『はい、死亡』

機村械人

『はい、死亡』


 誰でも、“口癖”ってありますよね?


 それが傍から聞いたらどんだけ変な言葉だったり、内輪のノリみたいなリアクションに困るような言葉だったとしても、無意識に口にしちゃう言葉。


 先輩にだってありますよ? え? 気付いてません?


 まぁ、それはまたおいおい。


 本題に入りますね。


 これ、俺が小学校の頃の話なんですけど。


 クラスメイトに一人、特徴的な口癖を持ってる奴がいたんす。


 Kっていう、野球クラブに入ってる坊主頭のくせに、どこかスカした、ちょっとナルシストッ気のある奴なんすけどね。


 その口癖っていうのが――『はい、死亡』。


 事ある毎に口にしてたんすよ。


 え? どういう時に?


 まぁ、例えば学校からの帰り道で、肩に鳥のフンが落ちてきたりとか。


 テストでやばい点数取っちまった時とか。


 あいつ、溜息混じりに肩落として言うんすね。


『はい、死亡』って。


 まぁ、要は『終わった』とか『最悪』とか、そういうテンション下がる時に口に出すワードって感じでしたよ。


 で、小学校四年の、ある音楽の授業の時でした――その事件が起きたのは。


 もうすぐ合唱コンクールって事で、その頃の俺達のクラスの音楽の時間は、毎回合唱の練習に費やされてました。


 指揮者に立候補した責任感の強い女子が『ちょっと男子、真面目に歌って~』とか言ったりして。


 いや、全然雰囲気は良かったっすよ。


 うちのクラス、イジメとかないし、割と全体的に仲が良かったんで。


 その日も、そんな感じで合唱の練習をしてたんですけど……その最中、ある女子生徒が、何だか体調を悪くし出したんです。


 本人は大丈夫だって言ってましたけど顔は真っ青だし、歌ってる間も、ずっと目がキョロキョロ泳いでるというか、挙動不審で。


 いや、俺、何気にその子が好きだったんで、必要以上に注意深く観察しちゃってたんですけどね。


 で――合唱の歌――歌ってたのは、『心の瞳』だったんですけど、その後半の、一番声を張り上げなくちゃいけないところに差し掛かった瞬間。


 その子、体をビクって大きく揺らして。


 その場で、吐いちゃったんです。


 ええ、大騒ぎですよ。


 小学校の教室で女子が吐くって、中々の大事件じゃないですか。


 先生も伴奏を止めてその子に駆け寄って、背中さすって。


 周りの子達に、バケツとか雑巾とか持って来るように指示し出して。


 一方俺は、『うわうわ、どうしよう』って、困惑して動けなくなっちゃってたんすけど。


 その時でした。


 俺のすぐ隣にいたKが、呟いたんです。


『はい、死亡』


 って。


 いつも聞く、アイツの口癖。


 でも、なんだろう。


 その時の俺は、Kのその口癖が。


 そのタイミングであいつが言い放った、その言葉が、まるであの子を見下すような、小馬鹿にするような意味合いで言ったような言葉に。


 カァって、頭に血が上ったんですね。


 すぐさま振り返って、Kに掴み掛かろうとしました。


 ……けど。


 至近距離でアイツの顔を見た瞬間、体が止まりました。


 その時のアイツ、すげぇ顔してて。


 K……両目で、自分の鼻先を見てたんです。


 わかりますかね?


 自分の鼻の先っぽを見ようとすると、寄り目になるじゃないですか。


 左右の黒目が、極端に斜め下に向けられた――あの顔。


 一瞬、何してんだ、ふざけてるのか、と思いました。


 次の瞬間でした。


 Kがその顔のまま、絶叫を上げたんです。


 この世の終わりみたいな雄叫び。


 そんで、いきなり走り出したんです。


 間近にいた俺を突き飛ばすようにして、いや、クラスメイトが前にいる事も無視して、叫びながら一心不乱に走り出して、そのまま教室を飛び出して。


 何やってんだアイツ! って追い掛けた俺や他のクラスメイトの目の前で。


 階段から飛び降りました。


 俺達がいた二階の踊り場から、下の踊り場に向かって――鼻先から床に突っ込むようにして。


 その後は、警察が来るは救急車が来るはの大パニックでした。


 結局、Kは首の骨を折って死亡。


 何が何だか分からない内に、Kの死は事故死って事になって、教室のアイツの机の上に花が飾られてました。


 俺や、他のクラスメイトも、ただただ状況に流されるしかなくて……自然と、Kの事を話題に出さないようにしてました。


 子供心に、怖かったんですね。


 でも、俺はどうしてもKのあの顔が忘れられませんでした。


 それから少し時間が流れて……ある日。


 俺、例のあの子に聞いたんです。


 俺が好きだった、音楽の授業中に吐いた、あの子。


 何であの日、気分が悪くなったのかって。


 その子は、少し動揺しながら、口籠もりながら、俺に言いました。


『みんなには、アレが見えてなかったの?』って。


 その子曰く、あの日、あの教室内に、一匹の“虫”がいたそうなんです。


 最初は、蛾だと思ったそうです。


 目みたいな形の模様が入った大きな羽。


 その羽をばたつかせる度に、黄土色の鱗粉が撒き散らされる。


 その鱗粉の匂いなのか、まるで生ゴミのような臭気が蔓延していて、その子は耐えられなかったそうです。


 しかもその虫……よく見ると、羽は蛾っぽいのに、頭は蠅みたいだったそうです。


 あの、マイクの表面みたいな丸い複眼。


 なのに、胴体は芋虫みたいに膨れ上がっていて。


 蠕動する体は、まるで内側で何かが蠢いているような動きで。


 胴体から生えた六本の足は……人間の指の形をしていて、ぐちゃぐちゃにのたうってたそうです。


 ともかく、その何もかもが気持ち悪い虫が、教室内を飛んでいて。


 そして、あの瞬間、自分のすぐ目の前まで近付いていたそうなんです。


 あの子は、その存在に耐えられなくて、嘔吐しちゃったと。


 でも、自分以外にはあれが見えていないような空気で、しかも直後にKがおかしくなるしで、誰にも話が出来なかったそうで。


 ……で、その話聞いて。


 俺、気付いたんです。


 あ、そうか。


 ――その虫が、Kの鼻先に留まったんだ、って。


 だからアイツ、あんな皮肉気な、諦めたような冷めた声で、言ったんだ。


『はい、死亡』って。


 その虫。


 多分、見えちゃいけない、触れられちゃいけないヤツだったんすよ。


 Kは、それがわかっちゃったんですね、きっと。



(2022年、6月6日。都内某所。職場の後輩から聞かされた怪談より)




















 あ、そうだ。


 今思ったんですけれど、もしかしたらその時。


 K、“目”が合っちゃってたのかもしれないですね。


 ほら、その虫の羽の、模様。


 鼻先に留まってたのだとしたら。


 位置的に。


 それで、自分がもう助からないって、わかっちゃったのかも。


 なんて。

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『はい、死亡』 機村械人 @kimura_kaito

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