第3話

3


国堂麗士という男が俺のバイト先に客として現れ始めたのは、半年ほど前のことであった。


初めのうちはただの客という認識で、週に一回来るか来ないか。月を越せば、週に二回、三回と数は増した。


都会の煌びやかな場所に置かれている訳ではなく、その場から住宅街に入る手前あたりに佇むコンビニなど、使うのはその住宅街に住む人間ばかりだろう。しかも俺みたいな一人暮らしなどが多くなければ、頻繁に通う客もいない訳だ。


加えて、何か大きな会社が建つ場所でもない。だから少しだけ気になっていた。会社員で結婚していて、住宅街に家族で住んでいるが、帰りが遅くて毎日コンビニ? と想像を膨らませたこともあった。

勤務中暇ですることも無ければ、無意味に通う客についてを一人想像することもしていた。


無論、変な妄想では無い。勝手にどういう人間か、というのを考えるだけである。


俺の暮らす部屋は少し離れたところにある。大学提携の部屋ということもあり、そこは大学近辺だ。

何故わざわざ離れた場所で働くかというと、簡単に言えば大学の奴と何度も顔を合わせるのが嫌だったから。


あまりないとは思うが、変な輩に絡まれて奢れだ何だ言われる可能性を考えたのだ。面倒事は御免だ。


ないとは思いながらも用心深く、今働くコンビニをバイト先にした訳だ。





「はぁぁ、まーじ疲れたわぁ」


俺の前で大きく溜息を吐いたのは、早瀬である。


今日の俺たちの受講する授業は、一限からだと言うのに朝から遅刻ギリギリで、寝癖を残し、眠気眼で講義室に駆け込んできた。

昼時に話を聞けば、またサークルの飲み会だったらしい。


「断れよ。明日一限からなんでって……」


「言っただろぉ、先輩が面倒臭いんだって……」


「いやいや、サークルの飲み会って強制参加じゃないだろ……」


俺はほとほと呆れ顔を見せながら、購買で買った焼きそばパンを一口啄む。

少し二日酔いらしい早瀬は、昼を取らず水を飲むばかりだ。


「いやぁ、でもさ……、圧っていうの? ほら、四年ってほとんど履修授業ないじゃん? それもあって向こうは自分の好きなように授業組むから、毎晩飲みに行けるって訳。それに『もう俺たちがサークル来るのはあと少しだから、後輩付き合えよ』って感じでさ」


「ふぇー、ほんなせんはいいんの」


呑気に頬張ったパンを口に含みながら言葉を返す。


「窪塚って案外そういうとこあるよな……」


(何だ、そういうところって)


「知らね? 四年の進藤さんって人。結構横暴な性格もあって、後輩の中で噂になってんだけど」


数秒考えてから、俺でも名前と顔が一致する数少ない人物だったことを思い出す。


「んぁー、あの人か。話したことはないけど、何となく顔は」


「俺はないけど後輩から金せびってるって話もあるし。パチンコとかで負けた日には酷いらしくて。だから、変に嫌われたくないわけよ」


ふと先日の国堂の話が頭に過ぎる。


(賭け事ねぇ。あの人の言うようにやるもんじゃないな)


初めからやろうとも考えてはいなかったが、そんな話を聞けば尚更思ってしまう。


「……まぁ、賭け事も程々にってことだな」


「え、何。俺に言った? 珍しいな、いつも我関せずのお前が」


「……最近、人にそう言われたんだよ」


そう言えば早瀬は興味無さげに「ふぅん」と言って、少し痛みが襲ったのか頭を抱えて机に突っ伏した。二日酔いになったことはないから気持ちは分からないが、かなり辛いらしい。


(酒も程々にってことだな)


国堂の言った言葉が頭の中で流れる。試したくなって、それをして後悔するのは勘弁なことである。




国堂はここ数日現れなくなった。仕事が忙しいのだろうか、なんてことをふと考えてしまう時もあったが、一人で頭を振る。


(なに一人の客に気を取られてるんだ……)


常連と言えど、客は客。深い仲でもない。来なくなれば来なくなったで、一人客の足が遠のいた、それだけだろう。


「…………」


時計を見れば既に二時を回っていた。暗い外で微かにブゥンとバイクのふかした音が聞こえる。

コンビニ前に屯するのはやめて頂きたい。騒音なので。


カサリと、また国堂の名前と電話番号の書かれた紙を取り出す。


(また、来るって言ってたけど……)


