第9話

9


異性に爆発的にモテたことは一度としてない。

それでも、一、二回だが、同級生の女の子と交際したこともあった。しかし、そう長くは続かなかった。

俺には面白さというものがないと言ったのは、以前付き合っていた彼女たちだったことを今、思い出した。


そんな俺があんな容姿端麗な方の特別な相手一人として選ばれる訳がないだろう。同級生の女の子にすらバッサリと振られた奴が。


まぁ、男は容姿はともかく、好みの趣味には少し難ありな奴ではあるが。


自身の恥で勢いよく机に顔を伏せれば、隣にいた早瀬は驚いていた。


「ど、どうした……、酔ったか?」


酔い潰れたと勘違いしたらしく、水を持ってくると言ってくれた。


自意識過剰。自己評価爆上げして勘違い。

顔なんて表に向けていられなかった。足と床を擦り合わせて小さく悶える。

声に出せない叫びが口の中に溜まっていく。


突っ伏した頬に当たる机が冷たく感じるのは、酔っているせいで体温が上がったからか、恥ずかしさのせいか、もう分かったことでは無い。


(いや、でも、あの男が何か意味を含めた感じで話すし、顔も……)


勝手に勘違いして、勝手に恥をかいて、勝手に国堂のせいにし始める。

それがどれほど馬鹿らしいことなのかは俺も分かっている。


近くも遠くもない距離での会話が、嫌でも耳に入ってくる。


「国堂さんって、下の名前。何て読むの? レイジ?」


「ぅん? ああ。……ふふっ、レイシや」


「麗士さんかぁ、顔に合ってるぅ」


「何やそれぇ」


楽しげに言葉が飛び交う。俺も同じこと聞いて、同じように返されたことが懐かしくすら感じてきた。

ついこの前のことだと言うのに。


名前を聞かれて微かに声を漏らし笑うのは癖なのだろうか。俺の時と同じだった。


(帰りたい……。会話を聞いているだけで自分の阿呆らしさが嫌になってくる)


酒で自分のしょうもない考えや、勘違いへの恥は消えてくれそうになかった。

ならばこれ以上、恥ずかしいという気持ちを増やさないことに努めたい。逃げ出したい。

国堂麗士という男のいる空間にこれ以上、自分を置いてはいたくない。

惨めで情けない話だが、今はそんなことで自己嫌悪に陥っていられない。


隣の男誰なのだろうか。黒いスーツからして、国堂組の人間だろうか。

静か、というよりも存在感が無く、本人は依然として口を開く様子も無い。


国堂は、綺麗に着飾った女性を前に、和気あいあいと喋り、楽しそうにしているが、隣の容姿の良さが目立つ無口な男を帰らせる気も無さそうだ。


彼は自分に無関心な人間ほど、興味が湧くと言っていた。隣の男もその類で、国堂のお気に入りなのかもしれない。


(……席から立ってくんないかな)


帰りたい、という思いと、顔を合わせたくも、話したくもないという気持ちで悶々とする。


(これも自意識過剰だな、あの男がわざわざ俺に話しかけてくる……なんて)


今反省したはずなのに、繰り返して同じことをしていることに気付いた。かと言って、絶対ないとは言えないので、保険をかける。


国堂が席を外すと同時に、店から出ようと決めた。先にあちらが帰ってくれるのなら、それはそれで好都合だ。


(結局、俺じゃなくても良かったって話なだけだろ……)


