承認欲求に乱されて

皇皇熙

第1話 承認欲求なんてくだらない

 「承認欲求」なんてくだらない。


 もちろん、承認欲求が人間が生きていく上で重要なものであることはわかっている。

その証拠に、「承認欲求」の重要性について説明していこう。


 アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と唱え、人間が持つ欲求を5段階に階層化し、これを「マズローの欲求5段階説」といった。


5段階をピラミッドにすると、下から

1.生理的欲求

2.安全欲求

3.社会的欲求

4.承認欲求

5.自己実現欲求

となる。


「マズローの欲求5段階説」では、低次の欲求が満たされると高次の欲求を満たしたくなる、とされている。

つまり、生理的欲求が満たされると安全欲求を求めるようになり、安全欲求が満たされると社会的欲求を求めるようになるわけだ。

承認欲求は第4階層に位置付けられており、自己実現を達成するために極めて重要であると言えるだろう。


 他にも、現代のSNS社会を生きていく上では、大きな意味を持っていることも間違いないと思う。


 ここまで、重要性を理解していること示した上で、もう一度言う。


 「承認欲求」なんてくだらない。


 つくづく思う。眼前の光景を目の当たりにする度に。

綺麗な狐色に焼かれたパンケーキ、芳醇なバターの香りが食欲を誘う。色とりどりのフルーツやら、丁寧に盛られたホイップクリーム。それらの上からかけられたメイプルシロップが、よりパンケーキをキラキラと輝かせている。

 そのパンケーキを前に、俺は待てを喰らっているのだ。

かれこれ5分くらいは立っただろうか。俺の正面に座りスマホの向きや角度を何度も変えながら、「かわいい」やら「映えてる」などと呟きながらシャッターを切りまくっている奴がいる。

「な、なぁ。そろそろ食べない?」

「えーー!もうちょいだけ!もうちょい!」

「そのもうちょいはいつまで続くんだよ‥」

 ちなみにこのやりとりは2回目だ。

 彼女は、桜野結奈(さくらのゆいな)。俺の幼馴染で、小中高とずっと同じ学校に通い続けている。


 整った目鼻立ちに、メリハリのある体つき。

明るめの茶髪は丁寧に手入れされているのだろう、天使の輪っかができている。

肩につかないほどの高さで切られたボブカットは毛先を外はねにしている。

 服装は、彼女の活発な性格を象徴するかのようで、胸元には白色のタンクトップがぴったりとフィットし、動くたびにそのラインが美しく際立つ。ただ、露出はそこまで好きではないようで、今はオーバーサイズのデニムのジャケットを上から羽織っている。腰回りには、ストレッチの効いた黒のジョガーパンツを身につけており彼女のスタイルの良さを際立てている。


 生まれ持った恵まれた容姿に、抜かりなく自分に似合うオシャレをしている。

美少女と呼んでも遜色ないだろう。


 結奈とは、腐れ縁ってやつだ。

実際、仲は良いし、だからこうして今日も結奈が行きたいというオシャレなハワイアンカフェに来たのだが....。

 彼女の目的は、オシャレな店内で美味しいパンケーキを楽しむことはもちろん、映えた写真をとってSNSに投稿することだ。


 そういうわけで待たされること8分。満足したのか、笑顔でこちらを向いてきた。

「柊(しゅう)お待たせ!食べよっか!」

「本当に、待たせすぎなんだよ...。」

せっかくのパンケーキはもう冷えてきてしまっている。丁寧に盛られていたクリームも熱で溶け出しているし、溶けたクリームを吸った部分はふやけてしまっている。


 勿体無い。


 出来立ての運ばれたてを食べれば、何倍も感動したであろうパンケーキ。

それを、無感情で切り分け、もしゃもしゃと咀嚼し胃に運んでいく。

食事というより、作業に近いだろう。たぶん、今の俺の目は死んだ魚の目をしている。

てか、胸焼けしてきたかも....。


 一方、美しかったパンケーキをただの糖質と脂質の塊に変えた結奈は、真剣にスマホを片手で操作しながらその塊を口に運ぶ。

恐らく、さっき撮っていた写真をSNSに投稿するために、写りの確認や加工をしたりしているのだろう。


 この通り、結奈はSNSの沼にどっぷり浸かってしまっている。

 学校の中でも特別、容姿が整っている結奈は、目立つグループに属していて、そのグループの人たちはSNSを日常的に投稿している。最初こそ、乗り気では無かった結奈も勧められるがまま投稿を始め、今ではこのざまだ。SNSって恐ろしい。


