第4話 閃耀

 糸を握る。その手に走ったのは痛みだった。

 ガラスの破片を握り締めてしまったかのような痛み。


 迅の右手に握られていたのは、輝く糸ではなく


 ──ルナクタが満たされていた筒だった。


 あの時、オルガに渡すはずだった筒。それが砕けて、その破片が迅の掌に刺さり、握られた拳から血とルナクタが溢れだしていた。


 迅の脳裏には、ルナクタを浴びてボロボロに崩れていった男が思い出されていた。


 しかし、迅に身体や衣服に対してルナクタが収光現象を起こす様子は無く、その手からこぼれ落ちたルナクタは小さな光る球となり迅の身体へと引き寄せられ、浸透していく。

 すると掌にあった傷はみるみると修復され、完全に治癒された。


 ──そうか、これは俺の力なんだ


 迅がそう理解した瞬間、世界の動きが戻る。


 スローモーションだった視界が一気に加速し、モンスターの杖が振り下ろされた──


 ──シャラン


 もはや、音は迅に対してなんの影響も及ぼさない。


 音を合図にして迅が地を蹴り出す。

 そして、振り下ろされた杖を斜め上から踏みつけるようにして圧を掛け、──そのままへし折った。


 支えを失いバランスを崩す化け物の腕、その脇に採掘用の小型ピッケルを突き立てると、迅は力を込めた。


(わかる、なにをすれば良いか……)


 手にこめた力が光となってピッケルを包み込む。

 その光はピッケルに浸透し、その内部から輝きを放っていた。


 光輝くピッケルが、撫でるように振るわれる。

 すると、化け物の大腕が光の軌跡に沿って切り裂かれ、紫色の血を吹き出しながら地面に落ちた。


「ギイイィ!!ギギイイイィィィ……!!!!」


 化け物が苦痛に満ちた悲鳴を上げる。


 小型ピッケルでは到底不可能と思われる所業だ。その代償かピッケルは黒く変色し、そのまま崩れ落ちてしまった。


 その隙に、化け物は舌を伸ばすと迅の左腕に巻き付き、そのままグンッと引き寄せた。


「……ッ!」


 飲み込まれる前に、迅はその舌を右手で掴む。

 そして舌の肉に指を立てて──握りつぶした。


 巻き付かれた左腕から舌が離れないように固定し、右手の指を舌の面に沿って滑らせるようスライドさせると、「ズリュッ!」という音と共に面白いくらいに肉が裂ける。


 舌からは噴水のような血飛沫が上がり、その音は化け物の悲鳴によって掻き消されていた。


(……!?)


 突如、迅の左腕を始点として全身に違和感が走った。


 毒だ…!


(唾液に毒が混ざっているのか)


 ──しかし、問題はない


 迅の全身には光となったルナクタが巡っている。そして同時に毒もまた、その身体を蝕みつつある。


 ならば、毒素にルナクタを纏わせ、で破壊してしまえばいい。


 毒の対処でさえ、迅は感覚で理解していた。──ルナクタはこういう使い方もできると。


 毒の中和後、左腕に巻き付いた舌の先端を地面に落とし右腕に付いた血を振り払うと、舌をズタズタに破壊された痛みで伏すように硬直している化け物の眼前に立った


 迅の姿を映す化け物のその瞳には、微かに怯えの感情が見てとれる。


 迅が地面を軽く蹴り跳躍すると、左手で化け物の顎を押さえつけ、右手で顎に埋まった人間の首根っこを掴む。


 そのまま、引き抜くように力を込めて──顎から引きちぎった。


「ギイイィイイィィィィィィィィィィィィィィィ……!!!!」


 耳を裂くような悲鳴が、長く長く続いた。


 やがて、悲鳴が収まる頃には、その化け物は力なく地面に崩れ落ちた。


「これで終わりか…?」


 何をしたらこの化け物が死ぬのか、迅にはわからなかった。


 だから、迅は見える部分を片っ端から全て壊してくつもりだったのだ。

 化け物にとって幸か不幸か、早い段階で致命傷を与えられたことになった。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 戦いが終わり、迅は急いで倒れたままのオルガに駆け寄る。


