機構都市の風穴
朽葉陽々
空の色した飴をどうぞ
機構都市第二十三階層、エリア通称G‐b3。
古い街並みには、今日も子ども達の声が響いている。
「ばあちゃん、飴くれ!」
「はいはい、今日は何味にするんだい」
「あたしにもちょうだい!」
「おばあ、ぼくにも」
「ちゃんと渡してあげるから、ほら並んだならんだ。何味がいいか、順番に言うんだよ」
張り巡らされた機械群の隙間、小さな窓から身を乗り出しているのは一人の老婦人。三人の子ども達が口々に、彼女に呼び掛ける。
「俺、『真昼』味!」
「あたしは『夕方』味がいいな」
「『夜更け』味ちょうだい。あと『暁』味も」
「何だよお前、一人で二個も食う気かよ」
「違うよ、『暁』は姉さんの分!」
「全く、元気が良いのは何よりだけどね。無闇に揉めるんじゃないよ?」
老婦人は子ども達それぞれに、棒付きの飴を渡していく。この都市で一番価値の低い硬貨一枚と交換だ。
透明フィルムに覆われた丸い飴は、名前によって色が違う。『真昼』味はソーダの水色、『夕方』はオレンジ色、『夜更け』は葡萄の濃い紫、『暁』は桃色だ。
この辺りの子ども達は皆、この老婦人の作る飴が大の気に入りだ。味はただの錬砂糖の味だし、ちょっとずつ違う香りもよくある人工香料のものだけれど。他の店でだって、似たような味のものは買えるだろうけど。それでもこの店の飴が好きだった。不思議な名前のついた飴は、古びてちらつく灯りの下で、一際きらきらと輝いていた。他のどんな飴よりも甘やかで、神秘的な味だと思えたのだ。
「なあ、ばあちゃん」
「なんだい?」
子ども達は、買ったその場で飴のフィルムを剥き始める。その内の一人が、老婦人に話しかけた。彼女が促すと、子どもはある問いを投げかける。
「ばあちゃんの飴の名前って、『空』の色なんだよな?」
「ああそうだよ。そう言えばあんたには、話したことがあったっけ」
「うん。でもさあ結局のところ、『空』って何色なんだ? てか、『真昼』とか『暁』とかって何なんだ?」
機構都市は、上へ上へと組み立てられていく鉄の塔だ。この中で生まれ育った人々は、その外の景色など知らない。知り得ない。この子どもの疑問は、何も不自然なものではない。けれど老婦人は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「空はね、どんな色にでもなるんだよ。時間が経つのに……太陽の動きに合わせてね」
「じゃあ、『真昼』とか『夕方』って、もしかして時間の名前?」
別の子どもが相槌を打つと、老婦人は頷く。
「そうだよ。『真昼』の時間には、空は軽い青色になる。『夕方』になるとオレンジや赤に、『夜更け』には紫に近い濃い藍色に、『暁』になればピンク色に……って、色が変わっていくんだ。他にも、天気や空気の具合によって、その時々に全然違う色になる。私はそれに準えて、飴に名前を付けてるのさ」
ある子どもは気のない振りをして、またある子どもは目を輝かせて。皆が夢中になって、老婦人の話を聞いていた。『空』という未知の自称に、興味津々だったのだ。
「ねえ、『空』って、色が変わる以外に何か起こる?」
「そうだねぇ。雲が流れたり、夜になれば星が浮かんだりもするよ」
「何それ、どんなの?」
二人の子ども達が次々に投げかける質問に、老婦人は丁寧に答えていく。そんな中で、もう一人の少年が首を捻っていた。子ども達の中でも、特に勉強好きな子だ。
「おばあさんは、どうしてそんなに空に詳しいの? この階層が出来たのは二百五十年くらい前のはずだし、このエリアの住人に階層間移動の権限が与えられたこともないよね? おばあさん、二百五十より年上なの?」
「ちょっと、レディに歳を訊くなんて失礼なんだよ? それに、そんなに長生きしてるひとの話なんて聞いたことない」
「だ、だってひとの歳なんて、見たって正確には分かんないし」
「この辺、じいさんばあさんって全然いないからな。誰かと比べて歳を想像するってのも難しいよなー」
「うーん、それもそっか」
