参加も求められようになるだろう」
「だったらスポーツカータイプの車の購入もお願いします。アルファード、ハイエース、ランクルはスピードが出ません。速い車も一台あると作戦の幅が広がります。それと7.62mmのアサルトライフ、いわゆるバトルライフルを購入して欲しいです。旧共産圏の『赤い狐』は7.62mmのアサルトライフルを使ってくる可能性があります。市街戦なら5.56mmのアサルトライフでも機動力を活かせば互角に戦えますが、距離のある野戦では撃ち負けます」
「わかった、上に稟議をあげるから希望の車種と銃を教えてくれ。具体的な理由を書いて提出してくれ。ただし常識の範囲にしろよ。フェラーリとランボルギーニとかはダメだ」
「わかりました。国産車にします」
「やっぱりねー、美味しい話には裏があるよね。大きな作戦の駒になれって事か」
ミントが言った。
「あの、バイクも購入して下さい。私も正式にバイクの免許を取りました。訓練も受けますからお願いします。米子先輩と2人でバイク戦闘ができれば戦力アップになると思います。車種はKawasakiのKLXでお願いします」
瑠美緯が言った。
「なるほど、いいだろう。稟議を上げてみよう。たしかにバイク戦闘の戦力アップは有効だ。まずは群馬で訓練を受けろ。その後自衛隊の偵察レンジャーに紹介状を書いてやる」
「ありがとうございます! 米子先輩に近づけます」
「私は狙撃用の暗視スコープが欲しいです。夜戦の戦力がアップします。暗闇でもみんなをバックアップできます」
樹里亜が言った。
「俺もMLG140の6連発グレネードランチャーが欲しいぜ。敵をガンガン吹っ飛ばしてやるぜ。M240汎用機関銃と併用すれば完璧な支援火力になるぜ」
パトリックが言った。
「だったらセミオートショットガンも購入してよ。近接戦闘ではサブマシンガン以上に有効なんだよ。私は近接戦闘が得意だから戦力のアップになるよ。それにこの前の丸の内の戦闘で制服が破れたからそれも買ってよ!」
ミントが言った。
「わかった、わかった、稟議書を書くから要望を書面で提出してくれ」
如月カンナこと金清姫は米子に関するファイルを読み終わると部屋に備え付けの湯沸かしポットを使ってティーパックのお茶を淹れた。如月カンナは日本に潜入して1ヵ月、この施設で日本の様々な情報を収集した。スパイ養成所では日本語を学び、日本の地理、政治や経済システム、自衛隊や警察の機構と日本人の生活習慣を学んだ。北朝鮮のスパイ養成所には日本の町を再現した施設が存在した。町は日本の生活に馴染む事を目的にとしたもので、中には商店やコンビニエンスストア、レストランや交通機関の自動改札を模した設備があった。町の中のスタッフは全て日本語を使い、訓練生も日本語以外の使用を禁止されていた。しかし実際の日本の町からは30年以上遅れた設備で電子マネーなどには対応していなかった。如月カンナは日本に潜入して、今過ごしている施設の設備に驚愕した。いつでも熱いお湯が出るシャワー。蛇口を捻れば綺麗な飲める水やお湯が出て、常に快適な温度を保つエアコン等、自分が生まれ育った村や軍の宿舎では考えられないものばかりだった。水を得る為に氷点下の気温の中、1km離れた川から重い桶を抱えて坂道を登る毎日。薪を節約するために火を焚かず、常に寒い家の中。味の無い薄いトウモロコシのスープにコーリャンの混ざった古い米。病気になっても医者にかかる事も出来ない生活を思い出すとこの施設が天国のように思えた。
食堂で提供される食事にも驚かされた。村では滅多に口にすることが出来ない肉や魚や新鮮な野菜が毎食出され、味も濃厚で御馳走以外の何ものでもなかった。飲み物も種類が豊富で、甘いジュースが飲み放題なのだ。日本の殆ど全ての国民がこのレベルの生活をしていると知ってさらに驚いた。両親や弟にもこのレベルの生活を経験させたいと思った。きっと魔法を見るような驚きと喜びを感じるだろう。学校の授業や政府の宣伝では、西側の資本主義社会では労働者は資本家に搾取され、奴隷以下の貧しく惨めな生活を強制されていると習っていたのだ。北朝鮮こそ豊かで理想的な国家であり、世界を指導する存在だと教えられていた。如月カンナは祖国と政府及び指導部に忠誠を誓っていたが、日本の生活を知り、どこか足元が揺らぐような違和感を感じた。その事が蟻の一穴のように自らの価値観とアイデンティーを崩し始めはしないかと恐れを感じ始めていた。
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