第16話
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一人外出をした宗士は、俺の隠れる方へと足を進めていた。気配で気付いた訳でこちらに近付いているのではない、ただ単に煙草を買いに行くためらしい。
国堂組の本家。恐らく、この兄弟の実家。
交通の便を利用し、一時間弱かけて足を踏み入れようとしたのに、実際にヤクザでありながら、金持ちの部類である国堂組の家を前に怖気付いていた俺。
そこに現れた救いの手を取らない訳にはいかないのである。
そろり、そろり、と俺は、彼の背後に寄りながら、声を掛けるタイミングを伺う。
声を掛けること一つにも臆している自分が嫌になる。
(相手がヤクザ、というのもあるし、そもそも人に話し掛けることも苦手だし仕方ないと言えば、仕方がないことなのかもしれないが────)
これまでの自分の生き方が虚しいものに思えてならない。全てにおいて受動的なものばかり。
ようやく行動を起こそうという気になれば、こんな自己嫌悪へと陥る。
「────おい」
「……!?」
そんな嫌悪で頭を悩ませている場合ではなかった。
暗い気持ちでのろのろと歩いていれば、目の前に白いシャツの襟と黒のネクタイの結び目がある。低音の「おい」が耳に入れば、そこでやっとハッとした。
「後ろからついてくるかと思えば……、何か俺に用か」
やはり国堂と兄弟とはにわかに信じ難い。話し方も堅く鋭い印象で、圧が押し寄せてくる。きっとこういった生業なのであれば、これくらいの方が良いのかもしれない。
下手に相手に舐められることもないのだろう。
(あの男が異端なだけなのか)
唾を多く飲み込む。噎せそうになった。しかし噎せることを忘れるくらいオーラ、雰囲気に圧倒されているみたいだ。咳ひとつ出てこない。
「あ、あ、あの……っ」
言いたいことは決まっている。ちゃんとした文脈は考えいなくとも、明確な内容は頭に浮かんでいたはずだった。
口が上手く回らない。
(国堂麗士はいるか、呼んで欲しい、それを告げれば良いだけだ)
それだけで良いはず、なのに────
「……っ、その、…………少しっ……お話、しましぇんか……」
この様である。圧に蹴落とされ、自分の伝えたいことを告げれることは出来ず、思考回路を猛スピードで回転させた結果、出てきたものがこれであった。
(……噛んだし、別に話す内容もない……。ただ頼み事をしたかっただけな、はずだったのに……)
口から出てしまったものはどうも出来ない。急いで訂正する余力も残っておらず、慌てた状態の俺を宗士は暫く見ていたが、一度顔を逸らす。
「……麗士に用か……。あいつなら今、外に出てる」
(察しも良い男だ)
顔を逸らしながらも、僅かに眼鏡のレンズがこちらに傾いていた。視界には俺の姿を捉えているようだ。
「……そう、すか……」
無駄足だったようだ。こんな所まで来たが、結果的に今日会うことは出来そうにない。
これ以上家の前で張っているのが組員にでも見つかれば、俺は怪しい者と判断され、敵か何かかと勘違いされかねない。
決心の末の行動でこんなことになるとは。
(一度冷静になれ、という神からのお告げだろうか)
衝動と本能ばかりに身を任せたことを間違いとでも言っているようだった。
まだ引き返せる、なんて囁かれているようだ。覚悟がグラグラな俺は、またあの男に気はないと言い始めそうだ。
「…………煙草を買いに行く」
「っえ、あ、すんません」
宗士は低くそれだけ言う。「用がないなら行くぞ」という意味だと思い、俺は一礼してその場を後にしようとした。
「……引き止めてすんませんでした」
そして無意味に足だけ運んだ国堂組の大層な建物から、最寄りの駅までの道へと踵を返そうとする。
「……付き合え」
俺の二の腕あたりを大きな手が覆ってそのまま握るように掴まれる。
突然のことで足を返した俺は宗士に引かれ、身体がよろける。
「ぉわっ」
「すぐそこだ。……話もある」
首根っこを掴まれてズルズルと引きずられた国堂相手のような乱暴さはないが、腕を強く引かれて半ば強制的に連れて行かれる。
(……は、話……?)
