第24話 真夜中の孤独な教師

―――残暑とはいつまでのことをいうのだろうか。毎日暑くてたまらない。学校が始まっても、涼しくなったわけじゃない。教室の隅の方、颯真は下敷きを団扇代わりにして仰いでいた。

 夏休み明けの登校日。

 バイト三昧だった真夏の日々。

 休みどころか、24時間、朝も夜もフルタイムで働いていたようなものだ。飲食店でのホールの仕事、コンビニでの笑顔を振りまいての接客。闇の顔をしてのダークワーカー。いくつ顔があればいいのか、食べるものも喉に通らないくらい痩せて細くなっていく。横では床でぐったりと倒れている元気のない母親の姿。部屋の中はゴミの匂いが蔓延していて、散らかっている。台所では、ハエが一匹飛んでいた。


「俺も、よく生きているよな……こんな家で」


 真夜中にベランダに育てていたミニトマトにジョーロで水をあげた。好きな野菜じゃない。健康的になれるって誰かが言っていた。今できる唯一の望みだ。トマトに未来を描く。体が丈夫になれるように、母が元気になれるようにと。


「颯真ぁ、私、トマト嫌いだから。あなたが食べなさいよ」

「……ちょっと静かにしててもらえるかな」


 せっかく考えた健康的なプランを一気に崩された。肩をがっくりと落として、ベランダの淵に手をかける。夜空は快晴で星が輝いていた。今日はきっとこのまま平和に眠れるはずだ。と思った矢先に、Tシャツをくいっと引っ張られる感覚に陥った。


「あーー、これは夢だ。そう、夢なんだ」

「はーゆーまぁ? 何言ってるんだよぉ。現実を見ろよぉ?」


 コウモリの紫苑が颯真の服を足でくいっと引っ張っていた。閻魔大王の仕事をしたくなくて、逃げたかったのだ。容赦なく、紫苑は連れて行こうとする。


「あれ、これは幻か。あーーー!」

 

 光なんてどこにもないのに、眩しいふりをして、崩れ倒れた。


「おうおうおう。随分と、うそっぱちな演技だな」

「……チッ、ばれたか」

「四の五の言うなぁ。行くぞ。今日も仕事だ」

「へいへい、わかりましたよーだ」

 

 颯真は屈んだ体をよいしょと起こして、腕を伸ばした。ポキポキとストレッチをする。その動きに母の碧郁あおいが反応した。一体何をやろうとしているのかと気になった。


「颯真、一体何しようとしてるの?」


 真夜中の0時。これから寝ようとする時間に颯真は黒い服に着替えていた。母の碧郁は気になって、リビングからその様子を見守った。誰かと何かを話している。電話だろうかとそっと近づくと、いつの間にか颯真の姿は消えていた。まさか、べランタから落ちたんじゃないかと母の碧郁はヒヤヒヤした。颯真が大事にしてるミニトマトの葉が風で揺れていた。


「颯真、急ぐぞ。今回の案件は、忘れていた教師の横領だ。ライトワーカーの件で遅くなっちゃったんだ。閻魔様に叱られたんだぞ、おいら」


「へー、俺のしったこっちゃねぇや。お前の指示に従ってるだけだし」


「ちくしょ、俺が閻魔様に言われてるからって。おいらだって、忘れたくて忘れたわけじゃないわ! むむむ……ライトワーカーのあいつだっていつ襲ってくるかわからないのに、忙しいんだぞ!!」


 紫苑の透明な粉に寄り、外部から見られないように細工していた。そのため、母の碧郁は透明になるまでの颯真の姿を目撃していた。颯真は母の碧郁に見られていることは分かっていない。ダークワーカーの仕事をしているのは颯真本人しか知り得ないこと。そして母の碧郁に霊感はない。耳をケガしたことも、野良猫に引っかかれたという嘘を言い、腕のタトューは繁華街で知り合ったおじさんに付けられたという嘘を伝えていた。それがどこまで通じるかは未知の世界だ。


―――築30年の赤い屋根の家に住むのは、颯真が通う高校の日本史担当の教師、荒納 篤史あらのう あつしだ。2年くらい前に実母が亡くなってから1人暮らしで、ギャンブルで金遣いの荒さに嫌気がさした妻は、娘ともに篤史の元を黙って去って行った。離婚してから10年は過ぎていた。部屋の中はカップ麺の食べ残しでテーブルにインテリアのように並べられていた。床は競馬に使う新聞に昔ながらのラジオ、一升瓶の日本酒、泡の出る缶ビール。何に使ったか分からないティッシュのゴミの山。割り箸は無造作に散らかっていた。

 仏壇の前だけはお線香を焚いて綺麗になっていた。

 篤史は、缶ビールを片手に競馬中継を録画した番組をじっとかじりついて眺めていた。スマホには競馬予想のアプリが開かれていた。


 天井の梁にコウモリの紫苑とともに颯真は、透明の状態で覗いていた。


「なぁ、今回は別に処刑じゃないだろ?」

「んー、そうだけど。まぁ、お金の使い方が死に金にしか使えない人なんだよね。周りの人を大事にできなくなってる」

「んで? どんな処罰をするのよ」

「そうだね。まぁ、お金のありがたさを感じて貰えるように促すってことかな」

「俺、必要なん?」

「頭使えって。小さな脳みそくん」

「な?! コウモリのお前に絶対言われたくないわ!! ふん、見てろよ。やってやるから」


 深呼吸をして、呼吸を整える颯真の横で紫苑はパタパタの旋回した。篤史が眺める競馬の番組は盛り上がりを見せていた。興奮状態がピークを達している。ちょうどいいところで、辺り一面が真っ白になり、どこからか川のせせらぎが聞こえてきた。


「な……なんだ、これ」


 篤史は現実か夢か分からない光景に腰を抜かした。

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