 俺は、学校ではあまり目立たないようにしているし、友達も作らないようにしている。たいして他人との交友関係に重きを置いていないし、自分の趣味に没頭する時間が減ってしまうからだ。

 俺は、静かな部屋で本や漫画を呼んだり、一人でストレスゲーに立ち向かいイライラしながらも勝利を収める方が性に合っている。

 他人に依存したものに喜びや幸福、価値を感じていない。


 けど、結奈だけは違うんだ。結奈といるときだけは、楽しいんだ。


 他の誰と、こんなに見た目も味も悪くなったパンケーキを食べても幸せを感じることはないだろう。けれど、結奈が楽しそうに写真を見せながらパンケーキを頬張っているのを見るだけで心が温かくなる。

思わず、触れたくなってしまう。


 本音を語ろう。俺は、結奈のことが好きだ。


 だから、結奈がSNSに執着していることや、俺以外の友達からの承認に飢えていることが気に食わない。

 嬉しそうに、自分の投稿にいいねがたくさんついていることを自慢してくる結奈を見てどうしようもなく好きだという感情と辛い気持ちがまぜこぜになってしまう。


 俺は、知っているから。


 結奈がただ交友関係の輪を楽しんでいることも、そこのグループの男どもが結奈を狙っていることも。そいつたちが、逐一結奈の投稿をいいねしていることも。時々、結奈の投稿にそいつたちとの写真が載っていることも......。


 嫌なことを思い出して、嫉妬で頭がいっぱいだったのだろう。カシャッとシャッターの切られた音が聞こえるまで、結奈がスマホをこちらに向けてきていることに気づかなかった。


 結奈は動揺している俺を見て、少し前に乗り出し上目遣いで心配そうにみつめてくる。

「ねーー、心ここにあらずって感じだったけど大丈夫?」

「あ、ああ。すまん...。ちょっと考え事してて...。」

「ほーん。柊なんか悩んでんの?」

「いやっ、まぁ大したことじゃないって...。帰ったら何のアニメ見よかなって考えてただけだから。」

 お前のことで嫉妬してたなんて言えるわけないしな。

「ほんと、柊はそればっかだねー。あたしみたいにイソスタやったり、学校で友達増やして遊んだりしたらいいのにー。」

「......。柄じゃないのは、結奈が1番わかってるだろ?」

「まーね。でもさ、私のグループの人たちが柊と仲良くなりたいって言っててねー。連絡先聞かれたりもするんだよ?」

「え、なんで?普通に嫌だけど。」

「さー。柊、外見はいいから狙ってんじゃないのかな?」

「めんどくさいしパス。そんなことより、積み上げた本を処理していかないといけないからな。」

「やっぱ、柊はそう言うと思ったよねー。じゃあさ、今撮った写真を投稿するのはだめ?」

 そう言って、また可愛く上目遣いしてくる。

だめって?いや、急に話変わりすぎだろこいつ。

「じゃあって、どういう話の流れでそうなるんだよ....。だめだ、知らない人に俺の写真見られるの嫌だし。結奈のイソスタに俺のピン写あるの変だろ。結奈くらいの人気になると、学校で質問攻めに合うだろうし、注目されたりしたく無い。だから、あんまり学校では関わらないようにしようって決めただろ?」

「えーー。でも、この柊の写真物思いに耽ってる感あっていいのにー。」

「本当にだめだからな。俺はしっぽり学校生活を送りたいんだから。」

「わかったよー。まぁ、半分くらい冗談だし、ほんとに載せたりはしないよ。」

「勘弁してくれ。」

本当に、心臓に悪いからこの手の冗談はやめてほしい。


 そんなこんなで、さらに冷え切ったビシャビシャのパンケーキを食べ終え、店を出た。帰宅のため電車に乗り、揺られながらまた考え込んでしまう。

 知らない、仲良くもない他人に自分の写真を見られるなんてごめんだ。

だけど....。もし、あの写真を結奈が投稿していれば、少しは結奈に惚れてる奴らに対しての牽制になったんじゃないかと。


 俺と結奈が仲良いと知っているのは、結奈の友達の女子数人だそうだ。結奈とは、クラスが別だからあまり絡むことがないし、なにより俺が人気者の結奈と幼馴染で仲良いとしれば遊びに誘ってきたり、グループに入れようとしてきたりと、関わりを持とうとしてくる人が出てくるかもしれない。それは、平穏な学校生活を求める俺としては避けたかった。

 だから、この学校に入学して暫く経った時に俺は結奈と約束したのだ。学校で関わるのは控えようと。


 それなのに、もしあの写真を投稿したらという、ifの世界を想像してしまった。

結奈の言う通り、写り映えはよかった。自分で言うのもなんだが、容姿はそこそこ整っている方だと思う。それに、結奈に見劣りしたくないからある程度、外見の努力はしてある。

だから、もしあの写真が載れば少しは、他の結奈に好意を持っている男たちの牽制になるんじゃないかと思った。


けど、だめだよな。


恋のために、自分の信念や生き方を曲げるのは間違ってる気がする。

俺は、嫉妬を抱いてでも少しずつ結奈に惚れてもらえるように努力していこう。

幼馴染としての時間が長すぎた分、そう簡単に恋愛関係には発展はしないだろうけど。

あぁ、気が遠くなるな......。


「って、うわぁぁ!え!?え!?なんで!!?」

「なっ、なに?どうしたんだよ。」

さっきまで、真剣にスマホに食いついていた結奈が突然大声を出したもんだからびっくりもするだろう。

ほら、周りの人たちもびっくりしてこっち見てるし。

「いやっ、あの。なんかね....。間違えて、柊の写真載したまんま投稿しちゃってたみたいで....。」


しばし流れる沈黙。


ん? こいつなんて言った? さっきの写真を載せた? え?

だめって言ったよね俺?

「今すぐ消せば大丈夫だろ。」

「いや、消したんだけどさ....。なんか、気づくまでに結構な人に見られたちゃったみたいで....。友達からDMたくさん来て、気づいたと言うか。」

 つまりは、拡散されまくってる可能性があると。


終わった....。さっきした決意なんだったんだろ...。


顔が青くなっている俺を見てさらに申し訳なくなったのか、結奈は顔を伏せ必死に謝ってくる。

「ほんとうにごめん。ちゃんと確認するべきだった。ちゃんと友達には説明する。でも、ほんとにごめん。もう....、私じゃ.....、どうしようもないかもしれない。」

 そう言って、今にも泣きそうな顔をあげる。

そりゃ、そうだよな。一度、拡散されてしまえば、自分で情報を統制することなんてできやしない。

 どうしようもないなら、今、俺にできることはこのお馬鹿で可愛い承認欲求お化けを少し安心させてやることくらいだろう。


「結奈、もういいよ。仕方ないんだからさ。」

「でっ、でも!柊を傷つけたことには変わらないし....。」

「だからいいんだって。結奈のおっちょこちょいは今に始まった話じゃないだろ。」

「うぅ、今回ばかりは否定できないけど....。」

 若干心当たりはあるのだろうが、認めたくないのだろう、少し口先を尖らしている。


「それにさ、案外いい機会なのかもしれないし。」

 俺はさっき一瞬考えてしまった欲望の一部を話すことにした。


「え...?いい機会?」 

心底不思議そうな顔で見上げてくる結奈。


「あぁ。俺はさ、一人で過ごすのが好きではあるけど、いつまでもこう排他的に生きていくのは良くないってのは理解してるからさ。嫌でも、将来は社会に出ていかないといけなくて、そうしたら、人間関係の構築は必要不可欠なわけじゃん?俺は今、将来的に解決しないといけない問題を先延ばししているだけで、早いうちに解決した方がいいには越したことはないんだ。だから、そんなに気にする必要はない。」


「......。」

俺の考えを聞いて驚いたのだろうか。結奈は考え込むように俯いてしまった。


「な?だから、これからは俺も少しは学校で、人と関わるようにしていくよ。結奈はそのきっかけを作っただけだ。」

「うん....。そっか、じゃあこれからは柊と学校でも普通に話したりできるんだね。」

少し安心してきたのか、嬉しそうにはにかむ。


 本当に可愛いなこいつ....。

 俺も結奈と堂々と学校で話せるようになること自体は嬉しい。ただ、若干の問題点がある。

「ああ。というか、結奈の友達たちから質問攻めにされてしばらくは話せるかどうかわからんがな....。」

「うわぁ〜。そうだった...。私も質問攻めにされるだろうな。まぁ、私のせいなんだけど。」

 それは、そうだろう。何せ、学校一の美少女が唐突に男の写真をSNSに投稿したのだから....。質問攻めにされるのは想像に容易い。

 俺は結奈に比べれば、とっつきにくさもあって、少しはマシかもしれないが、結奈を狙ってる男あたりは近づいてくるだろうな。気を引き締めていかないと....。


 でも...。もう、他人のふりをする必要はないんだ。


 決して、今までの落ち着いた生活は戻ってこないだろうが、結奈だけは手にして見せる。そのためなら、なんでも利用する。


 柊はそう決意するのだった。


 まず、手始めに。学校での新しい立ち位置を確立していこうか。

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