第3話:液化する身体
逆さの森の奥へ進むほど、テミスの足音は湿った土に吸い込まれ、
空から地面へと伸びる木々は不自然に静かで、根が雲に絡まる姿が濃い霧に浮かんでいる。
太い幹はねじれ、まるで苦悶に耐える生き物のようにうねり、葉は土に深く埋まって
テミスは首の瓶を握り、
液体が瓶の中で渦を巻き、栓を押し上げて指先に滴り落ちる。
彼女はその冷たさに息を呑み、手を拭う。
だが、指先が柔らかく
皮膚が溶けるように揺らぎ、滴となって土に落ちる。
彼女の目が恐怖に揺れ、心臓が喉元で脈打つ。母を生き返らせる時間がここにあるはず——
その希望が胸を焦がすが冷や汗が背を伝い、マントに染み込んだ。
森の深部は迷路のように入り組み、木々が彼女を閉じ込めるように動く。
背後を振り返ると、来た道が消え根が空に伸びるシルエットが視界を塞ぐ。
霧が濃くなり、木々の間から漏れる薄い光が彼女の影を
テミスは息を荒げ、木の幹に手を突いて立ち止まった。
冷たく湿った樹皮が指に食い込み、苔のぬめりが掌に残る。
瓶を握る手が震え、
彼女の腕が薄く透け、青い血管がぼやけて見えなくなる。
足が地面に染み込むように重くなり、歩くたびに水たまりを踏むような音が響く。
彼女は膝をつき、自分の手を凝視した。
指が液体のように揺らぎ、爪が溶けて透明な滴となって土に吸い込まれる。
母の笑顔が脳裏に浮かぶ——「大丈夫よ」と呟いたあの朝……。
時間があれば、母は消えなかった。
恐怖が胸を締め付け、叫び声が喉に詰まったまま震えた。
「何だ、これは!?」
声は森に吸い込まれ、虚しく反響する。
膝までが透明になり足首が地面に染み込んで消えた。
テミスは
指先がさらに溶け、地面に黒い染みを残す。
息が乱れ視界が揺れる中、森の中心にたどり着いた。
そこには巨大な壺が浮かんでいた。
黒い金属でできた壺は、表面に無数の細かな刻み目が走り、古代の呪文のように見える。
縁からは液体が
壺の中では液体の渦がうねり、人の顔が浮かんでは消える。
悲鳴や笑い声、すすり泣きが
渦の中には、目を見開いたまま沈む顔、助けを求めるように手を伸ばす影——無数の魂が溶け合った残響が
母の顔がそこにあるかもしれない——テミスは一瞬、そう思った。
彼女は
「これは……日記?」
テミスは、足元に落ちていた革の表紙の日記を拾う。
黄ばんだページは湿気で膨らみ、インクが滲んで文字が
震える手で開き、
「我々は時間を支配しようとした。無限の滴を求めた。だが、消えた者を呼び戻すことはできず、時間は我々を飲み込んだ。この森は我々の墓だ。」
テミスは日記を落とし、壺を見上げ理解が胸を刺した。
母を生き返らせる時間はない。
逆さの森は救いの場所ではなく、ただの墓だった。
誰かが作り上げた『時間製造装置』が暴走し、
壺の中で渦巻く液体は、森に吸い込まれた者たちの
母は戻らない……希望が砕け、彼女の胸に冷たい絶望が広がる。
壺の縁から漏れる光が、彼女の半透明の顔を照らす。
木々の根が雲を
テミスは壺に手を伸ばし、すがるように
「やめて……母を、私を返して……」
声は森に吸い込まれ、渦が
腕がさらに溶け、手首が消え、
瓶が熱を持つように震え、液体が溢れて土に染み込む。
身体は液化を加速し、腰までが透明に変わる。涙が液体となって滴り落ち、地面に黒い染みを広げる。
母の笑顔が遠ざかり、恐怖と絶望が彼女を飲み込む。
視界が暗くなり、壺の渦が脈動する音だけが耳に残る。
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