第12話
12
狐目で男にしては長い髪で、後ろに結べるくらいはある。
結び方も雑で、浮いた毛もあり、だらし無く結びきれなかった長い毛束が触角のように顔の横に垂れていた。
顔が整っているおかげでそれすら様になっている。
最初に顔を見た時に考えたことは、神様はある一定の人間にだけは多く良い物を与えるんだな、という事だった。
話せば結構変わった人間で。胡散臭い関西弁も笑みも、よくよく考えれば他人を馬鹿にした態度だったのかもしれない。
☆☆☆
「……ど、どっち……って、なん、すか……いたいっす……」
俺は顔を掴まれ、強引に引かれて前のめりになりながら、数回大袈裟な瞬きをしてから、国堂に問う。
国堂は俺の問い掛けに対して何も答えず、間を開けてから「ふはっ」と吐くような笑いをこぼした。
そのまま続けて「くくく」と歯を噛み締めて出した笑い方をする。正直不気味と言える。
俺を掴まない方の手で口元を覆う。
俺は近付いた端正な顔面から逃げるようにして、視線を外す。
「っ!」
それに気付いたのか、それとも偶然のタイミングかは分からないが、俺の顔を持ち上げる指全てに力が強く加わる。
輪郭の骨部分から段々と頬の肉を掴むようにされる。唇の横が少し潰れ、不細工になりかけている。やめて欲しい。
「物分りのええ子は、意味くらい分かるやろ」
「……よふないんへ」
物分りなど良くないと、歪ませた唇で告げる。
(別に、言っている意味がまるっきり分からない訳ではないけど)
単純な話だ。
押しに弱いか、引きに弱いか、という話だろう。
けれど、意味が分かるのと、自分にそれを当てはめるのでは話が違う。
「……いひひはんへ、ひへはへん」
頬を掴まれて人間の言葉も上手く話せない。「意識なんてしてません」、そう伝えたつもりだが、国堂がしっかりと意味を受け取れたのかは分からない。
「口は利口やないみたいやけど、目なんかが正直モンなんよ。澄華君は」
子供に教えるような言い方で国堂は、「ふふ」と笑いながら言う。
俺は押し黙る。目というのは恐らく視線のこと。嘘を吐く時に国堂から目を背ける、そのことを言っているんだ。
腹が立つから、どっちなどとも言いたくは無いし、そのどっちも俺自身では分からない。
(どっちの方……なんて)
自室で追い詰められてからと、この音沙汰なくなった数週間の間、どちらの期間がこの男のことを考えたのか。
(どっちも、どっちだわ)
近付かれて意味深な事を言われれば、そればかりを考えて。
パッタリと会わなくなれば、何故来ないとそればかりを考えて。
(……ふざけないで欲しい。ここ最近、この男のことしか考えていない)
思い返せば、国堂麗士のことを四六時中考えていた。その時その時は、そうは思わなかったはずなのに、今更過去を思えば、ずっと考えている。
「仲良うする言うたのに、避けられるんは傷付くわぁ」
温厚な喋り方。胡散臭い関西弁は、冗談らしく聞こえる。
「……オモロいから放っておいたけど」
子供のように悪戯っぽく笑う。本当に俺は弄ばれていたようだ。
(腹立つ。俺の数週間、色々なことを考えていた時間を返して欲しい)
その時間はただただ、この男を面白がらせていただけみたいだ。
──「おい、麗士」
一つ店内にチャイムが鳴る。ほとんど同時に低い声が入口の方から聞こえてきた。
「!」
国堂と一緒に店にいた男。色のついた眼鏡のせいで目元はハッキリとは見えない男。
そして俺に国堂に関わるな、と牽制をかけてきた国堂の恋人らしき男であった。
「……なんやねん。ソウ」
国堂を名前で呼び、恐らくソウというのは、この男の名前。そんな親しい仲なのだ。
目元は見えずとも、顔の動きで俺の顔を確認したことは分かった。
「……この前の……」
低く小さな声でソウは、呟いた。俺の事を覚えていたみたいだ。
すると、少し眉間に皺を寄せたのが分かった。
「……麗士。離してやれ」
冷たく、怒っているかのように吐き出す言葉。
これは嫉妬だろうか。勘弁してくれ。
「……ふぅ……」