確かに話をしないか、と提案したのは俺だが、俺には話す内容などない。
しかし、逆に宗士の方から話があると言われる。
(ヤクザから話があるなんて、言われると……、何だか怖くなるな……)
決して悪いことをした訳でもないが、こういった種族の人間にそんな口を開かれれば、何か問い詰められる気がしてしまう。
しかし俺はその誘いか、問い詰めかは分からないが、煙草を買いに行くという宗士について行くことしか出来なかった。
宗士が俺に話があるというのだから。
☆☆☆
(……セブンスターの十四……)
近場にあったコンビニに入れば、宗士は俺が黙って従うように後ろを歩けば腕を離した。
そのまま何を手に取る訳でもなく、真っ直ぐレジの前に立つ。
相手の店員は若い女だった。見た目からしてスーツに色眼鏡。雰囲気がかなり柄悪く、圧のある宗士を前に何だか顔を強ばらせていた。
番号と煙草の銘柄、タール数までしっかりと重低音な声で伝える。
(……やはり根からの優しい男なんだろう)
煙草を頼むのに、番号だけや銘柄だけを伝える客は多くいる。それならまだマシな方だが、メンソールなどの味も言わないくせに違うのを持っていけば半ギレしてくるのもいる。
間違いないように全てを伝える宗士は、煙草を買う客の中で良い方に分類されるだろう。
(そういえば、国堂も全部伝えてたな)
以前働いていたコンビニで、国堂をただの常連客程度にしか思えていなかった頃の話だ。
あの男の注文は決まっていた。
『あー、十九番のぉ、マルボロ十四、あ。ボックスの方な』
毎度毎度丁寧に言われれば、そりゃ覚える。だからあの日も宙に浮く指先が、十九へと揺れたからすぐに理解した。あの男が次に口にする言葉は何か。
雰囲気や話し方なんてのは全く別だが、育った環境が同じだからなのか、こういう所は同じであった。
容姿も似ている。顔の、特に目元なんてそっくりである。
黙ってそんなことを考えていれば、宗士は買った白い箱を片手に俺に目を向けて、外に出るというように少し顔をドアの方向へと動かした。
店前にある灰皿へと近付き、胸ポケットからライターを取り出す。
「……煙草、吸っても大丈夫か」
「あ、うす……どうぞ」
カチリとライターの火を灯せば、新品の箱を器用に開けて一本、煙草を取り出し先端を火に近付けた。
口に咥え、すぅと吸えば長い人差し指と中指で煙草を口元から離し、煙を吐き出した。
「……えー、と……すみ……か、君? だったか。麗士が呼んでたよな」
「……あ、窪塚です。窪塚澄華」
そういえばちゃんと名乗っていなかったことを思い出す。
自己紹介を簡単に終わらせれば、宗士はこちらを見たまま煙草をまた口にして、離し、煙を吐く。
「んで、澄華君は麗士に何の用があるんだ?」
「……」
これは答えにくい内容なのではなく、実際のところ何の用かは自分でも分からないのだ。
少し眉を顰め、考えるがいいモノが浮かんでこないので、正直に話すことにした。
「……正直な、話……、何でとか、何の用とかは……分からないというか……」
俺は意味も無く、両手を握り合うようにして、指で自身の手を弄る。
「分からない?」
「勝手に、身体が動いたというか、いてもたってもいられなくて……というか」
チラリと宗士の方を見れば、向こうも意味が分からないという顔をしている。俺だって、相手に同じことを言われれば言葉を失い、ポカンとするしかないのだろう。
「衝動というか……、会いたくなった、というか……」
ボソボソと悩むように言えば、宗士は「あぁ」と何かを思い立ったようで、何故か呆れたような面持ちになる。
「一目見たくなったか? こう言うのは吐き気がするが、見た目だけはいいからな」
(……何か、勘違いされていそうな)
言い方からはどう捉えるのが正しいのか分からないが、表情から宗士の言わんとしていることの意味は読み取れた。
俺のはソレとは違うものだと思う。
「……過去にも、変に気を持たせて追いかけられることもあった奴だ。……見た目はアレだが、中身は君が思っているような奴じゃ──」
やはり、と思った。
きっと容姿が良いことから、好意を抱いてストーカーのように追ってきたと思われている。
「……顔とか、見た目とかは、多分あんま関係ないっす」
宗士の言葉を遮るようにしてしまった。少し失礼だったかもしれないと、口に出してから気付く。もう遅い。
「……口も上手いから、それにのせられたか?」
「どうなんでしょう……、確かにタイプだとか何とか言われた気もしますけど……、それを聞いたから会いたくなった訳じゃありません」