そんな事を考える度に頭を振る。客や他の店員の居る時間でなくてよかった。

今の俺は、ただの挙動不審な奴だ。


社交辞令程度の別れの挨拶だったのか、なんて考えている自分が馬鹿らしくなる。



バイク音が大きくなり、増え、騒がしい。気付けば、店の前にバイクが数台並び、ガラの悪い輩が自動ドアの前を塞ぐように座って駄べっている影が見えた。


(うーわ、最悪。もう三時近いのに、早く帰れよ)


下品な男の笑い声が複数。そして何やら愛想笑いのように「あはは……」と小さく笑う声も時折混じっている。


気付かれないように、そっとガラス越しにその姿を見てみると、知った顔がある。


(……あれ、進藤って四年……?)


早瀬が名を出していた迷惑な四年の先輩であった。光る金色に染め上げた短髪、所々プリンのように黒くなりかけている。

ガタイが良く、そりゃ後輩も逆らえない訳だ。俺とは無縁のタイプの人間だ。



「っぁー、今日は、少し金が……」


「!」


その声は少し震え混じりで、弱々しい。恐らく後輩の男の声であろう。

早瀬の語っていた噂話を思い出す。


(うーわ、ガチでせびってる訳ね。こわ)


賭け事か、酒や煙草の買いすぎか。もしくは変な夜遊びのし過ぎか。

金がないらしいのに、飲み会は開けるのか。いや、それも後輩の金か? なんてことばかりが頭に浮かぶ。


「あぁ? お前さぁ、前もそう言ってたじゃん。何? 俺に出せる金はないってか?」


ガラ悪くそう強気な言葉を吐いた進藤。逆に小者感がある。なんて心の内で嘲笑する。


「いっ、いえ、そういう訳じゃ……」


「じゃー、出せよ。財布、持ってんだろ? それ寄越せ」


「えっ、ちょっとそれは……」


見てられないと、ガラスから目を逸らす。

後輩君には申し訳ないが、そんな人間と関わり続けたことを悔やむしかない。

離れられる時に離れておけば良かったものを、自分の居場所をそこに置くしかないと逃げなかったのは、彼だ。


ここで自分が出来ることもない。止めに入って俺が進藤に力で勝てるとも思えない。力がないから、バイトもコンビニを選んだんだ。


────ガシャンッ!


その音に驚き、逸らしたはずのガラスにもう一度目をやる。

間違えなくそれは、コンビニのガラスに何かがぶつかった音だった。割れてはいないことに一安心だが、外の状況は安心出来たものではなかった。


「いいから、出せっつってんだろ!」


「っい、や、やめっ……!」


腹を立てた進藤が後輩を突き飛ばしたか、殴ったか。ガラスに当たったのは後輩の身体だろうか。

暴力沙汰になってしまった。店前となれば、店員も動かなければいけないのだろうか。


(勘弁してくれ……! 警察に電話? でも……)


尚も進藤を拒否する後輩をまた殴ったのか、後輩の悲痛な声が聞こえた。周囲に誰かいるはずなのに、誰一人止める気配もない。

何なら「早く出せよー」と進藤を援護する声も聞こえてきた。


数回殴られた音も聞こえた気がする。ガン、ガンと外にある何かにぶつかる音。


(……ここまでくれば、さすがに気付かなかったじゃ、片付けられない……)


かと言って俺が出ていったところで、後輩の二の舞である。どちらも殴られて終わりだ。そんな未来が容易に想像出来た。


「っけ、けいさつ……」


携帯を取り出し、110を押そうとまずは『1』を押す。しかし指が震えてきた。

嫌な想像をしてしまう。


(もし、俺が通報したってバレて、大学で見つかったら……しかも、早瀬とも知り合いらしいし……)


面倒事も危うい事もすり抜けて通ってきたというのに、この電話一つで全てが奈落の底に落ちる未来が見えてしまった。

指が動かなくなる。頭では押せ、というが、それを止めてくる恐怖が押し寄せてきた。


「っ、ど、どうすれば……っ」


外が賑やかだ。それは悪い意味で。

酒でも飲んでいるのか、進藤側についている奴らの笑いが煩い。

ていうかバイク乗ってんだから、飲酒運転だろ! なんて冷静なツッコミも出来ないし、今はどうでも良い。


少し呼吸が荒くなる。どうして今は誰もいないのか。客の一人でもいてくれれば、外の奴らもこんな事しなかったのではないだろうか。


(っど、どうしよう────)