国堂がコンビニへと訪れない生活は、いつになるかは分からないが、現状が永遠と続くことも無い。

こちらがこれ以上の関わりを持つことを避ければ、国堂も飽きてくれるだろう。


一時の遊びに過ぎないんだ。あの男からすれば。


──────彼の目当ては、俺以外にも数多に存在するのだ。


☆☆☆



数十分格闘の末、たまに様子を伺いつつ、静かに早瀬たちと話しながらいれば、国堂は席から立ち上がる。

早瀬のお姉さんたちに勧められ、何杯か酒を煽っていたようだった。


「あれ? 国堂さん帰っちゃうの?」


「んー、ちょっとトイレ、行かせてや」


ヘラりと笑いながら言えば、店の奥へと消えていった。

チャンスだと思った。


「早瀬、俺そろそろ帰るわ」


国堂が立って、数秒後には俺も席を立つ。早瀬は俺が酔っていると心配し、「送ろうか」などと声をかけてくれた。

案外、プライベートで一緒にいれば学校で見えない一面も見えるものだなと、思いながらその申し出を受け取るだけにして、断った。


そそくさと店の扉へと向かう。

早瀬のお姉さん三人は、国堂が席を立てば国堂について話していた。

本人が言っていた。数回通えば声掛けや、視線を感じるなんて。彼女たちもそれらの一部なのだ。


ほとんど存在がないものと化していた国堂の連れの男の後ろを通る。

ふわりと男の飲むウィスキーの匂いに混じって、もう一つ香ったのは


(……あ、国堂からした香水の匂い)


本人はその場にいないのに、その匂いが鼻を掠めた。


国堂と一緒にいた男に移ったものなのだろう。どれだけ一緒にいたのだろうか。

少なくとも、俺とあれだけ接近しても匂いが、俺自身には移らなかった。

それは即ち、もっと近くにいたか、香水の撒かれた空間で共にいた、ということを物語っていた。

車内かもしれないし、室内かもしれない。


(……俺には、関係の無いことだ)


カラン、と扉の鐘が少しだけ外に漏れ聞こえた。


空を見上げれば随分と長居してしまったことに気付いた。

ネオン街にある早瀬のお姉さんたちの店。そこらじゅうに光が灯っている。店に入った時には光っていなかったはずだ。


途中からは楽しむなんてものではなく、一人の男に気を取られ過ぎていて、気晴らしなんてものではなく、疲れが増していく一方だった気がする。


「…………帰ろ」


(慣れないことはするもんじゃないな。こんなことに出会してしまうのだから)


街中で偶然国堂と会うだなんてことはなかった。

コンビニ常連客だったあの男。しかも独特な雰囲気と嫌でも目立つあの容姿。

見かければ、声を掛けずとも、気付くことはあったのだろう。

それが友人の家族が経営している店で。

しかも、あんなことがあった数日後に。


肩を落とし項垂れる。ここ数日、ちゃんと寝れてもいないというのもあるからか。

俺だけに対する特別な意味でないと分かった今なら、もう何も気にせず気持ち良く眠れるだろう……。


(……何だか……、心臓辺りが気持ち悪いな。飲みすぎたか?)


吐き気はないが、どうにも胸辺りが悶々としていて、言い表し難い気分だ。

吐き出したいのに、吐き出すものはないという感じだろうか。

数回胸元を撫でてから、家への帰路に着こうと片足を踏み出した時だ。




────「やっぱり俺が席立つの待っとったんか」


後ろでまた、カランと音が鳴る。背筋がビキリと凍る。

振り返らずとも分かる。あの男の不敵で、艶っぽい唇が弧を描いて上がっている顔が、その声一つで想起させられる。


(これ以上、俺を頭を掻き乱さないでくれ……)


疲弊して何も考えたくない。思考を放棄して、脳みそをどこかへやって、脳のない馬鹿になりたい。

眉間に皺を寄せて、情けなく俯く。


ゆっくりとした革靴の進む音が近付く。

気分を害したか、失礼だっただろうか。わざわざいない時を見計らって外に出たことは。


何故か振り返りたくはなかった。いつものように少し話したことのある他人に接するような態度で、簡単な会話をすれば良いのではないか。

そうだ、さっきの早瀬の友人たちと同じようなテンポでやり過ごせば良いのではないか。


変に気にし過ぎなくて良いことは分かったはずだ。この男の『興味がある』の言葉にも、人を追い詰めて近付くことにも、特別な意味などないと分かったのだから。


「澄華君? どないしたん、もう俺ん事忘れたんか?」


ケタケタ笑いながら冗談めいたことを言う。無言のままの俺を振り向かせたいのだろうか。


この男の好きだと言った無関心な目でも見せてやれば良い。


良いのだが────


(……俺、いつもどんな目、してたんだっけ……)


