第2話
東大路高校は県内で二番目の偏差値を誇る進学校である。
校則はどちらかというと厳しく、他校で禁止されていることは大抵のことはうちの学校でも禁止されている。
他校の禁止事項はうちのもの、うちの禁止事項はうちのもの。
というジャイアン方式が採用されているのだ。
もちろん生徒の屋上への立ち入りは禁止されており、今俺の前にいる女生徒がコスプレした教師でもない限りこれは校則違反にあたる。
せっかく安らぎを求めて屋上にやって来たというのに、逃げた先にまた敵が出てきたみたいな気分だ。
けど、教師として見て見ぬフリも出来ないし。
「おい、こんなところで何してるんだ」
華奢な体躯にショートボブのそいつは俺をちらっと見てから、紙飛行機を拾い上げる。
「何をしてるって……、紙ヒコーキを飛ばしてましたけど」
そのまんまるとした目は、見てわからないですかの雰囲気を多分に含んでいる。
あ、こいつうざいぞ。
文末の疑問形もあたし何かしましたか的なきょとん顔も。
でも、ここで語調を強めると数日前の二の舞だ。
あくまでも冷静に穏やかににこやかに爽やかに。
「俺の言い方が悪かったな。どうして屋上にいるのかを訊いてる」
「先生こそ屋上で何をしようと?」
「質問を質問で返すのはマナー違反らしいぞ」
「えっと、学校の敷地内で紙ヒコーキ飛ばすのって校則で禁止されてましたっけ」
ほんっとに鼻につく奴だ。
こっちの意図がわかってて、あえて少し外し気味に答えてきやがる。
年齢で言うと7つとか8つしか変わらないはずだけど、マジでこの世代の奴らの考えてることはわからねぇ。
Z世代こえーよ。
「屋上にいること自体が校則違反だ。今なら見逃してやるからさっさと帰りなさい」
言っておくが、これはやさしさではない。
ここでこいつの首根っこを掴んで生活指導の先生に突き出したら、発見した俺にも山ほど雑務がのしかかってくるのは火を見るより明らかだ。
それを回避するため、一刻も早くたばこに火をつけるための偽のやさしさだ。
「先生、一つ質問いいですか」
そこはわかりました、じゃあ帰りますだろ。
なにを悠長に質問してくんだよ。
けど、ここでも落ち着きを見せないと。
「なんだ」
「屋上でたばこを吸うのは、何違反になるんですか」
「え、お前たばこも吸ってたのかよ」
「いやいや、吸ってませんよ。もしの話です。もしの」
そいつは両手を顔の前でバタバタと動かして潔白を示そうとしている。
「そりゃ、未成年の喫煙はなんらかの法律とか条令の違反だろうな。それに敷地内は全面禁煙だし」
自分で言っていて嫌になる。
今まさに屋上でたばこを吸おうとしていた自分に。
「つまり屋上も禁煙なんですね」
「そうだな」
「へぇ、そうなんですねぇ。屋上も禁煙ですか」
俺の言葉を反芻しながら何やら考えている模様。
「しのごの言ってないで、さっさと帰りなさい」
「もう少しだけここにいちゃダメですか」
「はぁ?」
こっちが正しいことを言ってるのに一向に言うことを聞いてくれない。
一方通行会話マンなこいつに口調が荒くなってしまいそうになる。
「今日、結構良い風が吹いてるんですよ。もう何度か投げたいんです」
「あのな。生徒がここに居ること自体がダメなんだ。一刻も早く中に入れ。それに高校生にもなって紙飛行機って――」
「あ、紙ヒコーキをバカにしましたねっ」
「バカにしてるっていうか、興味すらない」
「紙ヒコーキを笑う者、紙ヒコーキに泣く」
「いや、一円みたいに言うなよ」
「……」
なぜか俺の渾身のツッコミは宙を舞った。
そして、呆れたように息を吐いてから女生徒言う。
「先生は紙ヒコーキの飛行距離の世界記録ってどれくらいか知ってますか」
「は? 紙飛行機の世界記録?」
「ギネスにも認定されてる公式の方です」
いや、公式も非公式も知らんし。
「さ、30メートルくらいか」
「30メートル。本当にその答えでいいんですね」
「あぁ、そんくらいだろ」
夕日を背にしたそいつはじーっと俺の目を見ながらもったいぶるように表情をゆっくりと変える。
「残念ですっっ!! ぶっぶーっ!!」
両手をクロスさせて俺をあおるように不正解を強調する。
「答えは88.31mでーす」
「めっちゃ飛ぶじゃん」
「先生の予想の倍以上の距離ですよ。どうです、少しは紙ヒコーキを見直しましたか? あと、ちなみにこの世界記録。パパ31歳って覚えると忘れないですよ」
ゴロまで作って覚えるほどのことかよ。
テストにでも出るのかよ。
って、それ何のテストだよ。
「わかったわかった。紙飛行機のすごさはわかったから、もう帰れ」
「あ、そんなに強く出ていいんですかー?」
口の端をクイっとあげてアンニュイな表情で俺に近づいてくる。
ん? 変なとこに地雷あるタイプだったのかこいつ。
「親にでも泣きつくつもりか」
「そんな子供っぽいマネしませんよ」
紙飛行機で遊んでる奴がどの口で言ってんだ。
「じゃあどうするんだよ」
どうせ他の教師に告げ口するとかそんなとこだろ。
俺の冷ややかな視線も意に介さずといった様子でスカートのポケットからスマホを取り出して俺の顔の前に画面を向けてくる。
逆光に目を細めながらよく見てみると——
なんとそこには俺がタバコを吸う姿がおさめられていた。
「ちょっと貸せ」