俯いて携帯の画面とレジ台を交互に見る。


「っ! あ……」


そこには折れ線があらゆる方向についている紙きれ。

そして、一人の男の名前と電話番号が記されている。


しかし、常識を考えてしまう俺は躊躇う。


(こんな時間、しかもこんな暴力沙汰のことで頼るなんて……)


数日顔を見ないことから、仕事が忙しいのか、近所から越したのか。そんなことが予想される。だから電話したとしても意味をなさないかもしれない。


俺の額には焦りと恐怖の冷や汗がぶわっと浮き出て、背にもたらりと液体が流れた気がする。

110を押す指も動かず凍りついてしまっている。


また大きくガラスに物が当たる。かなり強めにガシャンッと店内に鳴り響く。割れないとはいっても、もしかしたら頭を強く打っているかもしれない。流血沙汰まで発展しているかもしれない。


(警察、でも、だって……)


脳内がグルグルと様々なことを掛け巡らせる。殴られる後輩の安否。通報がバレた後の自分の立場。



『困ったこと、あったら連絡しぃや』


その言葉を鵜呑みにすることにした。これで国堂が出なかったとしても、彼を恨むことはしないし、例え、出たとして、現状を打破する策を生み出さなかったとしても、彼を悪いとは思わない。


この都会に来て、唯一、いい人かもしれないと思えた大人である。


達筆に書かれた番号通りにキーパッドの数字を押していく。

110は指が固まったのに、どうして国堂の番号はこんなにもすんなりと押せるのか。


勢いのままに、発信ボタンを押せば、微かに震えた手で携帯を耳に寄せた。


(五コールで出なかったら、警察に……、そうしよう、それしか手がない……)


寝ているかも。知らない番号だし、見ぬフリをされるかも。

本当に連絡してくるなんて思っていないかもしれない。


本当に一縷の望みというやつだ。


コール音が、一、二、と過ぎていく。手汗が酷く、携帯をすべり落としそうだった。


(……出てくれっ)


願った三コール目の途中で、プツッとコール音が切れる。留守電に入ったか、それとも────



「……はぃ? 誰?」


寝起きの声でもない。だが、相手が分からないからか、いつもの国堂の話し方とは違っていた。

胡散臭い笑みを漂わせる話し方とは違って、冷徹さすら感じた声色だ。


「っぁ、あ……」


勢いは良かったが、どう伝えればいいのか。何を言えば良いのか。まずは、名前、名前を……。


「…………切るで」


「あっ! ま、ままま、待って! 窪塚、でっ…す…」


急ぐあまり、タメ語と敬語が混じってしまう。切られれば終わりだと思った。


「……くぼつかぁ……?」


疑問形で返してくる国堂は本当に俺だと気付いていないのか、既に忘れているのか。


「……くぼ、つか……澄華、です……。コンビニでっ、バイトの……」


ここまで言えば通じるか、とバイトのことまで伝えた。すると、一度電話の向こうが静まる。


(…………本当に、忘れられて、た、のか?)


無言で何一つ音が聞こえないが、切れた音はしていない。電波の問題が発生したのかもしれない。


「……っえ、澄華君?」


返し方から忘れられていた訳ではなさそうで一先ず安心する。


「……はい、あの、すんません……、こんな時間に」


「いやぁ、ええけど……。ほんまに連絡くるとは思わんかったわぁ」


「……すんません……」


やはりあの『連絡しぃや』は社交辞令的なものかと理解した。

向こうで「謝らんでええけど……」とは一言添えられた。


「んで、どうしたん? 連絡したってことは、なんかあったんか?」


「っあ、ぁ、あの……、そのっ」


話が早い男である。しかし、焦りで上手く言葉が出せない。何から、どれから、どんな風に説明すれば良いか、何をして欲しいと言えば良いのか、混乱していて何が何だか分からなくなる。


