第11話
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(やっぱり暇潰しの遊び程度だったんだな)
そう思ったのは、飲み会の一件から数週間経った頃であった。
案外自分が行動力のある人間であると、二十歳を超えた今、初めて知ったことだ。
国堂麗士という男を避けるために、あの男と出会った場である、深夜の客数がほとんどない廃れたコンビニでのバイトを辞めた。
あの日の翌日、店へと赴き、なかなか会う機会のなかった店長にその旨を伝えた。
突然の事だったので申し訳なく思ったが、適当な理由をつければ、向こうも引き止めることはしなかった。
そうは言っても一人暮らし。学費に生活費にその他諸々。どう考えても、何もせずにそれらの金は俺のもとには入ってこない。
わざわざ大学の奴と会いたくないから、と避けたコンビニで今は働く。
力仕事があまり出来ない質なので、コンビニが一番良いのだ。接客業が得意という訳では無いが、深夜帯で働けるのなんて、コンビニくらいだろう。
(……変に気にして用心していたのが阿呆らしくなってきた)
バイト先に、電話番号。家の場所すら知られていた。
進藤の一件があった日。そのまま半ば無理矢理家に押し入るくらいに強引な面を見せてきたので、バイト先を変えただけで、国堂が引き下がると思っていなかった。
数回電話はあったし、メッセージらしき通知も見た。全てを無視して二、三日もすればパッタリとそれらはなくなった。
直接家に来られる、という可能性を考え、その電話やメッセージが来ていた二、三日は早瀬の家に泊めてもらった。
早瀬は「何だ突然」という顔であったが、すんなりと承諾してくれた。
ここ最近で分かったのは、陽キャな早瀬が思った以上に他人への配慮が素晴らしいということだった。
(仕事内容は知らないが、人の個人情報なんて簡単に手に入れられるような立場なんじゃないか……?)
早瀬のお姉さんたちがやっている店で、早瀬の大学を聞けば、必然的に俺の大学もそのまま筒抜けになる。
しかし、国堂は一度として大学周辺に姿を現したことはなかった。
今では自分の家に帰っているが、特に変わったことも無く、国堂は俺の前に現れることはなくなった。
(粘着質かと思っていたが、バイト先変えただけで、すっぱりと止める男だったんだな)
長年の付き合いなんてものではないのだから、あの男がどんな性格か、なんて知らない。
ただ、半年間バイト先で接客をしただけ。しっかりと会話をしたのは、時間にして三日くらい。
「はぁ……」
大きな溜息が漏れる。
たかだかその程度の時間しか接していない男にどれだけ翻弄されているんだ。
会わなくなってからも、結局今だって、あの男のことを考えている。
(……芽生えたものを枯らすのは、なかなか難しい……)
あの男にとって、俺はただの遊び道具の若僧でしかなかった。
そんな奴を変に意識し始めれば、それを終わらせることも出来ない自分が虚しくなる。
平凡で、何かに脅かされることも、感情を強く揺さぶられることもなかった平和な日常。
(主張したかった。お前なんかに壊されてたまるか、と)
しかし、既に俺の日常はあの男に打ち砕かれていたようだ。今更、負けんとしても意味は無い。
あの、名前と電話番号を書かれた紙切れを渡された時から始まっていた。
そこで亀裂が入り、助けられたことで、ひび割れが起き、甘く弄ぶだけの口車で、壊された。
なんて自分は単純な生き物なんだ。
耐性がなかったんだ。常に平穏で波の立たないところを生きていたのだから。
そんな小さな出来事が重なれば、波が段々と大きくなってしまった。
「ここずっと浮かない顔してんな」
大学の食堂で早瀬が俺の真向かいの席に、うどんをお盆に乗せてやって来た。
机に伏せていた俺に、早瀬はそう言うと、うどんを啜り始めた。
「あの日……、ウチの店、来てからずっとそんなんだよな」
「……そう、かもしれないな……」
間違えなくそうなのだが。
早瀬は俺と国堂が知り合いであることすら知らない。わざわざ話す必要もない。
そして早瀬が、その事を知らないということは、国堂が早瀬のお姉さんたちに何か俺について聞いたなんてこともない証拠だ。
そうだったならば、すぐに早瀬のもとに国堂の話がいくだろう。早瀬があの男に関することを口にしたことは一度としてない。
