第21話

21


「で? 何処に行ってた訳?」


後日のことである。


先日、大学から飛び出して国堂のもとへと向かった俺を不審に思った早瀬がそう尋ねてきた。


「危ない組織の女のとこ?」


(半分当たりで半分ハズレってとこだな)


割り箸ですくった白米を口の中に入れながら、早瀬の顔を見て冷静にそんなことを考えた。


「……早瀬の知らない奴のとこ」


当たり外れは答えずに、嘘のない狡い返答をした。


「えー、なんだよそれ。勿体ぶんなよ」


「勿体ぶってる訳じゃない」


早瀬がコレを聞いたとして、何の得にもならない。恋愛沙汰の話をしたいだけなのかもしれないが……。


(きっと、こういうのは求めてないんだろうな)


キラキラとした、爽やかな甘酸っぱい青春の物語など、俺と国堂の間には成立していない。

あの後も「好き」「付き合う」「愛してる」などのクサイ台詞の一つも出てくることはなかった。


学生の追い求める眩しい理想とは程遠いもの。


これからもずっと好きでいる、アンタが一番だ、なんて無責任なことを言うこともなかった。


互いが互いに、不確かな未来の自分たちを擁護していたのかもしれない。


俺にとって、今まで出会った中で、国堂麗士という男が一番の理想の人間だった。

向こうもそうだ、なんて断言は出来ないが、同じようなものなのだろう。


これまでで互いが想う相手の理想像が、互いだったならば、それは両想いである、ということにした。


純粋なんてものではない。

素晴らしい性格が、麗しい容姿が、こんな出来事で惚れてしまった。そんな少女漫画のようなことではなかった。


底知れない自分の欲を満たす、満たしてくれる。酷い言い方をすれば、自分にとって都合の良い相手。

だが、それが人間らしい恋物語な気もしている。


好き、なんて感情は、自分勝手なものだ。

自分が好んだものを選んで、それを自身のものにしたいという欲になる。

どれだけその理由が、甘ったるい青春のような理由であっても、結果的には、そんな欲が働いたものに過ぎない。


運命の人。結局は自分の好んだ人間のことだ。



それで表すならば、俺の運命の人は、国堂麗士だ。……少なくとも今は。一生そうだとは言わない。根拠のない断言はしない。未来が見える訳では無いのだから。


浮ついた言葉に出来ないのは、十代という壁を越えてしまったせいだろうか。

冷静に勝手な自論で恋愛の本質なんて考えている自分が哀れにすら思えてきた。

楽しいや、ときめきだなんてものは無くてもこれを恋愛の一つだと、俺は思っている。


「少しくらい教えてくれてもいいじゃん」


「知っても早瀬には何も得になることはないぞ」


「その子の伝で良い子紹介とか出来ない?」


(……ヤクザの強面な男たちなら紹介出来るかもな)


呑気にそんなことを考えたが、早瀬は全く求めていないだろう。


「お前が可愛いと思う子は、紹介出来ないと思うぞ」


頭に浮かぶ国堂組の敷地内にいた顔や、国堂と一緒にいた運転手の顔を巡らせるが、早瀬のタイプはいないだろう。……多分。


早瀬は「ちぇ」と言って、おにぎりを片手に持ち、一口がぶりと噛み付く。



こんな早瀬との会話も、何気ない大学の授業も、嫌いな訳ではない。

こんな平穏な生活が嫌いとかそういう話ではない。


淡々と波なく生活を過ぎていれば、それが一番だと思えていたのだろう。

あの男が、大きく波を立てたせいで、それが一番ではなくなった。一番ではないのだと、気付かされてしまった。


(……一定のリズムで進む生活を、崩すアレが刺激となり、心地良い。その心地良さを求めれば、あの男の存在を求めるのと同じだ)


命の危険を生活の取り入れたいなんて考えは無い。必要なのは、刺激。


あの男の思考、行動、言動、表情、仕草、何を取っても、俺の中にある芯のようなものをぐらつかせる。そうやって俺の中を変えてしまう。


俺があの男の一番好きなところがそれだ。


歪んだように思えるが、悪い事は一切ない。

金も身体も関係ない。浮気、不倫なんてものでもない。


俺を、日常を、いとも簡単に崩して変えてしまうあの男が良い。

こんな考えの俺をごく当然に受け入れる頭を持っている、理想以外の何物でもない。


煌めいたものはないが、これは確かな好意だ。


理由はなんであれ、互いが互いを最も欲して、欲されているのならば。

互いを理解し合えているのなら、皆の言う理想の両想いの形に違いない。


歪んではいるかもしれないが、不純なものは含まない。

純粋ではないと思っていたが、不純物がないならば、それは純粋な物なのかもしれない。


きっと俺たちの間にあるのは、他には理解出来ないような歪んだ純粋な気持ちだ。


(俺のタイプは、国堂さんアンタだ。……腹が立つから絶対言わないけど)