「落ち着き? ゆっくりでええよ。切らんから」


いつものつり目ながらもニコニコ笑う国堂の顔が浮かんだ。そのことに何故か落ち着きを取り戻しつつあった。

相手が大人だからだろうか。


するとまた、ガシャッ、ガンッ! と鳴る。それにビクリとして「ひっ」と声を上げてしまう。


「……何? 今ん音」


「っぁ、あの……、なんか、店の前で……、喧嘩? 暴力? ……あって……、どうしようって」


俺はここでふと思った。


(どうしようってなんだ。警察に電話しろって思うよな、普通そうだろ……)


聞き方を間違えたと思い、訂正するべきと思ったが、訂正とは何だとまた考える。

警察を呼べないのは自分の立場が危うくなるのを恐れた俺の勝手な私情だ。国堂には一切関係ない。


「……っ、ぁ……、いや、なんでも────」


分かりきった答えがあるのに、それすら考えつかない餓鬼と思われただろうと、電話を切ろうとする。


「学生か? それ」


「ぅえっ!? あ、そ、そうです……、大学生の……」


「……ん、分かった。今行くわぁ、近くおるし」


「えっ! で、でも……、いや……」


電話したのは俺のくせに今更、国堂が怪我をしてしまうなんて心配をするのもおかしな事だろう。しかし、事実そうなってしまうかもしれない。

自分は何がしたいんだろうか。


「多分、殴ってる側が大勢っていうか……」


「百くらいおる?」


「さすがにそんないないっすけど……」


これも笑い話にしようという計らいか? そんな状況ではないというのに。


「んじゃあ、行くわ。……出して」


「っえ……」


行く、と告げた後には、全く変わった声色で誰かに話しかけたようであった。それに一瞬ゾクリとする。また、声に冷たさが纏われていた。

プツリと切れた電話。


(まさか、来ると言ってくれるとは……)


しかしそれ以外に俺は何をして欲しかったんだ。警察に通報という手を知っていて、それを出来ずに国堂に電話をしてしまった。

彼が来る以外に彼にどんなことを求めていたのか。……俺は、彼が来てくれることを願ってしかいなかった。


怪我の心配など建前だ。来てくれと願っていた時点で彼を危険に晒すのは当然のこととなる訳で。


(……最低だ……)


そう考えても、騒がしい外に足がすくんで出ていけない自分が情けなくて下唇を噛み締めた。



国堂の近くがどの程度の距離を示していたのかは、分からなかったし、外の状況は悪くなる一方だった。

初めは悲痛な痛みを訴える声もあったが、途中から殴られぶつかる音は聞こえど、そんな声は薄まり、今は一つも聞こえてこない。

本当に気を失ってしまった可能性が高い。


打つ所が悪く、既に……、と頭を過ぎれば震え上がった。


国堂との電話が切れて、三分もしない頃に一つ、エンジンの音が近付いてきた。


(……車?)


国堂ではないと思った。いつも彼は徒歩でここに訪れる。

しかし、先程の最後の言葉を思い出す。

『出して』と、彼は抑揚のない俺の聞いた事のなかった声で放った。それがタクシーか何かに乗っていて、運転手への声だとすれば。


「あ? んだよ、この車」


進藤の声である。これまでは殴ることに楽しみを見いだしたような声ばかり出していたが、車のエンジンがそこまで来れば、それを気にし始めた。


エンジン音が止まる。店内にライトの光が眩しく入り込む。


俺は恐怖の中、レジから抜け出し、そそくさと商品棚に隠れて動きながら、外の様子が見える場所へと移動した。


ライトで反射してよくは見えないが、黒っぽい車で、タクシーでは無さそうだった。


その車の窓ガラスをドンッと拳で叩く進藤。


(やっぱり酔っているのか?)


車を叩けば何か請求があってもおかしくない。それを理解出来ないほどに酔いが回っているのだろうか。


叩いたのは後部座席の窓ガラスであった。そこに人影が見えたのであろう。


すると、扉が開かれた。そして、背の高い物体がにょきりと車内から出てくる。

その高さは俺が目にしたことのある高さであった。


(……マジで、来てくれた)


間違えなく国堂麗士であった。髪の毛も結んでいる。しかし、いつもとは何処か違う。


「こんばんわぁ。……兄ちゃんたち、ここで何してるん?」


ライトがフッと消える。そうすれば薄暗い中に進藤と国堂が、車のすぐ横で向き合っているのが確認出来た。


(……あ、スーツの上着……)


違うと思ったのは、いつもはだらしなくシャツとネクタイだけであったのに、今日はスーツのジャケットを羽織っていた。そして靴も革靴。

加えて、髪の毛も乱暴な結び方ではなく、きっちりと結ばれ、へにゃりと横に垂れた毛がない。


「……っ、あ、あんた……」


進藤が車と国堂から遠ざかるように後退りする。


(ん? 知り合い、なのか?)


