藤重つるねは怖がりの月

堺栄路

藤重つるねは怖がりの月

 あの子は空っぽなのよ。なりたいじぶんも無いんだわ。

 方位磁針もなしに海を進むような、おかしなアイドルなのよ。


 ○


 やっかみを受けるのは慣れっこだ。星夜のように輝く世界だけど、光の底の暗闇の中では黒い炎が渦巻いているのだから。

 そんな炎の熱で生まれた風を、帆のように広げたスカートで受けて私は浮き上がる。そして誰よりも高い空で輝く太陽になるの。スカートには目一杯のきらめきと、ふわふわのパニエも忘れずにね。

 だから、むしろありがとう。貴方がたの夢も背負って、私が空を飛んであげる。

 千の言葉は千の風。万のやっかみは大っきな扇風機だわ。

 

「彼氏も出来たこと、ないんでしょうね」


 欲しいと思ったことない。

 誰かを愛し愛されるなんて、ステージに立てば十二分にあるんだから。

 一人だけの愛じゃ満足できるんだ。

 あんなに美しくて、楽しい光景を知らないのね。

 勿体ないなあ。


「学校いってないらしいわよ?」


 そう。それがなに?

 経験なんて要らない。未来も要らないの。

 いま、輝く太陽になれればそれでいい。

 私は”藤重ふじしげつるね”でいられるためなら、何だってやってやるんだから。


 私の内側が空っぽなんて、そんなの誰より知ってるわ。

 そんな私が嫌だから、私は藤重つるねになったの。


 誰よりも綺麗で、誰よりも笑顔が似合う、世界最高の女の子。どんな人にも優しくて、キラキラしている。一億の歓声と二千のシュプレヒコールを受けながら、真っ白いステージの上で指を突き上げるの。


「藤重つるねは、最高にしあわせものです!」


 ステージを跳ねて、私は踊る。

 指の先まできらめきを込めて、努力の傷を可愛い衣装の中に隠し込んで。

 みんなに光とぬくもりをあげる存在になる。

 みんなの祈りと想いを一身に受けて、自分を燃やして輝く一等星に。


 そのためなら、身を燃やし尽くしても構わないの。


 ○


 それはバラエティ番組の撮影の帰りのこと。

 楽屋から出た私は、低木ていぼくの間から人間の頭と目が合った。


「きゅぅ」


 小動物みたいな鳴き声をあげて、その顔は引っ込んでしまう。

 私は周囲を見回してから——その低木に手を突っ込んだ。壺の中の蛇みたいに、にょろにょろと少女が姿をあらわす。自信なさげな下がり眉に、すぼめた口をしている。あまり話したことはないけれど、何回か共演したことがある。


「”カレンシぃず”の朝守あさもりカレンさん、ね」


 ”カレンシぃず”は女子中高生による5人組アイドルユニットだ。全員が”カレン”でという名前なのが特徴で、だから彼女たちは、それぞれを赤青黄桃黒……のように、色で自分を表現する。朝守さんは青がイメージカラーの、高身長クール系美少女、という触れ込みの子である。バラエティ番組でも口数が少なくて、他のメンバーの影に隠れがちな子だ。

 だが、そういう奥手な感じが好きなアイドルオタクも多い。むしろ派手な子より好かれる傾向はあるかもしれない。奥手なだけでは弱みだが、彼女の仕草や表情、立ち方からにじみ出る気品のようなものが、ファンの心を掴むのだろう。よく云う「俺だけが知っている彼女の魅力」的なやつである。


 そんなクールな雰囲気とは裏腹に、今の朝守さんは顔を真っ赤に染めていた。

 具合悪いの? そう訊ねると、首を激しく横にふった。


「ちが、ちがうんです。つるねちゃんが、私なんかの名前を覚えてくれていて、びっくりして」


 共演者の名前は全部頭に入っているんだよ。……彼女が嬉しい言葉はこれじゃないな。


「美人な子は忘れないよ。目を惹くもの」


「きゅぅ」


 低木から伸びたタケノコは、紅ショウガみたいな色に染まる。ちょっと面白くなってきて、もう少し言葉を重ねたくなった。けれど、今はそこじゃないな。低木を挟んで話し込むアイドル2人というのは、もう相当に変だ。それは藤重つるねの味じゃない……と思う。