☆☆☆



「いらっしゃいませ……」


夜中二時を回った。今は客一人いない店内。

そこに鳴り響くのは、よくあるコンビニ入店のチャイム音。


聞こえたから反射的に「いらっしゃいませ」の声が出るのは、コンビニのバイトが自分に染み付いた証拠だ。



ワイシャツは皺が目立つ。ネクタイの締め方が甘く、だらし無い。


長髪を後ろで一つに結っているが、所々毛が浮き出ている。



薄く白いシャツから透けて見えるのは、男にしては色白な肌に栄えた黒っぽい柄。大きな龍が刻まれ、所々に花……確か、薔薇だっただろうか。


五百ミリリットルのペットボトル飲料と、大きめのコンビニ弁当。

それを持って、レジ前、俺の前に立ちはだかる。スラッとした背の高い男。


「……温めは」


接客業だというのに、元気の欠片もない声で、相手に尋ねる。短気な客ならブチ切れも良い対応だ。


この男がそんなことをする訳がないことは、俺もよく知っている。


「ん、頼むわ。……あー、あと」


言いかけた男は、その続きを言わずにニヤニヤとこちらを見て、顔横に垂れ下げた触角のような髪の毛を揺らす。


俺は一度眉をピクリと動かして、男に背を向ける。振り返れば並んだ煙草の棚。

二百近い銘柄の中、俺は迷わず一つの煙草の方へとゆっくり歩く。


指でその棚を横になぞる。一点でピタリと止めて、数秒そのままにしていた。



「……なぁ」


背後の男は、一つ声を掛けてくる。俺は返事もしなければ、振り向きもしなかった。


「……終わり、何時なん?」


胡散臭い関西弁。店員に上がりの時間を聞いてくるなんて怪しい。普通であれば答えたくなどない。というか、男の俺に聞く意味も分からない。


口を閉じたまま、止めた一点から僅かに指を横にずらして、カコンと、煙草を一箱取る。


そのままレジ台まで持っていき、当たりか外れかも聞かないまま、バーコードを読み込んだ。


「無視は酷ないか?」


弁当温めを頼まれたことを思い出し、バーコードを読み込んだ弁当を電子レンジに突っ込む。

袋を開いて、箸とペットボトルを入れた。



「聞いとんの? …………澄華君」


狐目の男は、俺の名前を呼ぶ。少し嬉しそうにして。


「……1420円です」


パッパと慣れた手つきで会計業務を終わらせようと、金額を口にすれば、男は台に置かれた煙草の箱を手に取る。


「……これ、メンソールやんけ」


「……違いましたか」


「白々しいなぁ。知っとるやろ」


(……知ってる。マルボロボックス、十四)


台に置かれたのは、マルボロメンソール、タール数八。

箱をカタカタを振りながら、間違いを告げてくる。


そんな呑気な会話をしていれば、温めが終わり、チンと、軽い音が鳴ったので、弁当を取り出して袋に入れる。

揺らされた煙草の箱を男の手から取り上げるようにして、取り去る。


そして、そのまま袋に入れた。


「…………違うなら、後で取り替えに来てください」


「…………」


抑揚のない俺の声は、男にそう放たれた。男はシン、と黙る。


そして間を置いて「いひっ」と不気味に笑う。


「……後、って……いつ頃やろか」


「……八時前くらいが、いいですかね。……俺が退勤する少し前に、取り替えに来てくれると嬉しいです」


丁寧に指定してから、レジ袋の持ち手を差し出す。


そうすれば、長く、ゴツイ指輪のついた指先がその持ち手に指をかける。


そして、渡した袋の持ち手から俺が手を離そうとすれば、持ち手にかかっていた指が、するりと俺の手の甲を撫でた。


「……それは、迎えに来い言う話か?」


「…………取り替えに、来いということです」


「なんやビクビクしとった可愛げのぅなったなぁ、澄華君」


「今更、ビクビクするも何もないんで」


「……ひひ、まぁそういう反抗的なんも嫌いやないで」


手の甲を撫でてから、手首をガシッと掴まれる。俺は驚くことも無く、視線だけ僅かに上にあげて、男を真っ直ぐ見る。


「……なんすか。……麗士さん」


暫く経てば、向こうから名前で呼んで欲しいなどと申し出てきた。

甘酸っぱい青い春には似合わない二人ながら、何だか子供みたいな恋愛ごっこのやり取りで、少しだけ笑えた。

その頼みはすんなりと受け入れてやった。


「来い……言うんは、誘いやろか」


口角が一気に引き上がる。ニタリと悪く笑う。細い間から見える瞳にゾクリとする。


「…………好きに、受け取って下さい」


努めて冷静に返したつもりだった。


「……ふふ、八時、な。……了解」


掴まれた手首は、ゆっくりと台の上に置かれ、男の指は離れていった。


袋を乱雑に持ち、背を向けた男は、持たない方の手を肩あたりまであげて、ヒラヒラと横に振る。


「……また、後でな。澄華君」


そう言って、自動ドアをくぐった国堂を見送ってから俺は「ありがとうございました」と呟くくらいの声で放つ。


こんなやり取りは、関係を持って何度目だろうか。よく飽きもせずに……と思うが、それを多少なりとも楽しんでいる自分もいるので、人のことは言えない。


掴まれた手首を自分の目の高さまで持ち上げる。


(……誘いか、誘いじゃないか……、すぐに分かっただろうに)


わざわざ問うてくるあたり、本当に腹立たしい男だ。


俺は一つ欠伸をする。


今日も、約六時間後にもう一度訪れるであろう狐目の男を待ち焦がれることとなるのだ。

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俺は狐ヤクザに恋をしない 楠永遠 @Kusunoki821

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