あまり知り合いとは思えない二人だが、俺の知ったことではない。


「……ん? ……ぁあ。見たことあんな。……君ぃ、三ヶ月くらい前に貸したの、返ってきてへんけど……忘れてへんよなぁ?」


話の内容がイマイチ掴めないが、国堂のあの胡散臭い笑みに進藤が顔を青くして震え、徐々に遠のいていることは分かる。


「し、進藤? どうしたんだよ……」


進藤の後ろにいた援護部隊の一人が、わなわなと震えている進藤に声をかける。

先程までの彼はいなくなっていた。今は主人に怯える子犬のようだ。


「なん、で……、何で、国堂組の若頭が、こんなとこ……!」


(…………国堂……組? 若頭……?)


余計頭が混乱してくる。


知り合いらしい二人。

笑みを浮かべる国堂に震える進藤。

そして、進藤から話される言葉。


「貸したもんは返さんとあかんし、あんま賭け事やるべきやないって、優しい忠告もあん時したやろ?」


ゾクゾクと背筋に悪寒のようなものが走る。

国堂麗士の笑みは絶えないが、それは客として来る国堂とはまるで違っていた。

細目でほとんど瞳らしい瞳は見えないが、こちらを見て何か楽しんでいるような笑みが、常連の狐のモデルと称した彼である。


今、進藤と対面しているのは、悪魔のように細い吊り上がる目元を開き、光の無い瞳を見せながら、口元だけを歪ませ笑っている男だ。


「国堂組の、若頭って……!」


進藤の後ろにいた男も、肩を上げ、声を震わせながら進藤に尋ねるようにする。


「君たちもあかんで。一人にこんな寄って集って……、それにぃ、ここは店ん前やろ?」


黒ずんだ瞳のまま彼は、子供を優しく叱る親のような言葉遣いをする。表情に優しさなどは一切表れていないが。



「……餓鬼はさっさと帰り」


ドクンと胸が大きく跳ねた。背筋がビキリと固まる感覚に陥る。

進藤に感じていた焦りや恐怖とは比にならない。


沈んだ声色。重低音で、口元の歪みがなくなれば、無表情とも言えた国堂の顔は、鬼、悪魔、阿修羅、何に例えることが正しいのかは分からないが、俺が見た中で一番恐ろしいものだった。


そこにいた全員が凍ったように固まり、表情を青紫色に変えた。

一人が「ひっ」と情けない声を漏らせば、全員が国堂から一歩、また一歩と離れていく。


途中で「うわぁあっ!」と声を張り上げ、ガラの悪い全員が走り去っていく。


それを遠巻きに観察するように額辺りに手をあて、眺めるようにした国堂は、振り返ってから、コツコツと良い靴音を鳴らす。



「だぁいじょぶかぁ? 頭、血ぃ出てんなぁ。……意識、ないみたいやなぁ。……なぁ、病院、連れてってやり」


しゃがんだ国堂が見下ろし、ペチペチと叩いたのは殴られていた後輩の男だった。やはり、気を失っていたらしく、額から血が垂れていた。

それを見てから、車の方へと振り向き、誰かにそう告げると、運転席から一人黒スーツの男が降りてくる。

そして、意識のない彼を持ち上げ、車に積むように乗せた。


「麗士さんは」


「俺はこん中にいる子ぉに用あるからええわ」


国堂がそう言えば、黒スーツの男は「うす」と言って、運転席に乗るなり、ブゥンとエンジン音を鳴らし、車を動かした。


それを見送るようにした国堂が次どんな行動をするかくらいは読めていた。


またコツ、コツと革靴が音を鳴らす。いつもは聞かない音だ。つまりは客の時は革靴など履いていない。


ウィンとドアが開けば、いつものチャイムが鳴る。


「や、澄華君、大丈夫か?」


そう言う国堂は、いつも通り胡散臭い笑みを浮かべて俺の名前を呼んだ。

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