「ねえ、カレンさん。こんなところで何をしていたの? 捜し物? 手伝いましょうか?」

「あ、う……。だい、じょうぶ、です」


 両の手を祈るように合わせながら、朝守さんは目を泳がせる。いつも彼女がつけていた腕時計がなくなっていた。大人の男がつけるような銀の時計で、それは大人びた彼女の振る舞いによく似合っていたのを覚えている。


 うーん——今日の服、お気に入りなんだけどなあ。


 近くの低木をそっとかき分ける。

「落としたのはこの辺なの?」

「あ、ええと、その……」

「”落とした”のはこの辺?」


 彼女の目が変わる。

「あ、うん。楽屋にもスタジオにもなかったから、あるとすれば……」


 それだけ聞ければ十分だった。

 近くにいた守衛さんにも声をかけて、私たちは木々の中をかき分ける。

 その三十分後、低木の枝に引っかかっている時計をみつけた。

 誰かが放り投げたみたいな所にあるね。と、何も知らない守衛さんは苦笑する。

 彼女は困ったように笑う。

 

 この件をきっかけに、私と朝守さんはよく話すようになった。


 ○


 数日後、カレンさんと私は喫茶店にいた。

 ”藤重つるね”はカフェインが苦手なので、飲むのはルイボスティーである。カレンさんはかわいらしく抹茶パフェを頼んでいた。その手もあったか。


「いいの? おごりなんて」

「時計のお礼です。お茶だけで良かったんですか? パフェ美味しいですよ?」

「さっきまで町歩きのルポだったから」

 鯛焼き、ケーキ、おしるこ……甘い物はしばらくいい。

 藤重つるねはいただいたものは残さず食べる。そういう主義なのだ。

「ごめんなさい、気づかず」

「気にしないで。それより、何か話があるんじゃない?」

 カレンさんのスプーンが止まる。かなわないな、とつぶやく。

「すっごく失礼なことに当たるかもしれません」

 私はうなずく。「聞いて判断する」

「あの……本当の名前を、聞いてもいいですか?」

 

 本当の名前。芸名じゃない名前という意味だろう。

 藤重つるねは、そういう意味じゃ芸名だ。戸籍上の名前は別にある。だけど、戸籍上の名前を教えたところで、彼女には何の得もない。私は藤重つるねとして生きているし、それ以外は私を輝かせる燃料にすぎない。積まれた薪の名前を知らずとも、火は燃え続けるものだ。


「つるね、ちゃん? やっぱり、図々しいですか」

 おずおずとかけられた声で我に返る。

 すこうし考えて、正直に答えることにした。

 彼女もアイドルだし、ある程度は理解してくれると思う。

 昔もこういうこと、あったな。


「カレンさん、私はね——藤重つるねなの」

「本名ってことですか?」

 首を横に振る。いいえ、のジェスチャー。

「だけどね、藤重つるねなの。やがて、みんなを愛して愛される世界一のアイドルになる女の子。そのためなら他の事はみんな捨てたの。だから名前を教えたって、私を知ったことにはならない。その名は私の影ですらない。私を輝かせるための、薪のひとつにすぎないのよ」