「バイトも変えたかと思えば、またコンビニって……、どういうこと?」
意味が分からないと軽く笑いながら問われた。
何も知らない早瀬からしたら謎でしかないだろう。
国堂を拒絶するために辞めた、なんて早瀬に言ったところで、彼の疑問が増すだけだ。
「……気分」
「どんな気分でコンビニからコンビニに変えんだよ。……嫌な奴とかいたの?」
嫌な、奴。
「……まぁ、そんなとこ……」
「やっぱ深夜のコンビニとか危ない奴来んのかー、なのに凝りもせずまた?」
「……一番楽なんだよ」
俺のぶっきらぼうな言い方に早瀬は特に気にした様子もなく「ふーん」とだけ返し、その会話がそれ以上続くことはなかった。
(あぁ、嫌だ、嫌な奴だった。……人を取り乱しておいて、用が済んだのか飽きたのか、すぐに放った。こちらの気など知る気もないのだろう)
☆☆☆
「いらっしゃいませ」
大学近くのコンビニは、深夜帯でもそれなりに客がいる。
学生も多く、見たことある顔もしばしば見られる。誰一人として話すことは無かったが。
接客業に合った表情はあまり得意では無いが、そこまで客も気にしない。
業務をさっさと行えば満足して帰っていく。こちらの顔など一切気にしない。
────『時々見られてるなぁ思うたら、無感情な目ぇやし。……何? あの目』
国堂の言葉が頭にチラつく。
あの男は俺を見ていたんだという一つの事実が含まれた内容。
俺は強く頭を振った。客がこちらに視線を向けた気がしたが、すぐに目を離された。
(こんな言葉、覚えていたって意味が無い。忘れろ忘れろ……)
「お願いします」
「あ、はい」
ほとんど流れ作業。難しいことは無い。
バーコード打って、袋入れて、金貰って、お釣りがあれば返す。それだけのこと。
それだけのことの中にある客の動作、言葉とあの男を重ねている自分に吐き気がする。
時計が二時を刺す頃には、どんなコンビニでもそうなのだろう。客の姿はほとんどない。
前よりも一人となる時間は減ったが、この時間帯はやはり一人である。
稀に客は来るものの、そこまで多くの買い物はしないからすぐに帰ってまた一人の時間だ。
コンビニのチャイムが鳴る。どこも同じような音だな、と呑気に考える。
コツ、と店内の床と誰かの靴がぶつかり、良い音が鳴る。
それは以前も聞いた事がある音だった。
深夜の眠たくなる目を、自動ドアへと向ければ、一瞬にして目が冴えた。
動悸が突如として激しくなる。心臓は一度止まったかと思った。
思わず俺はレジ内に顔を隠すようにして、煙草の棚のある方へと振り向き、口元を片手で覆う。
背中に汗がタラりと流れた。
「……いらっしゃいませ、言わんの?」
コツコツと素早く近付く足音。
問いかける胡散臭い関西弁。温和な声色。
それらに俺は酷く動揺している。
手と唇の震えが止まらない。体温が一気に下がったように思えた。
思考が追いつかない。駆け巡る「なんで、なんで」の言葉。
(俺なんて、もうどうでも良いんじゃ……)
レジ前に何も持たずに、コツンと足を留めた。
後ろに結った髪の毛。今日は横から垂れているものはなく、キチッとした方だった。
心臓が一気に加速して動く。ドクン、ドクンと耳の中で鳴っているかのように煩い。口から出てきそうだ。
血の気が引くとはこういう状態を言うのだろうか。
俺の背後に、数週間ぶりに国堂麗士が立っている。
(怖い、どうしよう。何で今更? 怒ってる? あぁ、どうしよう、どうにも出来ない)
目の前がぐるぐるする。考えても最後には、どうともならない、という結論で終える。
無言でいれば、この男は帰るだろうか。
そもそも何でここにいるのか。偶然か。また仕事で、近くに用があってとか、そんなものだろうか。
状況がこんな場なのに、どうでも良いことばかりが頭の中を巡る。
息すらまともに出来ない。声も出せない。知らないフリをするのが正しいのか、正しくないのか。
俺が「いらっしゃいませ」の一言も言わず、顔を背けるようにして、口元を覆い、国堂の言葉を無視している。これが現在の状況だ。
ズバズバ何かを言われるかとも思ったが、こちらが返さなければ、向こうも何も続けて言ってくることは無かった。
だが、足を返す気も無さそうだった。
「…………煙草」
(!)