「ダメでーす♡」
小さな身体と細い腕でひょいひょいと巧みに俺の手をかわす。
「そ、その写真いつ撮った」
「たしか夏休みの中頃ですかねー」
あー、あの時だ。
八月上旬にどっかのバカが深夜に学校の窓ガラスを割りやがって、警察も出動する大騒ぎになった。
次の日、学校で用事のあった俺は自分の仕事そっちのけで警察対応をしたり、経験だからと報告書や会議の議事録の作成をさせられた。
その日の夕方。
屋上で一服していたのだ。
あの写真はその時のだ。
「その写真。SNSとかにあげてないよな」
「もちろんです。今は」
この写真がネットにあげられたり、学校の誰かの目に入ったりしたら、かなりまずいことになる。
ただでさえ日々の仕事に忙殺されてるのに、不祥事の処理なんて。
「あたしはここで紙ヒコーキを飛ばしたいだけなんです。先生がそれを黙認してくれるなら、この写真は私のスマホからどこにも出しません」
一体こいつのたわわな紙飛行機熱はどこからやってくるんだ。
しかも熱がある割にヘンテコな形だし。
俺でももっと飛びそうなの作れるぞ、たぶん。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
火消しだ。とにかく火消しが最優先だ。
「わかった。今日のことは見なかったことにしてやる。気が済むまで紙飛行機を飛ばしてもらっても構わない」
「ありがとうございますっ♡」
くっ。
最低だ。
教師が生徒と罪の取引をするなんて最低だ。
嬉しそうにガッツポーズをとるそいつを見ながら罪悪感を抱く。
いや、待てよ。
生徒が屋上にいるだけじゃないか。
たばこや万引き、暴力を黙認するわけではない。
こいつがするのは下手くそな紙飛行機を投げるだけ。
そうだ、別にそんな悪いことでもない。
そうじゃないか。
俺は悪くない。
などと罪悪感と戦ってる俺のことなど露ほども気にかけず、そいつは片方の羽が小さい紙飛行機を投げ続ける。
数分の間は無我夢中といった様子だったが、さすがに飽きたのかこちらに水を向けてきた。
「先生っていつもむすっとした顔してますけど、教師ってそんなに大変なんですか」
言ってまた飛行機を投げるもへなへなと謎の軌道を描いて力なく地面に墜落する。
「なんでそんなこと聞くんだ」
「あれ? 質問を質問で返すのって良いんでしたっけ」
はやくどっかに行ってくれ。
「子供にはわからないことだ」
「でも大人にはわからないこともありますよね」
なんだこいつ。
「お前さ、紙飛行機を投げたかったんじゃないのかよ」
「もちろん紙ヒコーキが最優先ですけど、せっかく先生がいるから世間話の一つでもしようと思うのは変なことですか」
ぐうの音も出ない正論。
ここで適当に話をすればするほどにこいつがここにいる時間が伸びそうな気がする。
俺の野生の勘が言っている。
強く拒絶すればするほどにこっちに向かってくる、ちょろきゅーみたいな。
「今の時代はコンプライアンスやらハラスメントやらモンスターペアレントやら色々と大変なんだよ」
「なるほど、それで屋上でたばこを吸いたくなるんですね」
「うっさい」
「でも、そんなに気持ちがスッキリするならあたしもたばこ吸おうかな」
「ちょ、それだけは絶対にダメだ」
「写真が流出したとしても?」
「絶対にダメだ。たばこは二十歳になってからだ」
俺の言葉のあと、そいつは急に押し黙った。
さっきまでの軽口はどこに雲散したんだというくらいに。
実際は数秒くらいだったのかもしれないが、体感で15秒ほど過ぎた頃。
ゆっくりと表情を崩してそいつは破顔した。
「ちょっと先生、本気で受け取り過ぎですって。冗談ですよ、冗談。それにたばこのにおい苦手なんです」
楽しそうに笑う。
「な、なんだよ急に」
「いつもむすっとした顔の先生も真剣な顔するんだって」
「いや、そりゃ生徒がたばこ吸おうなんて言い出したら――」
「先生、ありがとうございました。そろそろ帰ります」
「え? あ、おう」
「それではっ」
「気を付けて帰れよ」
そいつは何か思い出したかのようにあっという間に去って行った。
しばらく相手しないといけないような雰囲気だったので肩透かしをくらった気分になるが、早々にどっかに行ってくれるならそれはそれで有難い。
俺はドアが閉まるのを確認して、内ポケットから煙草を取り出して火をつける。
目いっぱい煙を肺に取り込んで疲れやストレス少しの罪悪感を紫煙とともに吐き出す。
さっきまで吹いていた風は飛行機野郎とともにいなくなり、宵の口に入った空と俺だけが屋上に残った。
フェンス越しに遠くの山を見つめながら何を考えるでもなく、ただ煙を吸い込んでは吐き出して、コーヒーを口に運ぶ。
しばらくそうしてから俺は屋上をあとにする。
「今度は変な生徒が入り込まないようにしっかりと施錠を」
確認するように声を出して、錆びついた鍵をゆっくりと回して気付く。
屋上の鍵は防犯上、中からも外からも鍵の開け閉めをするのに鍵が必要なつくりになっている。
俺は屋上に入るとき、鍵を自分で開けて入ったよな。
だとしたら――
あいつはどうやって屋上に入って、鍵を閉めたんだ。
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