言われて国堂の手は俺の顔から離れた。やはり、ソウの言うことには従うようだった。
溜息を吐いて、ゆっくりと腕を下げた国堂は、ズボンのポケットに手を入れた。
ソウも国堂と同じような高そうな革靴を履いていた。それを鳴らしながらこちらへと近付いてくる。
俺の目の前にモデル体型の二人が並ぶ。背もあり何だか圧を感じるし、二人よりも背の低い自分が惨めに思えて仕方ない。
「何してんだ、麗士」
「なにって……何? 別に何もしてへんやん」
(……目の前で喧嘩を始めるなよ)
どう見ても、恋人が他人に触れていることに嫉妬している状況じゃないか。
国堂に物言いたげだったが、ソウはくるりとこちらへと顔を向けた。
俺はそこで察する。何か面倒な事を言われるのではないか、と。
ドラマや漫画でよくあるやつだ。
「……おい、アンタ──」
低い声が鼓膜に響くと同時に、俺は反射的に口を開いていた。
「っかっ、かんちがい、ですっ!」
「……あ?」
不機嫌な返事をされた。でも変な敵意を持たれたくは無い。
俺は続けて口を開く。
「あの、その……、二人の、関係を邪魔するっ、とかは……そんな気は、ほんっと、ないっていうか……」
目の前がぐるぐると回る。精一杯自分の思っていることを伝えようとすればする程、文脈がおかしくなりそうだ。
「たま、ったま……! ちょっと、二人の間に、何かの歪みが入った、時に、俺みたいのがいてっ、それで、あのっ……」
「おい、何の────」
ソウは俺の言い分を止めようとするが、こちらはそんな訳にはいかない。事実を伝えて、あとは二人でどうにかして欲しいものだ。
「ていうかっ、俺みたいのに、国堂さんが! 本気な訳ないじゃないすかっ」
要らないことも口走るくらいには俺は冷静ではいられていないようだ。
「澄華君……?」
基本的には他人と会話しないタイプの俺は、普段であれば一言、二言しか一度には発しない。国堂の前でも今まではそれを貫いていたはずだ。
それが今はどうだ。必要のないことを言って、会話をややこしくさせている。
国堂も見たことの無い俺の話し方に少々驚いて、瞳を細い狐目からチラつかせていた。
もっと、伝わりやすい簡単な文言があるはずなのに。
「っぁ、えっと……だから、二人の……恋人関係に割り入る気も、ないんで……」
語尾にいくにつれて声が弱まり、小声になっていく。
それでも伝えるべきことは、伝わるように伝えたはずだ。
早口で要らんことをポンポンと吐き出していた俺の口は静かに閉じる。
そうなれば深夜の店内では、放送の広告の声だけが響いていた。
正面の二人も口を開く気配がない。俺の陰キャ混じりの早口に驚いて、意味をしっかりと掴めなかったのだろうか、と頭を過ぎる。
俯いていた自分の顔から、視線だけを上にあげて正面の二人へと目をやる。
そこには口は数ミリくらい開けている男二人がいる。
そして、段々と国堂の顔が歪んでいくのが、スローモーションに見えた。
(え……? 何だ、その顔)
そこから国堂は微かに歯の隙間から息を吸い込むようにして、すぅぅ、と長く音を鳴らす。
額に先程まで俺の顔を掴んでいた手の指先を当てて俯く。
俺がその動作の意味が理解出来ずにいれば、手で出来た国堂の顔にかかった影の部分から、チラリと瞳が俺を捉える。
ドキリとして唇を強く締める。
「……澄華君……、もしかしてぇ、気色悪ぅこと、考えてへん?」
「はっ?」
今までに見たことの無い歪な表情をした整った顔をした国堂が、こちらを見ていた。
何だか吐き気でも催した顔色をしている気がする。
俺はその顔と言葉に素っ頓狂な声を上げてしまった。
「何をどうしたら、恋人関係だなんだが、こいつと俺ん話で出てくんねん……」
先程まで俺の顔を掴んで、色気じみた悪戯っぽい表情を浮かべていた国堂の姿はそこには無くなっていた。
今はまるで嫌いなものを目の前に出された子供のような渋い顔をしている。
「……俺だって、お前と恋人なんざ御免だ……」
「!?」
国堂のみならず、ソウも表情を酷く歪め、重々しい溜息を低く吐いた。
(え、え……っ?)
