女神(アイドル)は舞い歌い、穢れを祓う
暇崎ルア
推しについて語れば、長くなる
携帯の時刻表示が二十一時五十八分に変わった。夜の十時まであと二分。
コトリ。推しのグッズをいくつも載せた「神棚」から、フォトフレームが落ちる。
「……もういいって、そういうの」
フレームに傷でもついたらどうしてくれるのか?
ピンポーン。玄関でインターホンが鳴る。
ドアスコープを覗くと、小柄な女性が立っていた。マスクで顔全体はわからないけど、優しそうに垂れた目元を見ただけで誰だかわかる。
「……はい」
『こんばんは~、水上流奈です~』
三河島律子さんのお部屋で合ってますよね?
「……合ってます」
どうしたって、声が震える。何度も話しているのに。
『良かったです。お部屋の中、拝見してもいいですか?』
ここまで来たらもう後には引けない。
大きく息を吸って、ドアを開ける。
「いきなり押しかけちゃってごめんなさい」
水上流奈はピンクと白のバイカラーのパーカー、大量生産されていそうなジーンズを身につけていた。
「……本当に来てくれたんですね」
「だって、約束したじゃないですか」
心ここにあらずの私をよそに、推しが微笑む。
「あたしが三河島さんについてる幽霊さんを祓うって」
万物の歌神、通称ばんかみ。古代において世界を作っているとされた火・水・木・土・金の五大元素を司る女神、というメンバーで構成された五人組アイドルグループ。国民的ではないけど、私みたいなコアなファンがわんさかいる。
『この世界のほとんどは水なので、世界はあたしのもので~す!』
というシュールな決め台詞を度々発するのが私の推しである水の女神・水上流奈様だ。水色のオーバーオールがトレードマークである彼女は、上記の台詞の通りグループの「不思議ちゃん」担当でもある。
大学を卒業してからもファミレスのバイトだけをしていた私は、流奈様の沼に落ちてからドラッグストアのバイトも増やした。
ばんかみのCDをたくさん買うと、握手会の参加券がついてくる。だからいつも大量に買い込んで、本物の流奈様に会いに行く。
「お姉さん、いつも来てくれてますよね~。めっちゃ嬉しいです!」
推しから直接そんな言葉をかけられたことはあるだろうか? 一度は体験した方が良い。冗談抜きで、心身が極楽浄土へ飛んでいく。
さて、ここで一つ致命的な問題がある。お金だ。推しに全てを捧げていると、お金が無くなる。だからこそ少しでも自分の生活のクオリティを落とすしかない。
「ええっとこの部屋、前の住人さんがですねー。会社員の方だったんですが、部屋で亡くなられてるんですね」
内見のとき、大きな丸眼鏡の真面目そうな不動産業者はそう告げた。いわゆる事故物件というやつ。
「ですので、敷金、礼金、賃貸料が通常の半額になります」
申し訳なさそうな業者にお礼を言いたいぐらいだった。
前の住人の不幸があっただけで安い家に住めるなんてお得だ。軽い気持ちで部屋を借りた。
しかし、もう少しゆっくり考えるべきだったのかもしれない。
転居初日、バイトから帰ってきた私は簡単な夕食を作って、すぐさま動画サイトを開いた。ばんかみの過去のライブ映像の無料配信を見るためだ。
ブルーレイで何度も見ているライブだけど、配信も見る。コメント欄で他のファンと推しを讃えながら見られる機会は他にないんだから。
部屋の照明が消えたのは、流奈様のソロ曲『ライク・ア・ストリーミング・ウォーター』のイントロがかかった時だ。
「……おいおい」
殺気を覚えながら、照明のボタンを押したことは言うまでもない。
部屋備え付けの照明は、感知センサーでついたりするわけじゃない。そうだったとしても私は部屋にいるんだから、勝手に照明が消えるはずがない。
なのに、照明はその後も落ちた。何度かつけては消えてを繰り返し、諦めた私は真っ暗な空間で推しが歌って踊る姿を見て、涙を流した。「目に悪い」とかそういうのはどうでも良かった。
変なことは他にも続いた。
誰もいないところから視線を感じる。「神棚」から勝手に物が落ちる。トイレの辺りから呻き声のような声がして、様子を見に行っても誰もいない。バイト先の上司や同僚、複数人から数日にわたって「最近、顔色悪くないか」と言われる。他にもあったけど、忘れてしまった。
顔色が悪いに関しては、乱高下が激しい天気のせいだろう。前二つは原因がわからないけど、何とかなる。
そんな風に楽観視して、安いアパートに住み続けてきた報いなのだろうか。
昨晩は、ワンマンライブの前日だった。先月買い込んだニューシングルのCDについていた握手券が役目を果たせる握手会もある特大イベントだ。
万全な状態で推しと会うために、いつもの就寝時間より早い十一時には布団に入った。
なのに、夜中に目が覚めた。
——最悪。
暗い部屋の中で目を開け、ぼやきたかったけど声が出なかった。身体も動かない。金縛りだ。
——ちゃんと寝ないといけないのに。
イライラしながら目を閉じる。早く眠りに落ちろ、早く、と祈りながら。だけど、そう考えることで余計に眠れなくなる。
うごおおお……
まただ、トイレの方からの呻き声。
それだけじゃなかった。
ひたひたひたっ
裸足の足音がこっちに近づいてきた。
——いつもと違う。
どしんと身体の上に重いものも乗っかった。
まさか、不審者? 生身の不審者はまずい。
怖くなって、目を開けた。
見知らぬ男の顔が、目と鼻の先にあった。般若のような形相で、私の顔を睨み続けている。
首元がぎゅうっと締め上げられた。うごおおお、と呻き声をあげた男が私の首を両手で締めている。
まずい、死ぬ。
「やめろ!」
心の中で叫びながら前進に力を込めると、ようやく両腕が自由になった。反撃のつもりで無茶苦茶に振り回すと、男の上半身あたりに自分の腕が当たる。何かに触れた感触はなかった。
身体の上にあった重さはすっと軽くなり、男も霞のように消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます