01-23.逃げる双魚は、怪物を喰らう。



<――――出現。〝金宮〟>



 どこか遠くから、世界を揺らすような言葉が響く。

 荘厳な鐘の音に乗って、静かに届く。



<〝双魚〟>



 カルミアは意識の浮上を悟り、次いで。


(プラム)


 左手に繋がれた、彼女の右手を、感じた。


(そう……私を救いにやってきた、あなたを愛せないのなら)


 指を絡め、瞳を開ける。透明な青の向こうに、確かに彼女の姿があった。


「私に生きる資格は、ない」


 明らかに水の中なのに、言葉はハッキリと出た。左手を引き寄せ、右手を伸ばす。戸惑うように目を開いたプラムの腰を掴み、引き寄せた。


「お待たせ――ただいま」


 寄せた耳元に囁くように、告げる。抱きしめた彼女の体が、びくりと大きく震えた。


(ああ……ここだわ。私の心が、孤独が、癒される……寂しく、ない)

「ごばべぶばあれこれ喋れるぅ!?」


 腕の中のプラムが、ひとしきり騒いだ後。


「……おかりなさい。カルミア様」


 ゆっくりとカルミアを、抱き返した。



 ぱしゃり、と小さな音が鳴る。



 浮遊感を覚え、カルミアはプラムを横抱きにした。


(元の草原……戻ってはこれたのね)


 彼女たちを守るように漂っていた水の球体が崩れ、地表に大滝のように液体が降り注ぐ。カルミアはほどほどの高さで足に霊力を込め、仮定の階段を作って着地した。プラムを立たせ、隣に並ぶ。


「あいつは健在、か」

「げげぇ、まだ生きてる……」


 水浸しになっていく平原に、黒い巨獣が蠢いている。再生したのか、体の大きさは元に戻っていた。


「どうします? カルミア様。あいつなんか、魔力桁違いみたいですけど」

「そうね」


 カルミアは、肩口にかかった巻き髪を手で払いのける。銀の二房の髪が、静かに黄金の光で染まっていった。


(王都からも……彼らの戦闘跡からも遠い。ここで仕留めるべき、か)


 左手首を右手で握り、カルミアは力を込める。手首の紐がまるで深い水底のように暗く輝き、プラムとの間に実体化した。プラムの側の右手首の紐も、青く染まっている。


「あっれ紐が青くなってるいつの間に!?」

「ふふ。絆の証というやつね。それで、倒し方だけど」


 カルミアは右足の爪先を上げ。


「こういうのは、どうかしら?」


 降ろした。

 地鳴りと共に、不可視の壁や床が出来上がる。


「ふわっ!? なんですこれ!」

「城……神殿? この紐のおかげで、結構本気出しても大丈夫みたい」


 カルミアの膨大な霊力で仮定された半透明の建造物が、地上から高空までを包んでいく。平原に建てられたそれは、カルミアとプラムを中心に、大型種ギガースエリュマントスもまたその中に捕らえた。


(これほど霊力を使っても、まだ体が痛まない……余裕がある。これが聖と霊が合わせるということ……宮技の、力)


 青い紐から流れ続ける一筋の水が、信じられない勢いで神殿の中を満たしていく。


「これは私の霊力と、あなたの聖力で編まれた奇跡の水。さて、こいつの流れに巻き込んでやったら、河を渡れないという魔物は」


 カルミアは平原の向こうで開いた赤い瞳をじっと見つめ、にやりと笑った。


「どうなって、しまうかしらね?」



『キュロオオオオオオ!!』



「うわ怒った!?」

(違うわ。寂しい、苦しいって言ってるのよ)


 巨大で白くたおやかな腕を六本生やし、怪獣が大地を揺らしながら向かってくる。水は徐々にその身を浸していたが、お構いなしという勢いだった。


「ダメージを与えているけど、再生が早い……さて、どうする?」


 カルミアは腰が引けてる相棒に、笑いかける。彼女は。


「逃げましょう!」


 満面の笑みで、元気よく答えた。


「最高のアイディアね」


 二人、僅かに床を蹴る。その足元から爆発したかのように水が溢れ、二人は激流に押されるように進んだ。迫る魔物に水を浴びせながら、悠然と――水面を滑るように。


『キュロォォォォォ!』

「うわまた手伸びてきたしつこい!」

(羨ましい、ね……)


 カルミアは声を聞き取りつつも、力を注いで水量を上げる。風の壁を抜けるような勢いを感じ、さらに速度が上がった。伸びる白い手の群れは空を切るも、怪獣の進みは止まらず、徐々に近づいてくる。


「これならどう?」


 カルミアが足元を蹴る。神殿が組み変わり、通路が狭くなった。それでも体長100mの猪が入れるほどではあるが、一気にカルミア、プラム、そして魔物が水没する。二人が移動する速度は落ちないが、魔物は体が浮かび、しばし床を求めて手を彷徨わせた。


