妖精さん監視社会
脳幹 まこと
第1話
朝、目覚めると、枕元には小さな妖精さんがいた。
茶髪のショートに緑を基調とした衣装。垂れた長い耳はイヌ耳のようにも見える。
空中に留まりながら、ちょこちょこと手を振っている。微笑んでいるようにも見えるが、その表情はいつも変わらない。
僕は軽く手を振り返し、いつものように朝食の準備を始めた。
「おはよう、妖精さん」
妖精さんは、くるくると宙を舞いながら、僕の顔を覗き込んだ。
僕の家には、小さな彼女が頻繁に出入りしている。
といっても、妖精さんはペットではない。国から派遣された小型ロボットだ。
体長は20センチほどで、細長い500のペットボトルと大体同じくらい。見た目は可愛らしい妖精そのものだ。そういうわけで僕の周りで正式名の「
・
ゴミ袋を持って収拾場に向かうと、山崎さんに会った。
「おはようございます」
「ああ、おはよう……」
見るからにやつれている。
山崎さんは見た目も中身も「温厚な羊」といった人で、僕より一回り年上ではあるが、気軽に会話させてもらっている。
「何かあったんですか?」
「ああ、妖精さんのせいでね」
「またですか」
「うちの女房、ああいうのが人一倍恥ずかしいみたいで……」
力なく笑う山崎さん。
数年前、気の強い奥さんと一緒に引っ越してきたのだが、定期的に喧嘩を起こすのだ。その声は外でも聞こえてくる程なのだが、僕が知る限り奥さんの方ばかり発端だった。
理解がない人と接するのはつらいだろうな……いつものことながら、同情してしまう。
ひと言二言会話をして、会社に向かうことにした。
最寄りのバス停に向かう道でも、バスに乗っている間も、妖精さんは僕たちのすぐ近くにいる。
彼女は子供たちにとってのアイドルで、見掛けるとキャアキャアと騒ぐ。その声援を受けてか綺麗に宙返りするものだから、バスの中がライブ会場みたいになる。
ちなみに僕は妖精さんを「彼女」と呼んではいるが、国の公式見解では性別は特に定められていない。
オフィス、公園、商店街。レストランにテーマパーク。
どこに向かっても、妖精さんはふわふわと飛んでいる。
見るからにメカメカしいドローンなら怖いだろうが、それに比べればかなり抵抗感は少ない。小さな子供の冒険を見届けている気持ちにもなる。僕がやったように普通に話しかける人たちだって少なくない。
妖精さんをネタにして誰かと世間話をすることも出来るようになった。ペットを飼っている人同士で「かわいい」と談話するのと似たようなものだろう。
今まで鳩にパンをやっていたお婆さんは、妖精さんが登場するとそちらに手渡しするようになった。妖精さんは何も食べないけれど。
個人的な意見ではあるが、街が以前より明るくなったような気がする。
ちなみに、漫画やアニメの風景にも登場する。ありふれすぎて、小説の文章には逆に出てこないくらいだ。
・
妖精さんの目的は、日本国内にいる全ての人間を監視することだ。
可愛らしい彼女たちの
敷地の中にも入るし、その中でどんなことをしていても観察の対象になる。たとえ風呂やトイレに入っている時や情事の最中であったとしてもだ。
妖精さんの立ち入りを妨害すること、また、長期間部屋を閉め切ることは、法律で固く禁じられている。警察の公務執行妨害と似たような扱いだ。
そんな存在が全国のそこらじゅうにいる。流石に人口密度などをベースに数は多少調整してはいるが、北海道から沖縄まで、すべてに配置している。
これは日本だけではなく、先進国全般においてもデザインや数を多少変えつつも似た状態にある。それ以外の国でも順次導入を検討している。
そういうわけで、国に対するプライバシーはほぼないに等しいわけだが、この監視網によって犯罪の発生件数は三分の一にまで減少し、病に倒れたり、事故が起きても大事に至る前に解決することが出来るようにもなった。
妖精さんは人気と実用性を兼ね備えた、世界的に愛されるべき存在になっている。
勿論、妖精さんの他にも誇るべき技術はある。
以前には「残業」なるものがあったらしいが、全自動処理が常識となった今からすると、にわかには信じがたい話だ。
午後四時には仕事を終え、憩いのVR共有スペースで数時間ほど過ごしていくのがルーティーンだ。
今日は少しだらけすぎて、帰りが遅くなってしまった。
日を跨ぐ少し前。家に入ろうとすると、お隣から騒ぎ声が聞こえてきた。
「だから言ったじゃない!もっと静かにしてって!」
「興奮してたんだから、仕方ないだろ!」
原則、妖精さんの監視は「標準値より飛び抜けた情報」を取り出すためのもので、一般的な
よって見られることによるリスクはない。ないのだが、それでも気まずくはなるのだろう。
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