「オルガ…」


 ──しかし、オルガは既に事切れていた。


 先の戦闘中に迅はうっすらと察していた。あの舌には毒にオルガは耐えられないだろうということを。


「くそっ…勝手に助けて、勝手に逝くなよ…!」


 オルガの亡骸に向かって叫ぶ。


 採掘隊で生き残ったのは、──迅だけだった。


 迅が戦う前に生きていた他の隊員も、最後の杖の音で耐えきれなくなり、自死してしまったのだ。


(これからどうすればいいんだろうか…)


 ──そうだ


「俺たちをこんなクソッタレな目に合わせてる連中を…ぶん殴ってきてくれよ」


 オルガが最後に言っていた。


 壁の向こう。──王国に行かなければ……


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 ──採掘場、集落の入り口付近──


「ぐっ…」


 シオンは、自らが雇った男に、首を掴まれ、もがき苦しんでいた。


「お前も哀れな女だな。壁の中で大人しく暮らせばいいものの、黒縄に組織を売って、こんな苦労を背負っている。終いには、自分で雇った男に殺されちまうんだからな。──全部、父親のためか?」


「く…詳しいのね…!」


「これでも必死なんだ。生活もギリギリだしな」


 男が「まあ」と前置くと、笑いながら続けた。


「魔法で契約も交わさないような怪しい安傭兵を雇うなんて、俺なら絶対にしねぇよ?」


 たしかに、それはシオンの失敗だった。


 唐突な指令と、時間的猶予のなさが重なった結果である。

 シオン単独では、もしもの時にモンスターを討伐したりするのは不可能なのだ。


 無論、その為に雇った傭兵が集落にモンスターを忍ばせていたとは、本当に皮肉なことである。


(こんなところで、死ぬわけにはいかないのに…)


 シオンは男にバレないように魔力を練る。


 (雇う時の情報では、名はバルド。過去に傭兵協会インウィクタでB級の傭兵を勤めていたとあった……)


 それは虚偽の可能性も考えられたが、どちらにせよ今のシオンに勝ち目は無かった。


(それでも…こんなところで終わるくらいなら…!)


 シオンの体内で魔素がエネルギーに変換された。


「おっと待てよ、変な動きをするんじゃない」


「…ッ!!」


 しかし、その動きを察知したバルドが、空いている方の手の親指でシオンの左目蓋を押さえ言った。


「次、変な真似をしようとしたら、──その瞬間に眼を抉る」


 この嚇しによって、シオンの魔力は離散してしまう。

 その様子に、バルドは満足そうに笑った。


「奴隷共も死んだ頃合いだが、お前をこのまま殺すのも惜しいな。ちょっと楽しませてもらおうか?」


 気づけばモンスターの発していた力場が消え去っている。狩りが終わり、採掘隊が全滅したのだろうか。


 (彼らにも本当に申し訳無いことをした……)


 男が下卑た笑みを浮かべながら、シオンの綺麗な顔に自身の顔を寄せる。


 (怖い──嫌だ──でも動けない)


 痛みや死を突きつけられた時、シオンの心はどうしようもなく言うことを聞かなくなるのだ。


 (私はきっと、ずっと、死んでも臆病なままだ……)


 シオンの瞳に涙が浮かぶ。

 それを嬉しそうに眺めていたバルドが、何かに気づき声を上げた。


「…ん?なんだおまえ」


 (え…?)


 首を押さえつけられている手前、シオンは横目で確認することしかできない。

 

 だが、そこに一縷の望みをかけた。


(この際、誰でもいい。──誰か助けて…!!こんなところで、終わりたくない!!)


 そこに立っていたのは、全身が紫色の血に塗れた男だ。


「おい、おまえ…あれから逃げてきたのか?」


 いるはずの無い人間を見たというような反応をするバルド。

 当然だ、その男が来た方角には集落の中心。男が放ったモンスターがいる筈の場所である。


(あの人は、確か……採掘隊の……ダメだ……採掘隊が、こいつに勝てるわけがない……!)


 シオンの望みは潰えたかのように思われた。

 しかし、同時に彼女は違和感を感じていた。


 あの力場の中で、魔力を持たない人間がここまで逃げてこられるものなのか?という違和感だ。

 そして、男にベッタリついた紫色の血が気になっていた。


 (まさか!?)


 そこで、彼女は初めて気付く。


 先程消失したのはモンスターの力場では無く、モンスターの魔力ごと消失していたことに。


 モンスターが暴れた後は、どうやったって魔力が溢れ続けてしまうのに、それが全く感じられなかったということに。


 そして、男が口を開いた。


「なあ、"俺達が死んだ頃合い"…って、どういうことだ?」


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