第1話 死神の大太刀 壱

 曇天の下を荷台に天幕を張った馬車が街道を走っている。荷台には多くの日用品が積まれている。手綱を握るのは中年の男。彼は山間部を巡る行商人。名を十吉とおきち。隣には同い年の妻、サナが座っている。


「ねぇ、目的の集落ってまだなの?」


 天幕から顔を出した娘が二人に問う。まだ幼い娘は眠そうに目を擦っている。


「おはよう、サチ。」


「この林を抜けたら橋がある。そこから少し走れば着くぞ。」


 十吉とおきちが答えた。その隣でサナがサチに微笑みかけた。


 十吉は何処かの商家に仕えているわけではない。街で仕入れた日用品を売っている。山間部の集落では生活必需品だってなかなか手に入らない。少々値が高くてもある程度は売れる。街で仕入れる際の商才がものを言う職業である。


 本来なら護衛を雇わなければ危ないのだが、十吉とうきちは刀の扱いに長けている。彼は元兵士。何の流派も習得していないが、刀を扱う才は侍大将にも認められた程だ。野盗に襲われたとしても返り討ちにするくらいはできる。家族を守りながらの旅は大変だが、数年も続けている今となっては日常である。


 大変だった時期を乗り越えた今は、こんな生活も悪くない、そう思えるようになっていた。


 これから向かうのは無い集落。そこに住む多くが職人であり、仕事場と自宅を兼用している。近くの街から馬車でまる一日。山道は整備されているとは言え、馬がなければ往復するのは大変。故に日用品を運んで来てくれる行商人の存在はありがたいのだ。


「あれ、何?」


 何を目にしたのかサチが遠くを指差した。その先にはカラスの群れが飛び回っている。おそらくこの道の先、橋の付近であろう。


 背中に悪寒を感じた十吉とおきちが手綱を引いて馬車を停めた。


「なんだか気味が悪いわね・・・。」


 隣でサナが呟く。


 カラスは死体を漁るため不吉の象徴とされている。そんなカラスが群れを成しているのだ。そこに何かある、そう考えるのが普通だ。


「引き返すか・・・集落の人達には悪いが日を改める方が懸命かもしれない。」


 十吉がそう言った時、空からポツポツと雨が振り始めた。



 十吉は路肩にある一際大きな木に馬車を寄せて雨をやり過ごすことにした。長く伸びた枝、そこに広がる葉が傘の役割をしてくれる。ここから更に雨が強くなったとしても、濡れ鼠になることは避けることができる。風邪をひいてしまっては商売どころではなくなってしまうから。


 雨は次第に強くなっていった。木の下に入ったことが功を奏したようだ。


「なるべく早く集落に着きたかったんだがな。まったく、運が悪い。」


「最近野盗が出るって街で噂になったわものね。でも、こんな雨の中じゃ野盗も動かないんじゃない。」


 馬車の天幕の中で十吉とおきちとサナが話している。雨の影響で気温が低い。サチはサナに抱かれてぬくぬくしていた。


 しとしとと雨音だけが聞こえる。


 だが、不自然な音が聞こえた。水が跳ねる音。何者かの足音のような。それが異変だと察した十吉とおきちが外へ視線を向けた。数秒待った。けれど、何も起こらない。だが、足音だけが近付いてくる。


 十吉とおきちとサナ、二人の間で目配せがあった。サチが状況を理解できずにサチに不安そうな目を向けている。


 十吉とおきちが近くにあった刀を手にした。静かに腰を上げる。


 獣にしては気配がはっきりし過ぎている。おそらくは人間。それなら噂の野盗か?徐々に近付く足音に緊張の糸が張り詰めていく。十吉とおきちが息を飲んだ。だが、馬車の正面まで来た足音は、その気配がこつ然と消失してしまった。


 馬車の中から十吉が気配を探る。しかし、何も感じ取ることはできなかった。外に何かがいるのは明白。それでも、その気配は透明な気体を目視するかの如くである。


 気の所為だったのか?いや先の気配は生き物のそれ。だが、それなら何処へ・・・。


 十吉は不思議に思った。外の様子をうかがう為にゆっくり天幕を開く。荷台を引く馬にも怯えた様子は無く、見える範囲には何もいない。先ほどよりも雨足が弱まっている。


 十吉とおきちが荷台から降りた。大きな木の下に入ったため、地面は泥濘んでいなかった。いつでも抜刀できるように刀の柄に手を添えたまま、気配を殺して馬車の周囲を見回る。


 だが周囲には何も居なかった。


「やはり気の所為・・・野生動物の類だったか。何も無かったのは運がいい。」


 十吉が刀の柄から手を離して息を吐いた。


 馬が怯えなかったとは言え、あの雨の中を普通の者が歩くはずもなし。仮に歩いていたとしても木の下に走るはず。十吉とおきちは自身が気配を読み間違えるはずがないと思っていた。


「幽霊か怪異の類であったのだろう。兵士だった頃も昔の話にしなければならんかな。」


 十吉とおきちが自分に言い聞かせるように溜息混じりに呟いた。それから御者台に戻ろうと踵を返した。


「家族の時間に水をさしたみたいだな、悪い。」


 男の声。木の影がら。


 十吉とおきちが声の方へ体を向ける。同時に刀の柄に手をかけた。緩んだ気が一瞬で張り詰める。


 木の影には真っ黒な外套に見を包んだ男が座っていた。


「そんな邪険にしてくれるな。お前さん達をろうって腹積もりなら、お前さんが馬車の中にいる時に終わっているよ。」


 そう言いつつ男が立ち上がった。


 十吉とおきちより一回りは大きな男だった。長身痩躯、真っ黒な外套がこの男に異彩さを与えている。


「・・・貴殿は何者であろうか?」


 十吉とおきちが問う。この男について何らかの情報を引き出さなければ。


餓狼がろう。本来の名は捨ててしまった。これは通称だ。失礼とは思うが、許して欲しい。」


 名を聞いた十吉とおきちが眉根を寄せた。そして、息を飲む。


 餓狼がろうの目は真っ赤。まるで怪異だ。


餓狼がろう殿はこの場で何をしているのですか?」


 十吉とおきちの問を受けて、餓狼がろうは呆れたように肩を竦めた。それから天を指差す。


「見て分からんか。どう見ても雨宿りだろう。お前さん達もそうなんじゃないのか?もう晴れそうだが、さっきまで土砂降りだったからな。この先の集落に用事があって出向いていたのだ。その用事が終わって街に戻る途中に大雨・・・お陰様で一張羅が台無しだ。」


 餓狼がろうの着物の裾から籠手が出ている。


「そうでしたか。無礼な態度、お詫び申し上げます。」


 十吉が刀の柄から手を離した。餓狼がろうからは敵意を感じなかった。


「雨も落ち着いてきたので、私達は先に出ようかと思います。」


 そう言って十吉が一礼する。


 急いで御者台へ向かう。出発の準備をしているとサナが隣に座った。


「どうしたの?そんなに急いで。」


「・・・死神がいた。不幸が起こる前に離れなければ。」


 餓狼がろうの姿を見ていないサチには、十吉とおきちが何を言っているのかが理解できなかった。それでも、準備を終えた十吉とおきちが馬を走らせ始めた。

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