「薪……でも、そんなの悲しくないですか。アイドルじゃなくなったら……」

 そう、アイドルにはタイムリミットがあるのだろう。だけど。

「その時はこない。私がアイドルを諦めるのは、呼吸を止めるのと同じ事だから」


 分かってくれただろうか。言葉は正直いって足りない。けど、千万の言葉を尽くして理解できるものとは思えない。緊張感が走る。

 カレンさんは目を見開いて、それからゆっくり息を吐いた。


「アイドルが好きなんですね、つるねちゃんは」


 どちらとも云えない言葉だった。

 失望を隠して、私はうなずく。

「ううん。これ以外にはね、ないの」

 藤重つるねである事以上に価値があることなんて、私にはない。


「どうして——そんなに強いんですか? どうしてそんなに、なりたいじぶんを思い描けているんですか?」

 顔をあげると、カレンさんの瞳から感情がこぼれ落ちそうになっていた。

 ドラマのワンシーンみたいな絵だ。撮影班のあの人なら俯瞰とかで取っちゃうかもな。あえて瞳を見えにくくして、視聴者を釘付けにするテクニックを……いけない、脱線だ。


「方位磁針もなしに……かな」


 彼女の顔が驚きに染まる。なんで、そのことを、と。表情は雄弁だ。

「陰口なんていくらでも耳に入るもの。誰が云ったかまでは知らないけれど」

 本当は知っている。赤と黄のカレンさんだ。カレンシぃずの切り込み隊長二人で、ガンガン前に出て目立とうとする野心家たちだ。前に出ずとも目立てて、自分たちより人気のある青のカレンさんのことが面白くないのだろう。

 よくある話だ。グループとはいえライバルだ。一生懸命やっているならなおさら、悪口なんて出てくる。それだけみんな懸命にやっているということ。

 カレンさんは唇を震わせる。

「上手くいってないんです、メンバーと」

「いじめられている?」

「……わかりません」

 時計を隠されるのは十分いじめだと思うけれど。それに私なりに調べてみたけれど、色々と良くない動きがあるのは確実だった。

 とはいえアイドルは学校とは違うわけで、大人に告発すれば解決できるものでもない。証拠も出てこないだろうし。ファンに告発させる手もあるけれど、間違いなく炎上するだろう。その火を使って舞い上がる人もいるけれどカレンさんにその器用さはない。


「こういう時大事なのは……あなたがどうしたいか、だと思う。アイドルでありたいか、そうでないか」

 アイドルを辞めたい程なら、手段は正直いくらでもある。

「……わかんなくなりました」

 そういって、彼女はポツポツよ話し始める。

「最初は憧れだったんです。つるねちゃんをテレビで見て、私も成りたいって……。その夢は叶って、私は今ここにいる。こうして憧れだったつるねちゃんともお茶ができたし、良いことがないワケじゃ無い」

「うん」

 笑顔になりそうなのを、鍛えた表情筋で押さえ込んだ。

 数千の愛を受けるアイドルだって、面と向かって好きと云われたら嬉しいものだ。

「でも……私自身は何も変わってないんです。臆病でコミュ力なくて、面白いトークもできないし、振り付け覚えるのも苦手だし。いつもそうなんです。なのに、ファンの人たちは”私が一番好き”なんて云ってくれたりして、なんだか、申し訳なくて……」

「だから、他の子に妬まれるのも当然って?」

 カレンさんはうなずく。

 私はストローをくわえて少し考える時間をつくる。


 どう答えたものか。

 アイドルやっている以上妬みやっかみなんて日常だ。みんなが命を削って自分をダイアモンドのように輝かせているのだから、当たり前だし避けようもない。むしろ健全であるとも思う。みんな頑張っているんだなと、私も頑張らないと、とも思う。

 だけど、それは藤重つるねの話だ。

 朝守カレンの話ではない。

 彼女は今、味方がいないのだろう。

 だから私につながりを求めた。「本名」なんて仮初めの形まで欲したのだ。

 

 うーん……困ったな。

 他人のやっかみなんて、受け流せばいいのだけど、相手はグループメンバーだ。


 ——つるねには分からないよ。あなたは特別、だもんね。

 

