第7話
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顔の良い狐男と至近距離で会話しているだけで、頭はどうにかなりそうだというのに。
そんな男に『君が好みのタイプ』などと言われれば、思考も身体も硬直してしまうのも無理はないだろう。
しかし、そんなこともしてはいられない。
「っっち、っかいっ、つーの!!」
下手なりにも敬語を使っていたが、動揺や焦りやらで、暴れるようにして両手を国堂の胸に押し当て、ドンッと押し返す。
ソファーの背もたれに追い詰められ、逃げ場を失い、縮こまる事しか出来ない状況を脱した。
急に押しのけられたことに驚いたのか、その力が強すぎたのか、国堂は胸元を数回擦る。
「いてて……」
痛くもなさそうな顔で、そんなことを言う。
「何するんですか……! わざわざ、近付くこともないでしょ……っ」
荒くなった俺の言葉に、国堂は胸を撫でる自身の手を見てから、ポカンとし、目尻がつり上がる糸のように細い目のままで俺を見る。
俺は焦りの残るまま、ジロリと出来る限りの眼力で嫌悪の目を向けた。
国堂は、胸元にあった手を徐々に上にあげていき、小顔な自分の顔下半分を隠すように、手のひらで覆う。
「……ええなぁ。おもろい。無関心で、嫌悪を向ける目……。あんま居らんかったタイプやわぁ、澄華君みたいの」
隠した大きな手のひらの隙間から、隠しきれていない口角が引き上がった唇。
斜め線のようだった目元から覗いた瞳は、玩具を弄びたいという欲に駆り立てられている。そんな欲望を裏に抱えている、そんな気がした。
そのことに背筋が凍る。
(……やばい奴だ、やっぱり部屋に招き入れるべきではなかった……!)
顔見知り程度の俺のような相手でも、危機から助けてくれる良い奴だったからと、悪どい生業の男でありながら少しでも気を許した自分を悔やむしかない。
要は人に関心を向けられ過ぎて、それをしない奴が物珍しいのか。
それとも自身に関心がない相手を許せないと思う性分の自意識過剰野郎なのか。
(助けてくれたことには感謝しているけど、あの目はなんだ! これからもただの店員と客として接したい、なんていう目ではなかったぞ……)
口で言っていたことには相応しくない目で俺を見てくる。
とりあえず、と俺は国堂を遠くに離したことで出来た隙間から、立ち上がる。
国堂はそれを見上げて「お」と言う。
俺はグイッと国堂の腕を引き、無理矢理立たせ、その勢いのまま腕を投げ捨てるように放る。
次は瞬時に背後に回り、両肩を押して歩かせる。
「っか、帰れ……! もう、二度と関わんないで、下さいっ!」
もうタメ口と敬語がぐちゃぐちゃだが、そんなことを気にする余裕なんてこちらにはない。
「えぇ、さっきはええ言うたやん」
「そんな感情持った人とは思いませんでしたのでっ、俺はそちらではないです」
「そちらって、どちら? ゲイとかいう話?」
「……っそう、いう話です……、俺は……そのっ、ノーマルなんで」
「別に俺やって男好きな訳ちゃうで。言うたやろ、男女差別が嫌やって。多様性ってやつや、男も女も関係あらへん」
「貴方がどうかは知りませんがっ! 俺は、女しか恋愛対象では、ない、ので!!」
グイグイと肩を後ろから力の限り押して何とか歩かせる。肩を掴んだだけで分かる。着痩せするタイプの男だ、触ればかなりガタイが良く筋肉もある。
きっとこの男が踏ん張れば俺の力ではビクともしないのだろう。
玄関まで押し続けて、ようやく両手を離す。
パッと手を離してから、ハッと目に入ったのは、いつもは中に黒のインナーを着ていたから見えていなかったが、薄らと背に何か色の着いた模様が見える。
あまりマジマジと見たくなかった。それが何の形でも模様でも良い。知れば、それに近しいものを見た時にこの男が蘇ってくるのが嫌だった。
ヤクザの身体に刻まれた刺繍など、大概、花や何かの生き物だという、俺のテレビなんかで身についた勝手な想像でしかないが、きっとその類の何かがこの男の身体には刻まれている。
「……あんなことに巻き込んで悪かったってのも、来てくれて助かったってのも、勿論あります。……ですが、俺の平穏な生活を壊さないで下さい、俺は貴方に面白がられるような人間では無いですし」
「それを決めるんは俺やろ?」
「……っ、それは……」
口篭る。俺の言ったことは、平凡な生活を送りたいという自分勝手な言い分ではある。
しかし、実際のところ俺は面白味のある人間では無い。
ただ単に、国堂の言うタイプの自分に無関心、という点に当てはまっただけである。
「とっ、とりあえず! かえってくだ、さい!」
そう言いながら精一杯の力で国堂を押していく。すると、やっと玄関に着いたと思えば、グンッと前へと押せなくなった。
(……っ! この、男……っ!)
恐らく足に力を込めて歩くのを止めたのだろう。踏ん張った国堂の足の力に俺の力は敵わない。
それでもグイグイ押す俺の目の前で「ひひ」と嫌な笑い声が聞こえた。
背中を押していれば、くるりとその背中が回る。俺はハッとする。国堂は自身を半回転させて、俺と向かい合ったのだ。
思わず顔を上げれば、嫌な笑みを浮かべた狐がいる。
「……ていうかぁ……、君ぃ、ホンマにそれがええって思ってる?」
何の話だろうか。
「……それ……って……」
「ホンマに、平穏な生活がええんか? ……つまらん生活でええの?」
(……そんなの、いいに決まってる……!)