ポツリと、ただの客としての言葉だった。それは常連の客くらいしか使わない言葉だろうが。
仕事で来ていて、煙草を買いに来ただけ。俺がいるとは思っていなかった。
(……俺はまた、勘違いする所だったのか……)
執念深く国堂が俺を追ってきたわけではない。偶然、たまたま。有り得なくもないことだ。
コンビニが変われば煙草の位置も違う。俺は返事もせずに、振り返っていた煙草の棚から国堂のものを探す。
(……マルボロ、十四)
赤と白の模様の箱。十四と数字で書かれたタール数。
その箱を弱い力で掴み、レジ台に乗せる。そして、バーコードを読み込んだ。
(……合ってる、か聞くの忘れてた。……何も言わないし、これでいいんだろう……)
避けまくっていた男が現れても、向こうが静かで何も言わないし、してこなければ、こちらも冷静になれた。
俺のことを忘れた訳では無いのだろう。『煙草』なんて言うのだから。俺が国堂の吸う煙草を覚えていたことをこいつも覚えている。
バーコードを打ち終わった煙草の箱を、台の国堂側へと置いてやる。
あとは金を貰って終わりだ、と思った。
しかし、トンと箱を置いた手を引く前に国堂が俺の手首を掴む。
「っ! な……」
「お、やっとこっち向いた」
グイッと出来る限りの力でこちらへ戻そうとするが、その分国堂の力も強くなる。
久しく見た狐目は嫌に吊り上がっていながら、笑みを帯びていて、口元も上がっている。
何ら変わりない、いつもの狐男だ。
何度も何度も腕を引く。
しかしニコニコとしながら、それを一切離す気がない国堂。
「はっ、はなして……」
「んー? 離したってもええけど……。どちらにせよ、逃げられへんよ、澄華君」
そうだ、俺は逃げられない。レジの中に俺は置かれているのだ。しかも仕事中。外に飛び出すことも出来ない。
走ってこの男から逃げることも許されない。
「ええやん。久々に話そうや。……仲良うしてくれる言うたんは澄華君やろ?」
(この男、まだそんな言葉……)
離しても良いと言ったのに、一向に俺の手首から手を離さない。
「……話すこと、ないんで……」
「俺はあるで? …………何で、あっち辞めてん?」
「アンタに、関係ないっす……」
「ホンマに?」
辞めた理由は、国堂を拒絶するため。関係は大いにある。しかしそれを馬鹿正直に言うバカはいない。
「……ふふ。バイトも辞めて、連絡も無視。家にも数日帰らず……。言葉は言わんでも、正直モンやなぁ」
細い目元から、光った黒い瞳。それは眩しいなどというものではなく、光ったくせにそれは真っ黒の闇のようなもの。
冷や汗が吹き出る。
「……そこまで、嫌われることしたかなぁ、俺?」
俺は何も言えずに黙りこくる。国堂の問いに対する正しい解答も分からないし、そんなこと考える余裕もない。
「……いうか、嫌われた、訳ちゃうんやろか?」
ヘラッと笑いながら、こちらを覗くようにして見つめてくる。
俺は視線を下に向けて、国堂の目から逃げる。本人からは逃げられないのならば、目線だけでも合わせたくは無い。
何も言わない俺に呆れたのか、面倒になったのか、手首を掴んでいた手がゆるりと力を抜いていく。
それに一先ず安堵する。心臓はずっと煩いままで、汗も引くに引かないが。
俺は自分の元へと煙草を置いた手を戻す。
「なぁ、澄華君」
安心などしてはいけない。この男を前にして。
手首が解放されたと息を吐けば、今度は顔を掴まれる。前と同じだ。顎から頬にかけて、輪郭を持つようにした国堂の片手。
そのまま前にグイッと強く引き寄せられる。
外していたはずの視線も前を向く。
(学習しろよ、俺……っ!)
かなり強く引かれ、両手をレジ台につけ、台に自身の体重を預ける形となる。
俺の目の前には、国堂の真っ黒な瞳が傍にある。俺の顔を寄せて、国堂自身もこちらに寄ったのだろう。
微かに国堂の香水の匂いが香った。
「距離、詰められるんのと、放って置かれんの。……どっちの方が俺の事意識したん?」
ニタリと笑う。どす黒く感じたその表情と、声。
細めた目がこちらをジッと見ればそこから背けることは出来なくなっていた。
(……ど、どっちって…………)
正直、何を言われているのか理解はすぐには出来なかった。何をされているのかも分かってはいなかった。
ただ、一つ確かなことがあった。
──どうやら俺は未だにこの男の手の上で踊らされている。
これだけは紛れもない事実でしかない。
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