 昔云われた言葉が胸を締めつける。

 そんなことないよ、と今なら云えるだろうか。

 私だって、努力しているんだよ。隣でずっと一緒にやってきたじゃない。

 あなただけは私を知ってくれていると思っていたのに。

 なんで……そんなことを云うの。

 何も知らない人みたいなことを……。


「つるねちゃん?」

 カレンさんに呼びかけられて、現実に戻る。

「あ……ごめんなさい」

「もしかして具合悪いんですか? ごめんなさい時間使わせて……!」

 立ち上がるカレンさんの袖を、私は思わずつかんでいた。

 つらくて、いたたまれなくて逃げ出そうとする、あの時と重なって見えたから。


 ああ、そうか。


 だから、私は、この子が気になっていたのか。


「ちがうの。カレンさん。私ね、少しだけグループ活動していたことがあったの」

 カレンさん少し首をかしげてから、ゆっくりとうなずく。

「フラワーバケッツ、ですよね。半年限定の期間限定ユニット」

 さすが、よく知っている。

「本当は喧嘩別れだったの。半年しか持たなかったのね」

 誰にも云っていなかった秘密だ。だって、藤重つるねは喧嘩なんてしない博愛主義者なのだから。

 あの子たちは私を除け者にした。それは構わないけれど、チル(私のファン)を馬鹿にされたのだけは、まったく許しておけなかった。アイドルがファンをないがしろにしたり貶めたりしたら、それはおしまいだ。

 今思い出しても腹が立つ。

「でも、つるねちゃんはチルのために怒ってくれたんですよね」

「あの人たちは私を照らしてくれるスポットライトだから。チルがいないと私は輝けない。みんなはアイドルを太陽と呼ぶけれど、本当は月なのよ。色んな人たちの光や力を受けて光るの。それを勘違いしているのは……許せなかった」

 ルイボスティーの氷が溶けて、からん、と音を立てる。

 私は首をふった。

「まあ、私の事はいい。ねえ、カレンさん。伝えたかったことはね……」

 カレンさんはうなずき、両の手を合わせる。


「云いたい事があるなら早めに話した方がいい。ぜんぶぶちまけちゃえ」


 カレンさんの口がぽっかりと空いた。

「え、ええ、えー……。みんな仲良く、とかじゃないんですか?」

「表だけ仲良くなんて、長続きしないもの。メンバーなんて特にね。アイドルを続けていきたいなら、なおのこと話した方がいいわ」

「えと、わたし、アイドルを続けたいっていいました?」

 彼女の顔をうかがう。

「顔に書いているもの。喧嘩になるかもだし、お互い傷つくかもね。だけど、一歩踏み出さないと変わらないことって沢山あるんだから。知っているでしょ?」

 一歩踏み出す決心をしないと、アイドルにはなれない。

 貴方は自分の意思でなったんだから。

「で、でも……」

「私が保証してあげる。貴方は大丈夫」

「つるねちゃんは、喧嘩して後悔してないんですか?」

「全然。正しいと思うことをぶつけ合ったから……ああ、でも……ひとつだけあるかも」

 私は息を吐く。

「一発殴っておけば良かった」


 ○


 それから、カレンさんと仕事が合わない日々が続いた。

 進捗を聞きたかったけれど、テレビに出ているカレンさんは赤と黄色のカレンさんと一緒に泥に突っ込んで笑っていたので、まあ大丈夫だろう。

「泥パックみたいなものですね」とか。


 私は今日も変わらず忙しい日々だ。

 レッスン、テレビ収録、グラビア撮影、レッスン、時々ライブ、握手会ときて、またレッスン。

 身体はくたくた、睡眠不足は日常、好きな物だって沢山は食べられない。

 でも、それでも、まったく構わない。

 ——藤重つるねに成る前に比べたら、なんてことはない。


 引っ込み思案で、人見知りで、冗談一つ云えない根暗な女の子。

 親が勝手にアイドルに応募して、死ぬほど泣きじゃくって。

 それでもアイドルのライブをみたら、ころっと心変わりしちゃった、馬鹿で単純な女の子。

 もうあの子は薪の中。だけど、それでいいんだ。

 舞台の上で、私は天へと手を伸ばす。

 星の海のなか、キラキラと輝く私になる。


「ありがとうみんな! 藤重つるねは世界一のしあわせものです!」


 負けないからね、カレンさん。

 だって私は、世界最高のアイドルになるのだから。

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