「このまま水を増やして、水圧かけてやりましょう!」

「それもいいけど……まだね」

「へ?」


 二人の見つめる先で、遠くなった魔物から、にょきっと大量の手が生える。それが猛然と水をかき、無理やり巨体が流れに逆らい出した。


「泳ぎうまぁ!?」

「私よりもうまいかもね。さて」


 さらに細い腕が大量に伸びてくる。流れより速い到来に、カルミアは髪を光らせた。その肩を。


「――――お任せを」


 相棒の手がそっと撫でる。黒髪の聖女はいつの間にか化粧も落ちて――――ぞくりとするような、妖艶な笑みを浮かべていた。カルミアは背筋を駆けのぼる震えに僅かな恍惚を覚え、笑みを向けて頷く。


「ちょぉっと使い方わかってきたんですよねぇ! 聖力、全・開!」


 プラムの体から、湯気のような白と、墨のような黒が立ち上った。


「アルレシャ!」

「いいでしょう」


 彼女の右手首から飛び出た白地に黒模様の聖霊が、プラムの肩口をひと泳ぎし――水に、溶けた。




「〝 泥 水 〟 !!」




 激流が濁流に、変わる。プラムの右手から流れる黒が、追いすがる白い手を次々に飲み込んでいった。二人の速度がまた上がり、怪獣との距離が開く。


(そろそろね)


 カルミアは、手を千切られながら迫る怪獣を見ながら、足元を踏んで鳴らす。水中で広がった波紋は、すでに水でほとんど満たされた巨大神殿の内部をまた、組み替えた。それは外から見れば、すり鉢、螺旋の廻廊のようであった。もちろん底には――――エリュマントス。




『ギュロオオオオオオ!!』




 赤い瞳をぎらつかせ、水底から流れに逆らって怪獣が迫る。それはどこか、巨大なイカのようでもあった。猛烈な速度であり、黒い水に切り裂かれることも意に介さない。


「げぇ、また怒った!?」

(……安心して。置いていかないわ)


 魔物の叫びに、カルミアはそっと手を差し伸べる。水を伝わるその叫びに、手が触れるようで。


「レーヴァティ」

「聖霊使いの荒い聖女め」


 銀の鱗をきらめかせ、自由の聖霊が水流に消える。




「〝 水 銀 〟 !」




 ずずん、と廻廊が震えた。もったりと流れた銀の水が流れ、魔物を押さえつけたのだ。


『キュロ――ギュロ……』

「大丈夫。痛くない、怖くないわ」

「へ?」


 黒と銀の水に包まれ、水圧で動きを止めた水底の魔物。その赤い瞳を見据え、カルミアとプラムは動きを止める。水中に漂いながら、カルミアはプラムに向かって、左手を伸ばした。


「ぁ……カルミア、様」


 揺れる水の向こう。右手を伸ばす相棒の頬が……ほんのり赤いように、見えて。


「プラム――――」


 カルミアは自身の頬もまた、消えゆく夕刻の光のように赤いと、自覚した。


 二人の口が。

 何かに導かれたように。

 終わりの言葉を、紡ぐ。




「「宮技――――〝双魚〟」」




 二人の手が近づくごとに、ぎゅ、ぎゅっと神殿が縮んでいく。

 魔物が潰されたように、体を歪めていく。


『キュ――――キュ!』


 押し出されるような悲鳴に。


「追いかけっこは終わり……大丈夫」


 カルミアは優しく、微笑みかけた。


「ほら、そこにいるでしょう? 寂しく、ないわ」


 聖女の呼びかけに……赤い瞳が、瞬いた。

 何かに気づいたように。

 怪物の体表を這う手と、手が。

 一つ、また一つと繋ぎ合わさっていく。


「さよなら」


 プラムの指が、カルミアの手のひらに触れ。

 カルミアは一度手を開き、咥え込むように彼女の手を握った。

 まるでそれは、小さくなった神殿を……二つの口が、飲み込んだようで。

 ギシッ、と強く空が歪むような、音と共に。



 神殿は一つの――――点に、なった。



 残された一粒の雫も、さらりと消える。

 巨大な魔物の姿も……白い手も、もうどこにも、ない。


 宮技――――〝金宮・双魚〟。

 それは、星の神話の再演。魚座の聖女という有り様の具現。怪物から「二匹の魚が逃げ切る」という事象。黄道の天に浮かぶ双魚宮に――怪獣が辿り着くことは、ないのだ。


(そして逃げ切った、というのは……追手がいなくなった、ということに相違ない。とんだ奇跡だわ)

「…………これ、浄化、できたんですかね?」

「御覧なさいな」


 カルミアは右手で、水気の飛んだ地上を指さす。


「あれ……猪?」


 そこにいたのは、四足の獣。双魚の水は当然に浄化の御業であり、魔霊のみを祓う。浄化の音と同様に、魔物の元となった生き物は分離されるのだ。


「そうね。魔物には見えないわ」


 二人が見守る中、身を震わせたそれは、真っ直ぐ前――南の小山へ向かって、駆けて行った。


「呑気なもんで」

「我が子が山で待ってるのかもよ?」

「そりゃ大変ですね」

(呑気なのはどっちよ……安心しちゃって)


 穏やかな笑みを浮かべる相棒に、カルミアもまた深く安らいだ。


「疲れましたし――帰りましょうか」


 プラムが手を離し、そのまま掲げて見せた。


「ええ、おなかすいたわ」


 同じように、右手を掲げる。

 二人が同時に、右腕を振り。

 合わさった手が、乾いた音を響かせた。

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