少し揉めることがあっても、子ども達は皆笑っている。このエリアの子ども達は今はこの三人だけだから、自然と仲が深まっていくのだろう。老婦人は、自分の頃もそうだった、と子供時代を思い出す。その頃よりもさらに少ないけれど、子ども達は支え合って、強く生きて笑っていた。
「はは、流石に二百五十にはなってないねぇ。とは言え、ここらでは最年長だ。小さい頃にできた友達は、みんなもう死んじまった」
「じゃあ、どうして空のことに詳しいんですか? 見たことあるの?」
「本物を直に見たことはないね。映像なら。……私の伴侶がね、機構都市ができるよりずっと前に撮られた空の映像を受け継いでたんだ。私はそれがすっかり気に入っちまってねぇ」
「そんなの昔の映像が、遺ってるなんて……凄い!」
「み、見てみたいな!」
「ありがとう。綺麗なものではあるけど、それ以外に何にも起きないつまんない映像だよ? それでもいいなら」
子ども達が、見たい、見たいと沸き立つ。老婦人はくふふ、と笑うと、一瞬だけ窓の奥に引っ込む。戻ってきたときには、大きな懐中時計のような装置を持っていた。
「……何だ、これ?」
「確か、昔作られたカメラだよ。本に載ってたの、見たことある。……こんなところで、こんな貴重なものに出会えるなんて!」
「すごく綺麗なデザインだね。見たことない……」
老婦人はカメラの蓋を開ける。裏側がディスプレイになっていて、保存された映像を見ることができるのだ。何日分もある映像群のうち一つを選ぶ。いくつか操作して、ディスプレイを子ども達に向けてやった。本当は一日分の長さがある映像だが、いくらか速度を上げてある。彼らをあまり長々と家に帰さないわけにもいかないからだ。流れ始めた映像を、彼らは食い入るように見つめる。
今でも、この都市の外には在るはずの『空』。色とりどりに広がるそれに触れられない代わりに、遠い誰かがこの映像を撮った。そのものを見られない代わりに、老婦人の伴侶はその映像を継いだ。その映像だけを受け取って、老婦人は飴を作り、子ども達に広めていった。『空』への憧れは、そして今、ここにいる子ども達の中で芽吹き、伸び始めていた。
「……いいなぁ。綺麗だ」
「うん……こんなに綺麗なものって、初めて見るかもしれない」
「本当に、こんなに綺麗なものが実在するなんて……凄い」
「ああ、凄い。凄いな! ……見に、行けたらなぁ」
ひとりが零した言葉に、他の子ども達も頷いた。……老婦人も、深く頷いていた。
(だって、この階層に未来はないもんねぇ)
人口は減り続ける一方。機械群は息切れを起こしている。上の階層との通信は、いつの間にか途切れてもう数十年は経つ。……きっともうすぐ、このエリアも、階層も、完全な暗闇に堕ちるときが来る。そのときに、この子たちが、目的を持って生きているには、上の階層を――『空』を、目指しているべきだろう。老いた自分にはもう難しいけれど、この子たちなら、それができるだろう。彼女はそう思っていた。そう、祈っていた。
早送りにされていた映像が終わる。老婦人はカメラの蓋を閉じて、そのまま窓の奥に片付けてしまう。少し呆けた様子の子ども達に、声をかけた。
「今日は思い出話に付き合ってくれてありがとうね、あんたたち」
「ううん、こちらこそありがとう」
「そうだよ、ありがとうだよ」
「素敵なものを見せてくれて、ありがとう!」
口々に言うと、子ども達は顔を見合わせて笑っている。老婦人も一つ笑って、彼らを見送ることにした。
「そろそろ帰りな。随分長々突き合わせちまった」
「えっ……うわ、もうこんな時間!」
彼らは慌てて足を踏み出す。けれど、老婦人に手を振ることは忘れなかった。
「じゃあな、ばあちゃん」
「また来るね!」
「またね、おばあ」
老婦人も、そっと手を振り返す。古い灯りがちらついて、子ども達の姿が暗がりに見えなくなるまで、ずっと。
「ああ、またおいで」
彼らが、いつ旅立ってもいいように。自分はここにいるあいだ、飴を作り続けよう。
彼らが『空』に憧れて、生きる道を見出すために。自分はここで、『空』への憧れを象り続けよう。
手を組み合わせる代わりに、砂糖を煮て祈り続けよう。
そんな誓いを込めて、手を振っていた。
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