第一章 2
そうはいってもラキシスとて十六の若い娘である。
次の誕生日はいつ来るか、その日はいつやってくるかと、その日を待ち焦がれた。
指折り数えて、その日を待ち続けた。
しかし運命はひたひたと確実に、ある日残酷にやってきて扉を叩いた。
山を二つ、谷を一つ越えた場所にある岩の国バレンから使者がやってきて、あることを通達したかと思うと帰っていき、国王がしばらく執務室に籠もっていたかと思うと、突然『砂塵の乙女』が急逝したという知らせが国中にもたらせたのである。
その一報で、ウェレンに激震が奔った。
『砂塵の乙女』様がお亡くなりになっただと? 転生の赤子はどうなっている。探したのか。この前はお元気そうだったというのに、どういうことだ。それに、まだ十七であられたはずだ。そんなにお若いお方が急にお亡くなりだなんて、おかしくないか。水はどうなるんだ。
王城には国民が殺到し、一時は大混乱に陥るものかと思われるほどの騒ぎとなった。
それを止めたのが、リュシオン第一王子であった。
「みな聞いてほしい。『砂塵の乙女』の急死で、動揺していることと思う。しかし、今急ぎ転生の赤子を探しているところだ。そしてそれは、間もなく見つかることだろう。いつものように。伝統がつつがなく受け継がれてきたように。だからみなも、落ち着いて次の『砂塵の乙女』が見つかることを祈って待っていてほしい」
「でも、転生の赤子が成長するまでは、水源はどうなるんで」
誰かが言った。
「くじ引きで代理の者を立てて、その者に代わりに巫女を務めてもらう。そして転生の赤子が成長してからは、その赤子が正規の『砂塵の乙女』ということになる」
群衆がどよめいた。
「だから、どうか安心していてほしい。『砂塵の乙女』が空席になることはない。今までも、これからも」
人々は顔を見合わせて、口々に安堵の声を漏らして帰っていった。
リュシオンはふう、と息をついて、王宮に入った。
胸のなかで、大きな疑問が頭をもたげて彼を食らおうとしていた。
「殿下」
大臣の一人が、廊下のむこうからやってきた。
「ダイレン大臣か」
「引き返しましたかな」
「無事に」
「不満と不安を抱えた民衆は、簡単に暴徒になりますからな」
「ちゃんとした言葉で言い聞かせれば、わかってくれるさ」
「だといいのですが」
「ところでこの間の貿易の件、どうなっている」
「進展がございます。まず……」
二人は歩きながら話し始めた。リュシオンが若くしてこの国の執政のほとんどを任せられていることを、多くの人間は知らないでいる。彼が言いたがらないからだ。
自分は影に隠れていればいい、目立っていたくない、目立てば殺される、そういう経験をリュシオンは幼少時から繰り返してきた。そうしていつしか、無欲であることも手伝って彼はひっそりと表に出ないことで用事を片づけることを覚えてしまった。
代理の『砂塵の乙女』は、公平にくじ引きで決めることになった。
逝去した先代の『砂塵の乙女』は十七歳だったから、来年十七歳になる未婚の娘が国内から貴賤を問わず呼び出された。
その数、ざっと三千名。
くじを引いたら、しばらくは自由がない。
しかし、確率は三千分の一である。
誰もが自分ではないだろうと、気楽に箱からくじを引いた。
引いた箱の中身の紙片の隅が、赤くなっていたら当たりである。
どの娘も、白いくじを引き続けた。
はずれ、はずれ、はずれ……
くじ引きは、昼まで続いた。
そして従者がいい加減飽きてきてあくびをし始めた午後になろうという時、隅が赤く染まった紙片を引いた娘がいた。
「おお、当たりですぞ」
その娘は青くなり、茫然として箱の前に立ち尽くした。
「う……そ」
ラキシスは膝が震えて立っているのがやっとだった。立っていられるの? 倒れそう。
巫女? 代理の『砂塵の乙女』? 私が? どれくらいの間? その間、リュシオンはどうするの? 会えないの? 私たち、どうなっちゃうの?
ぐるぐるぐるぐる、色々な考えが頭を駆け巡った。
『砂塵の乙女』代理決定の知らせは、すぐに王宮にもたらされた。
「ラキシス? ラキシス・フォン・ディートリドか」
まさか。リュシオンは耳を疑った。そんなことがあってたまるものか。いやそんな。だがしかし。
「間違いなく、ラキシス様でございます」
平静を装って、そうか、とだけ言った。しかし、顔は青くなっていただろう。
あと十か月。あと十か月で、十七になろうというところだったのに。
ぐっと唇を噛む。
転生の赤子は、間もなく見つかるだろう。それが成長するまで、最短でも五年。
五年だ。短いようで、永遠のように長い。
彼女は、待ってくれるだろうか。耐えてくれるだろうか。私を待っていてくれるだろうか。
そんな覚悟を決めようとした時である。
「殿下、『砂塵の乙女』代理に決まったラキシス様がお見えでございます」
はっとした。
通されたラキシスは顔面蒼白で、今にも倒れそうな面持ちであった。
「リュ……」
「ラキシス」
ほんの数歩歩いただけで、ラキシスが崩れ落ちそうになった。それを、リュシオンは抱きとめた。
「いや……いやよ。『砂塵の乙女』なんて嫌。巫女なんてできない。あなたに会えないなんて無理よ」
「耐えてくれ……これは決定事項なんだ」
「なんで? なんで私なの? なんで私が行かなくちゃいけないの?」
「ラキシス……」
その胸にぎゅっと彼女を抱きしめて、リュシオンは言った。
「五年だ」
涙を流して、ラキシスは首を振る。
「五年。私はお前を待つ。その間、どんな縁談にも応じない。どんな女にもなびかない。
お前だけを想って、お前を待っている。お前はそれに、応えてくれるか」
ラキシスは緑の目から涙を流し、リュシオンの金の瞳を見つめた。
「五年……」
「そうだ。五年だ」
「五年がんばったら、会えるの?」
「会える。一緒に暮らせる」
「五年?」
「五年だ」
「……」
彼女は少しうつむいて、そしてリュシオンを見上げた。
「やる」
涙を拭いて、もう一度言った。
「やる。五年、待つ。がんばる。私、やる」
「そうか。私も、待っている」
「うん。待ってて」
ああ、と手と手を握りあっていたら、扉がノックされた。
「国王陛下がお呼びでございます」
「父上が?」
リュシオンが出ていこうとすると、
「『砂塵の乙女』の代理の方にも来ていただきたいとのことでございます」
とのことである。
首を傾げて国王の執務室に行くと、国王が二人を待ち構えていた。
「やあやあ、待っていたよ。君が代理になったんだってね」
幼いころから王城に出入りしていたラキシスは、国王とも何度か顔を合わせている。
「こんな偶然もあるものなんだねえ。うんうん」
まあ座りなさい、と言われてそこに座ると、国王は神妙な顔になって話し始めた。
「実はね、先日バレンから使者が来たんだよ」
「バレンから?」
広大な領地を持つ同国は、その強大な軍事力で各地に戦を仕掛け、着実に領地を広げていることでも知られている。
「どういった用向きの使者だったのです」
「うん、それがね。『砂塵の乙女』と結婚させてくれたらウェレンを属国にすることは諦めてやるっていう内容の書状でね」
「なんですって……」
『砂塵の乙女』は絶対処女、常処女≪とこおとめ≫である。神に仕え、神と共にある聖なる女だ。誰かと結婚するなど、考えられないことである。
「父上、無論断ったのでしょうね」
「いや、それがね」
国王はにこにことして言った。
「属国になったら、色々大変でしょ。領地は削られちゃうし、兵士も取られちゃうし。
そんなの嫌だから、じゃうそうしますって言って、了承したの。そしたら肝心の『砂塵の乙女』が自害しちゃってさあ。もうびっくりしたよ」
「――」
リュシオン、あまりのことに言葉が出ない。
そして、あることに気がついてはっと顔を上げた。
「まさか、ラキシスをここに呼んだのは」
「一時はどうなることかと思ったけど、でも『砂塵の乙女』は代理が立てられるっていうし、一件落着ってことだよね。君にはバレンに行ってもらうことにするよ」
国王が手を叩くと、兵士が数人入ってきた。そしてラキシスを両脇から固め、立ち上がらせた。
「ちょっとなによ放してよ」
「父上、なにをするのです」
「『砂塵の乙女』のお告げなんて、適当にこっちで作って言わせとけばいいよ。どうせ国民に姿を見られることなんてないしね。転生の赤子の成長を待って、あとはめでたしめでたしってわけ。この子はバレンからの迎えが来るまで、離宮にいてもらうよ」
「嫌。放して。リュシオン」
「ラキシス」
「連れていけ」
ラキシスは手荒に連れていかれ、リュシオンもその場に押さえつけられて、彼は父を睨みつけた。
「父上……こんなことをして、許されると思っているのですか」
「国王は僕だからね。いくらお前が執政をしているといっても、決定権は僕にあるんだよ。 しばらくおとなしくしていなよ」
リュシオンは兵士たちに自室に連れていかれ、そうして夜が明けた。
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