目立つ程に容姿が良い狐目男の客を見ていた俺の目はどんなものだったのか。

そんな意識をしていなかったから思い出そうにも思い出せない。


じゃあこれまでと同じく、その男を見れば同じ目を出来るのだろうか。


(……無理だ。無理そうだ。だって今の俺は、この男に興味が無い時の俺では無いのだから)


恋愛的な『好き』などという感情ではない。そうだ。そうに決まっている。

きっと今、俺が持つ国堂に対しての感情が、国堂の口にした『興味がある』というやつなのだ。そうやって自分を納得させた。


どうしてか存在が気になる、そんなもの。


垣間見えた優しさと、この男の悪ふざけのせいで変な意識が芽生えてしまった。最悪だ。


自分の足に力が入ったのが分かる。

青春なんて言う甘酸っぱいものとは、かけ離れている。


意識した相手から、逃げねばという逃走本能なんて、十代の恋路には存在しなかった。


地面を強く蹴って俺は走った。向こうの機嫌を損ねるとかどうとかは気にしていられない。


後ろで「おっ」という僅かな驚きの声が国堂の口から漏れたようだった。

焦った様子などない。つい口に出た、という感じだ。


今の俺の目を見て、国堂は何か気取るだろうか。


自身に興味関心が沸いた幾多の過去に見た、通った店の従業員の目と、俺の目が一緒になってしまったと俺への興味とやらは失われるだろうか。


それは俺が望んでいたことなのに。……そのはずなのに。

今更何を逃げることがあるのだろう。自分の行動が理解出来ない。


走りながら今後どうしようかと考えるはずだった。しかし、俺の足が動けたのは、ほんの数秒だけ。


片手首を引っ張られた。


「なんも逃げることないやん、傷つくわぁ」


「っ!」


数歩の間はあったがすぐに国堂の手は俺へと届いた。足にそこまでの自信はなかったが、国堂が手を伸ばしてくるとも思っていなかった。


「……さっき、店ん中でチラチラ見とったよな? 気付いてたんなら声掛けてぇや」


軽い口調で言うとまた笑う。見ていたのは気付かれていたらしい。


「人の目に敏感なのと、こう逃げられると捕まえたなるんは、職業病いうやつかなぁ」


職業病などと言われても、ヤクザのしていることなど俺は知らない。そんなこと聞かれても頷くことも、首を振ることも出来ない。


「もしかして────、前の、怖がらせた?」


「!」


"前の"。それは俺の部屋で異様なほど俺を追い詰め、近付き、意味深な言葉を投下してきたこと。

────そして、額への口付けのこと。


俺はぎこちなく頷く。正直、それのせいで逃げたわけではないが、本当の理由を述べたくはなかった。


「……ほんま? あん時の澄華君、怯えてるいうよりか、かなーり威勢良かった気ぃするけど」


身体を押し退け、玄関から追い出すというかなり強気な行動を取ったことに間違いはない。威勢というよりも、焦りという方が大きかったが。


「何で喋らんの? こっち、見ぃひんの? さっきは凄い見てきたんに」


無言を貫こうとすれば、問いかけてくる。ほんの少し腕を抜こうと力を入れれば、比例して国堂の手の掴む力も強まる。


「引いたんか、それとも気色悪ぅ思うたんか? 澄華君のこと、『タイプ』や言うたの」


(俺のことが、タイプ……。────違うだろ)