そう言おうとすれば、国堂の右手が俺の左手首を掴む。俺は驚き、逃げようと左手を引いたが遅かった。
「……博打打ちたいとか、命危険に晒したいって話やない。でもぉ、澄華君、自分の生活に飽きてるんと違う?」
「……っ」
言葉に一瞬詰まる。しかしすぐにハッとする。違うと否定したい。しなければ。
頭にカッと熱がのぼる。
「────ちがっ……!」
強く否定の言葉をぶちまけようとすれば、屈んだ国堂の顔がすぐ目の前にあった。
ギチリと掴まれた左手は動かない。細い隙間から国堂の瞳が見える。狐目のくせに二重だし、睫毛も長い。
そんな美の一言で言い表される面に言葉が飲み込まれる。
「……ほんとぉに?」
不敵な笑みでも浮かんでいれば、正気を取り戻して言葉の続きを言えたかもしれないのに、そこにある表情は、心を見透かして、真剣な眼差し。
何故かそれに、俺の心の奥、自分でも見えないような根っこの部分がふつり、と熱くなった。
(……ほんとう、に)
途切れた言葉は続きを紡がない。沈黙の中、国堂と俺は見つめ合う。
固まる二人だったが、微かに先に国堂の顔が動く。
掴まれた手首がさらに固く握られる。それと同時に、俺の額に温かいものが触れた。
それが何なのか、一瞬分からなかった。
しかし、離れた柔らかい何か。そして「ちゅ」とわざとらしく鳴らしたリップ音が、俺の耳にこだまする。
きっと、それが何だったのかを、国堂は分からせるために鳴らさなくても良いその音をわざわざ鳴らしたのだ。嫌味な奴だ。
それで一気に上半身全部が熱くなる。
「~~っっ、帰れ!!!」
そう浴びせると、固く掴まれていたはずの左手はあっさりと解放された。
高そうな革靴を無理矢理履いてもらい、玄関から突き出した。そしてすぐに鍵をガチャンと閉める。
ドアの外で「あららぁ」なんて気の抜けた声が聞こえたが、その後は特にこちらに話しかけてくることもドアを蹴ったりすることもなく、コツコツと、ゆっくりとした足音が遠のいていくを聞いた。
「……はぁぁ……、何なんだよ……あの人……」
玄関のドアを伝うようにしてしゃがみ込む。
昨日の朝から今にかけて一睡もしていないはずなのに、目が冴えていて仕方がない。
身体の芯から熱さが抜けない。何なら加速して熱を帯びていく。
触れた額に手をあてる。そして強く擦る。あの感覚を消したかった。
(……額に、キスとか少女漫画かよ)
あまりにも衝撃が強過ぎて、先程までの会話の内容など忘れてしまっていた。
しかし、今日は大学の授業があるということを思い出し、さっさとシャワーを浴びて、ベッドに横になろうと思った。
(……バイト先、変えるべき……? いや、もう家も知られてる訳で……)
ヤクザから逃げたいのではない。
国堂麗士という男から逃げたい、もう関わり合いたくない。
あの男と親しくなってしまえば、俺に平凡な生活は失われると直感的に分かってしまう。
(悪い奴とか、怖い奴とかじゃなくて……、ただ……)
いわゆる進藤のような暴力的とか高圧的とか、そういうのではなく。
思い浮かんだのは、ソファーの隅に追い詰められて何か深い意味を含んだ笑みを綻ばせたあの顔。
背筋に冷たい風が突きぬけた。ゾワリとする。
(……精神的に、追い詰めてくる感じ……)
ようやく立ち上がり、自室の方に戻ると一度ポケットに入った携帯がバイブ音を鳴らした。
数少ない携帯に登録されている知り合いからこんな朝早くに連絡が来ることは無い。
大学からか? なんて甘い考えで携帯の光る画面に目を落とす。
「っ!!」
携帯を思わず落としそうになる。寸前のところで何とか手に力を込めれた。
「……電話……ばんごぉ……」
現代の最新機器の性能をこれほどまでに恨んだことは無い。
『電話番号教えてくれてありがとぉ』
「っ、おしえて……ねぇ、よ……」
国堂からの一報であった。
忘れていた。電話番号からメッセージアプリに連絡先を入れられること。
俺から助けを求める電話をした時のものが、向こうの携帯に履歴として残っている。そこから勝手に登録されたのだ。
(……無視するか。電話番号も変えて……)
すると、追い討ちをかけるようにメッセージの通知が表示される。
『これまで通り、仲良うしてな』
「…………」
文面から想起されたのは、胡散臭い笑みを浮かべた国堂の顔。
そしてその表情の裏には、「逃がさない」という意味が見え隠れする。俺の勝手な想像でしかないが、何故か確信がある。
つまりは俺が今、バイト先を変えようが、家を引っ越そうが、電話番号を変えようが、この男は俺を逃がす気はないということだろう。
(……追っかけないって……言ってたのに……)
嘘吐きめ、と思いたかったが、『これまで通りに接する』と言ったのは俺だ。
この文面を見れば俺も嘘を吐いたことになる。どっちもどっちだ。
驚きと焦り、怯え。色んなものが混ざりあって、眠気は吹き飛んでいるが、脳は睡眠を欲しているのか、全く働こうとはしない。
「……とりあえず……寝るかぁ……」
これ以上考えたところで何の意味も無い。どうにも出来ないのならば、本能の言う通り寝ることにしよう。
そう思い俺は枕に顔を突っ伏すようにしたのだった。
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