『あなたの心の中で息を止める』短編集
ヨリ
あなたの心の中で息を止める
深夜。
静寂を破るように、スマホの通知音が響く。
画面に宿った光が、私の胸の奥まで差し込んでくる。
先輩からの返信かもしれない――。
期待が泡のように胸に浮かんでは、喉の奥で弾ける。
『既読は、すぐに付けるな』
恋愛教本で覚えた小さな知識が、頭の中をよぎった。
けれど、そんな駆け引きよりも、ただ返事が欲しかった。
スマホに飛びついた。
『スタンプを送信しました』
ディスプレイに浮かぶ、その無表情な1文。
会話の終わりを告げる、最後の心拍のようだった。
小さな希望の光が、心に差し込んだ。
だがそれは、雷鳴となって鼓膜を裂き、心を貫いた。
何がいけないのだろう?
宛のない後悔が溢れた。
できることは全てした。
――つもりでいた。
勇気を出して、メッセージを送った。
私の精一杯の気持ちを込めた。
『来週のお昼どこかでランチ行きませんか?』
既読が付くのを何度も確認した。
既読がついた!
慌ててスマホを閉じ、返事を待った。
『来週は、友達と旅行に行くから無理なんだよね。ごめんね。』
予想していない返事だった。
無難に返そうと逃げた。
『そうなんですね! 楽しんできてください!』
初めて私から誘った。
私史上、最大の勇気。
勇気は、思い出に変わっていく。
思い出は、悲しみの海に沈んだ。
私が悪い――。
いろいろな記事を読んだ。
『モテる女子の服装』『女子が喜ぶプレゼント』『相手を好きになる条件』
私の心は燃えていた。あなたと歩きたい未来に、憧れていた。
来週は、あなたと2人で手をつないでいるはずだった。
「なんでだろう……」
呼吸もままならない、冷たい海に沈んでいくようだった。
◇◇◇
先輩を好きになった。
自分をしっかりと持っていてかっこいい先輩。
憧れの先輩。
高校生の私にとって先輩は、大人の女性に見えた。
1歳の差――。
大きな壁。
「大学生の彼氏に浮気されちゃった」
暑い夏の部活終わり、先輩から唐突に告げられた。
涙を流す先輩の前で私の心は、喜んでいた。
「彼氏さんとは、別れるのですか?」
ホントは聞いてはいけなかったのだろうか。
でも…。
だけど……!
私には、死活問題だった。
「うん。今日これから別れ話をしてくる」
人生でこれほど嬉しかったことはあるだろうか。
嬉しすぎて、心が少し壊れた。
嬉しいと感じる自分にいらだちを覚えた。
でも、これが私だった。
目の前で好きな人が涙を流していた。
今すぐにでも先輩を抱きしめて告白したい。
妄想だけが加速していく。
私を選ぶ為に別れるのではないか。
期待が私を暴走させた。
「じゃあ、私は電車だから」
私から先輩が離れていく。
階段に消えていく先輩を見送っても、そこを動くことはできなかった。
「もしかしたら、今から戻ってきて私に告白してくれるんじゃないか?」
希望を捨てたくなかった。
他人に話せばバカにされる程度の希望でも捨てられなかった。
どれくらいの時が流れたのだろう。ポケットのスマホが震える。
「部活お疲れさま。そろそろ帰ってくる?もうごはんできてるよ」
母親からの電話だった。今の胸の内を全て話したかった。
でも、この感情は胸の中に封印しておこう。
夏の1ページ目だった。
お盆休み。部活は1週間オフになっていた。
ここでしかデートにはいけないだろう。
数時間、半日ではなく、1日私の大好きな先輩を独占したい。
誰にも邪魔されない2人だけの世界に旅立ちたい。
◇◇◇
まだ、ディスプレイはかすかに光っていた。
薄暗くなったディスプレイでは先輩の好きなアニメのキャラクターがこちらに敬礼している。
私の心を讃えるように――。
先輩に近づきたくて、アニメを何度も観た。
推しキャラができた。
“私も好きです”と伝えた。
アニメが私たちを繋いでくれた。
2人で熱く語り合った。
私の宝物だった。
だった。
今は、大好きだったアニメのキャラクターが憎らしく感じる。
「……先輩を返してよ」
何の罪もないはずのキャラクターのせいで、思わず涙がこぼれる。
「ヒーローなら泣いている女の子を1人にしないでよ」
画面の中のキャラクターの表情は凜々しいまま変わらない。
正直にこの気持ちを伝えることが怖かった。
『距離を置かれるんじゃないか』『もう会えなくなるんじゃないか』
様々な不安が私の頭を埋め尽くしていく。
友達に相談するときも異性の先輩と嘘をついていた。
先輩の声が、耳に触れるたび、世界がやわらかくなる気がした。
先輩の隣にいるだけで、呼吸が楽になった。
気がつけば、恋をしていた。
同性を好きになるなんて私ですら考えなかった。
「友達にも嘘をつく。こんな私に恋愛をする事ができるのだろうか」
自分を責めた。
私の心は、言葉と沈黙でできた迷宮に迷い込んだ。
出口のない想いだけが、反響していた。
砕けるつもりでぶつかる方が良いのかもしれない。
だけど――
失う勇気は、なかった。
「先輩、私はあなたが好きです」
守りたい呟きは、暗闇の中へと消えていった。
あなたの心に、そっと潜りたかった。
気づかれないように――
息を止めた。
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