「……違う、俺じゃ、ないっすよね……」


ポツリと言葉を返せば、ようやく喋り出したが、聞こえなかったというように国堂は、「ん?」と、もう一度言うことを促した。

くるりと身体を回し、国堂と向かい合う。目線は下げて、ジッとこちらを見る視線には気付かないふりをした。


「タイプだとか、言いまし、た……けど、俺じゃなくて、自分に無関心な人ってことっすよね……。それなら、誰でもいいんすよね」


俺は一度「はは……」と重たい声で笑う。


「そう、聞こえた?」


「そういう、意味で言ってたんでしょ」


「どうやろな。あんま深く考えたことないなぁ」


この男の断言しない曖昧な言葉遣いに、こっちは取り乱されているというのに。


「ていうか、手離して下さい……、痛いです」


「そん前に答えてや。何で逃げようとするん? ……この前のが怖かった、て訳やなさそうやんな」


まるで見透かされたみたいだった。以前のアレは驚きはしたが、怖いというのとは全く違う。


「店ん中でこっち見てた理由は? そんで何で今は目ぇ合わせへんの?」


質問をこれでもかと言うほどに投げてくる。それだけ、俺の行動は謎多きものだ。

だがそれには答えられない。俺自身も自分の意味不明な行動の理由がイマイチ分かっていないのだから。


黙りこくった俺に国堂もどう接して良いのか分からないようだった。

少しの間、無言になれば、また国堂が口を開く。


「別に、無関心な目ぇ向けられとったからって、全員にあんな真似、せぇへんよ」


「……え……」


やんわりとした物腰柔らかい胡散臭い口調ではなく、真剣な静かな声でそう言えば、俺の手首から手を離した。

俺は一度自分の放られた手首に視線を向けた。


「ロボットみたいに生気のないような目とかに、興味は湧かへん。……澄華君みたいのには、擽られんねん」


(……何を……)


チラリと顔は向けず、目線だけを上に動かす。


「人への警戒心強うて、簡単に手なずけられへん。……でも、その警戒心を壊されて、何か刺激を欲してる目、しとるから、壊して、与えたなる」


(……意味が、分からない……)


「……何すかそれ。意味、分かんないんすけど」


思わずそのまま口に出てしまった。


「何処かつまんなそうな目ぇしながら……、その奥でどうにかして欲しいって訴えてる目って言うんやろか?」


「俺に聞かないで下さい……」


俺はまた、ふい、と目を逸らす。不気味な笑い方をされる。


(どんな目してたんだよ、俺。……壊されたいって、刺激って……なんだよ……)


知らないし、この男が勝手にそう受けとっただけだ。


「……でも、さっきこっち見てた目ぇ、前までとは違ってたわ」


国堂の言葉に息を飲んだ。

俺の僅かに芽生えた、この男に対する興味とやらを勘ぐったのかもしれない。


「……ちょっとは、意識し始めた、いう目、かなぁ? なぁ、澄華君」


そう尋ねながら俺の両頬から顎にかけてのラインを国堂の大きな手と長い指が覆い、少しだけ前に寄せられて、驚いて背けていた視線も正面へと移る。


「そぉやって、無関心な奴が、嫌そうにしてこっちに気ぃ取られ始めるんがええねん」


「っ……、い、っはい……」


強引に引かれた顔。首あたりがグキっと軽く音を鳴らし、痛覚が訪れる。「痛い」と言えば、狐目が細く、瞳も消してニッコリと笑みを浮かべた。

行動や言動ではなく、顔だけで威圧する。かなりタチが悪いと思う、この綺麗過ぎる顔がそれをするのは。


平凡で平穏な日々。そんな生活を送ることが俺の願望だったはず。きっとそれがねじ曲がって、変な世界に飛び込みたい、なんて思っていた訳では無い。



────ただ、俺は心の何処かで願っていたのかもしれない。

"つまらない"平凡というものを壊してくれる何か。 ──────誰かを。


自分から平穏な生活を壊すのは嫌だった。それは誰も咎められない。壊したのは自分だ。全ての責任は自分に返ってくる。


だから、欲しがっていたのかもしれない。

このままでいたいなんて、自分の建前をいとも簡単に崩してしまう人間を。



俺は狡いんだ。

自分の欲しがる物のために自分では動かず、誰かに期待していた。


そして見つけてしまった。見つかってしまったのだ。この男に。



嫌がる俺の警戒心を壊したい、刺激を与えてやりたいなんて、奇妙な欲を持った国堂麗士という危ない狐に。

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