ほしの王子様

白河 隼

【第1話完結】ほしの王子様

 あれは、まだ私がランドセルを背負っていた頃のこと。


 私は毎日、机にしがみつくようにしていた。親の期待を一身に受けて、名門校合格という目標に向かって励む毎日。

 

 ――学校の評定は大事よ。

 じゃあ、放課後の時間は遊んでもいい?

 

 いや、クラシックバレエ、ピアノ、英会話があった。クラスの代表委員も任されていた。

 

 窓の外から聞こえる友達の笑い声を背中で聞きながら、「いい子」でいることに必死だった。


 そんな私の教室の片隅には、少しだけ悪い噂のある男の子がいた。

 やんちゃで自由で、どこか影があって。でも、私を見つめる瞳は、いつも驚くほど優しかった。


 その視線には、気づいていたんだよ。だけど私は、一度も声をかけられなかった。


 ——ある日の放課後。


 校舎の裏で、弟がいじめられていた。髪を引っ張られ、泣き叫ぶ声が耳に突き刺さった。

 

 頭が真っ白になるとは、こう言うことなんだなと思う。

 次の瞬間、いじめっ子のリーダーの額からは、赤い雫がぽたぽたと垂れていた。そして、私の手には、血がべっとりとついた箒が握りしめられていた。


 「せんせいに、言いつけてやる!」

 

 怒鳴りながら逃げていく彼らの背中。


 やがて訪れる静寂のなかで、私は弟を抱きしめた。

 

 小さく震える体を抱きながら、背筋が氷のように冷たくなるのを感じた。

 

 一つ一つ積み上げてきたものが、音もなく崩れ落ちていくような。

 冷たい風は、震えた私の身体の熱と一緒に色々なものをさらっていった。すべてが今でも脳裏に焼き付いている。


 翌日、職員室に呼び出された。

 そこには、あの男の子がいた。たぶん、近くで見ていたんだよね。


 先生に責められて、言葉が出なかった私の隣で、彼はぽつりと口を開いた。


「……おれが、彼女にやられたって言えっておどしたんです」


 その声は静かで、でも不思議なくらいはっきりしていた。


 先生はもちろん信じなかった。取り巻きからの報告もあったし、事実だったから。

 

 すると彼は、黙って自分のポケットからウイスキーのびんと、ほしのマークのついたタバコの箱を取り出し、机の上に置いた。


 ――先生の顔は驚愕した後、真っ赤になった。

 

 その時、私は何してたかって?

 そこは聞かないでよ。その隣で、何も言えずにただ立ち尽くしていたさ。お礼の一言すら、伝えるのに数日かかったんだから。


 それから、たくさんの季節が過ぎた。


 ついに、二十歳の誕生日の夜。

 部屋には大好きな苺がたっぷり乗ったケーキと、小さなリボンがついた小綺麗な小箱が二つ。

 その横には、同じく可愛いリボンに巻かれたウイスキーの小瓶と、星のマークのついた煙草の箱が並んでいる。


 彼は隣で、少しだけ照れくさそうに笑う。


「……別に、律儀に二十歳になるまで待たなくてもよかったのに」


 私はぷいとそっぽを向いて答える。


「二十歳になるまではダメに決まってるでしょ!」


 そう言って、私はおそるおそるウイスキーの蓋を開け、瓶からそのまま口に含む。

 喉の奥がひりついて、思わずむせ返る。


「……ぜんっぜん美味しくないじゃん……」


 横では、彼も慣れない手つきで煙草に火をつけて、すぐにゴホゴホと咳き込んだ。

 その不器用な姿に、私は思わず笑ってしまう。


「よく、買ったね……本当に」


 笑う私にむっとしたようで、彼は懲りずにもう一度火をつけ直す。

 その必死で可愛らしい横顔を眺めながら、ふと問いかける。


「ねえ……今日まで、幸せだった?」


 私の問いに、彼は初めよりも更に強く咳き込んでいる。


「あれ……?動揺しちゃったのかな?」


 くすっと笑いながら、私も不慣れな手つきで煙草に火をつける。

 初めての煙は、想像していたよりずっと苦くて、まるで心の奥まで染み込んでくるような。でも、まだ耐えられないその苦みに咳が止まらなくなる。


「……そっちこそ、幸せだったのかよ」


 そう言い返す彼。

 しかし、すぐに、お酒も飲んでいない彼の頬が赤く染まっていた。


 そうだよね。

 きっと私は、とても愛おしく、どこまでも幸せな顔をしているんだろう。

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ほしの王子様 白河 隼 @shirakawa_shun_2016

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