頭の整理が追い付かない。
俺がずっと頭に住み着かせていた二人が恋人関係であり、喧嘩中故に、国堂がソウを挑発する材料として、俺みたいな子供を使った、なんていう仮定がボロボロと崩れ始めてきた。
「え、いやっ、だ、だって……」
しかし、それならば、と俺も口を出す。
「関わるなって……、そう牽制してきました、よね……? 国堂さんに近付くなって……」
ソウの方にチラリと視線を向けて、真っ直ぐは見れないながらも尋ねる。
そういう関係でないとすれば、あの牽制の意味は? 関わる気がないと言った俺に返した『良かった』の言葉の意味は、どうなる。
ソウに聞けば、それを耳に入れた国堂がピクリと眉を動かし、ソウを横目に睨むようにしていた。
「おい、お前なんか澄華君に言うたんか」
俺に話す時とはまるで違い、尖ったような口調で横にいるソウに問いかけた国堂は、何だか不機嫌である。
「……あぁ、アレか」
暫く俺の尋ねたことに関して考えていれば、思い出したというようにして、ソウは顔を少し上げた。
「仕方ないだろう。可哀想だろ、麗士の御遊びに付き合わせる身にさせるのは。まだ学生だろう?」
「っ御遊びって……、お前なぁ」
本当に喧嘩が勃発しそうであるが、何だかそれは恋人関係で起こるものとはまるで違っていた。
ソウは言えば両手をあげて「やれやれ」と呆れ果てて、仕方のないという仕草を見せつける。国堂はそれを見て余計に気分を悪くしたようで、眉間への皺が深くなる。
その顔を見れば、それなりに強面に近付くもので、ヤクザという肩書きは、確かに彼にもあるのだと実感させられる。
「……それに、国堂さんの、タイプって言ってたのにも、当てはまってるし……」
オドオドしながら俺は付け加える。
国堂を前にして全く媚びた素振りを見せないソウという男。
国堂が俺に言っていたタイプとやらに当てはまると考えられるし、何ならソウが意中の相手であるから、タイプが彼のような人間という意味で捉え始めていたのだが。
「……タイプって……」
「自分に関心がない人って、言ってたじゃないすか……」
国堂はこちらを見て、パチリと目を大きく見せる。そして無言になった末、「はぁぁ」と長く溜息を吐いた。
「こいつに関心持たれても気色悪ぅてかなわんわ」
(それは、つまり……どういう意味になるのだろうか)
国堂のタイプは、自分に関心を向けない人間であったはず。その後に何やら、段々関心を持ち始める目が良いとか言っていた気もするが。
「……でも、それじゃ、やっぱり当てはまって……」
(こんな綺麗な整った顔が傍にあっても靡かないなんて、タイプど真ん中じゃないか)
主張を強めるように俺は再度尋ねようとすれば、国堂は、額に置いていた自分の手の親指をソウに指し向ける。
「関心なんて持つはずないやろ。
────弟なんやから」
俺の中の時間は一度止まる。全身が固まったようだった。
口も半開きで、目も開いたまま閉じることは出来ず、俯きがちになってレジ台の上を見つめていた。
徐々に入り込んでくる国堂の言葉。
言葉一つ一つの意味を理解し、頭の中で組み立てていく。
(……は?)
「は?」
俺は思ったと同時に口からも漏れていた。その一文字。
ソウは眼鏡の柄の部分を持ち、ゆっくりとそれを外した。
ようやくお目にかかるソウの目元。眼鏡を外し、眩しさから目を瞑っていた。
左の瞼には、痛々しい傷の跡らしきものが残っていた。
「……
疲れきった顔で国堂は、親指を微かに動かしてそう口にする。
名を言われ右目だけが僅かに開く。左は傷のせいか開く気配はなかった。
開いた右目も大きくは開かず、黒い瞳がポツンと覗く程度である。
驚いた俺の目に映されたのは、国堂とよく似た細い狐目であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます