第2話 『コーヒーとミルク』

 夜の帳がゆっくりと街を包み込む頃、星降堂の看板にそっと灯りがともる。静かに扉を開けば、微かに香るインクと紙の匂い、そして温かみのある木の本棚が迎えてくれる。


 「こんばんは、篠宮さん」


 私がカウンター越しに声をかけると、青年は軽く手を上げて店内へと足を踏み入れた。篠宮透。週に一度はこの店に訪れる常連客で、いつも同じコーナーを眺め、慎重に本を選ぶ。彼の手には、淹れたてのコーヒーが入った紙カップ。店に来る前に立ち寄る喫茶店のものらしく、かすかにミルクの甘い香りが漂ってくる。


 「こんばんは。今日も開いててよかった」


 彼はそう言って、本棚に視線を向けた。無口ではないけれど、口数は多くない。けれど、この店が好きだと言ってくれる。


 「何か探してるんですか?」


 問いかけると、篠宮さんは少し考えてから答えた。


 「……恋愛小説でも読んでみようかと思って」


 「え?珍しいですね」


 彼は文学やミステリーを好んで読んでいた。だから、恋愛小説という言葉が彼の口から出るのが少し意外だった。


 「いや、なんとなく。別に深い意味はないよ」


 そう言いながらも、どこかそわそわしているように見える。私は微笑みながら、彼に数冊の本を手渡した。


 「このあたりがおすすめですよ」


 彼は一冊を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。やがて、その中の一冊を持ってカウンターへやってきた。タイトルは『コーヒーとミルク』。


 「これ、もらうよ」


 「ありがとうございます」


 本を包みながら、私はふと思い出す。この店の噂——ここで本を買うと、その夜、運命の相手に関する夢を見る。


 ◇◇◇


 翌日、篠宮さんはいつもより少し早く店にやってきた。少し眠たげな顔をしている。


 「おはようございます。……眠そうですね」


 「……ちょっと寝不足で」


 彼はコーヒーをひと口飲むと、少し視線を落とし、ぼそっと言った。


 「変な夢を見たんだ」


 「どんな夢ですか?」


 「……喫茶店でコーヒーを頼んだら、ミルクを入れられてさ」


 「え?」


 「俺、いつもブラックなのに。そのミルクを入れたのが、誰か……よく知ってる人だった気がするんだけど、はっきり思い出せなくて」


 ぼんやりとした表情でコーヒーを見つめる篠宮さん。私はふと、カウンターの端に置かれたミルクポーションに目をやる。


 「……それって、もしかして予兆かもしれませんね」


 「予兆?」


 「運命の相手が、あなたにミルクを入れる人……とか?」


 彼は驚いたように私を見たが、やがてふっと笑った。


 「まさか。でも、そうだったら……悪くないかもな」


 彼はそう言って、ミルクポーションを手に取る。そして、いつもはブラックで飲むコーヒーに、そっとミルクを落とした。


 それはまるで、夢の続きを見ているような仕草だった。

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