これも否定に近いことを返せば、宗士は「じゃあ何で来た」という顔だ。
衝動に駆られたものだ。ハッキリと原因は分かり兼ねるが……、一つ思い付いたのは
「……腹が、立った……からでしょうか?」
「……腹が、たった……?」
答えを出したが、自分自身疑問形だ。それに宗士の中では謎は深まるだけである。
「……好意を抱いた、とか、一目惚れした、とか……、そんな言葉じゃ片付けられないモノを俺はあの人に抱いていたみたいなんです。……それを言い当ててきたあの人に腹が立ってきました」
「……意味が、分からないんだが……」
宗士は細い目をぱちくりと開く。
そりゃそうだろう。
「それを俺が気付いていないのに、あの人に気付かされて、腹が立った……んですけど、それが最悪なことに本当みたいで」
歪んだ欲。
見ず知らずだった男に、いつの間にか、そうして欲しいと抱いてしまっていた。
もしかしたら、一目見て本能が察知していた、なんて曖昧な考えにさえ至る。
「純粋な好きや恋なんかじゃなくて、俺は……あの人に壊されたかったんです、自分の日常を。……あぁ、ある意味一目惚れなんですかね……、あの人の雰囲気か何かで、そうしてくれる人間だと感じ取ったみたいなんで」
最初に煙草を口にしてしまったのは単なる偶然だったはず。いつもの自分であればしない、そうだ。した事など一度もなかった。あの日までは。
そう思うと、最初から何かしらの想いを抱いていたのかもしれない。もう覚えていないし、そうだとしても、少なくともあの時の自分は、気付いていないのだ。
「日常を、壊され、たい……」
ドン引きだろうか。理解が出来ないという顔だ。
そんなことを願うのはおかしな事だ、と。
「常に安全圏に篭って、安全な生活を送っていたのに、そんな平凡でつまらない生活に篭もり続けたのは自分なのに、心のどこかでずっも、それから脱したいという欲があったみたいなんです。でも自分では何も出来なくて、それをしてくれるような人を無意識に探していた」
「…………それが、麗士だと?」
何を言っているのか意味が分からない。自分でも。本当にそんな自分が自分の中にいるのかも未だに信じ難い。
俺は頷くか頷くのを止めるかの境目辺りに顔を動かす。
「違うって言いたかった。俺はそんなこと思ってないって、ハッキリ言いたかった……です、けど、一回も口には出せなかった……。結局、あの人に言われて、そうなんだって納得しました。……本心はそうだったんだと思います……今でもにわかに信じ難いですが……」
「自分のことなのに、か?」
依然として疑問ばかりの宗士は、そう尋ねてくる。そう、自分のことのはずなのに、だ。
「理性では反抗しているのに、本能や本心がそうだから、きっと、こうなってしまってるんです。普通でありたい理性はあるのに、普通じゃなくなりたい本能もいるから……、本能が勝ってこんな行動してるんです」
平凡で平穏で、波風立たない日常を願う建前、理性。
それを壊されたがっている本能。
壊された先の未来が不安だから、それを一緒に抱えてくれるような人間を探していたのかもしれない。
つまらない生活を壊して、一人でどうにも出来なくなるくらいなら、そのままで良かった。それ以上の何かを求めて、跳ね返ってくる不幸があるのなら、欲しくは無い。
だけど、壊されて、誰かが共に不幸を背負ってくれるならば、俺はそれ以上を求めたかった。
求めたものを叶えてくれる人間が、あの男であるから、ここに来た。それを本人言わなければならないと思った。
ここに来た理由は、これなのだろう。
一つのケジメ。決断……、いや覚悟か。
「本能を認めるために、あの人が必要なんです。欲しくなったんです。……だから、これは純粋で真っ直ぐな好きや、恋なんかじゃありません」
これは、ただの俺の欲求。
それを満たすことが出来る男が、国堂麗士。
あの男だと、直観が動いた。
きっと、俺が煙草の名前を口にしなければ、進藤という男が騒ぎを起こさなければ、国堂麗士が、俺に興味を示さなければ、俺はずっと平凡な生活を壊すことは無かったのだ。
偶然の巡り合わせというものだろうか。
見た目が格好いいから。優しいから。
そんな理由を持って好きになり、あの男を欲しいのでは無い。
この俺の持つ欲深い願望を叶えることが出来るから。
それをあの男は出来ると、本能が訴えかけてきたから。
だから、俺はあの男が欲しくて堪らない。
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