第2話

2,


「窪塚ぁ、課題レポート終わった?」


「ふぁ……、ぁ? 課題……、あぁ、やった、気がする」


昼時の受講はかなり眠たい。深夜バイトをしている俺が悪いと言われればそれまでだが、夜まで残らなければならない授業もある、と噂で聞いてから、夕方から働くことは辞めておいた。



育ち盛りの中学、高校を卒業したからといって、俺もまだまだ二十歳になったばかり。成長期は終わっていない。睡眠は必要なのだろう。


「うわぁ、少し見せてくんない? 明日までじゃん、終わりそうになくてよぉ」


「早瀬、前もそう言って俺、見せなかった?」


情けなく頭を下げながらその申し出をしてきたのは、大学入学後に親しくなった早瀬八重斗はやせやえとであった。

大学は特に決まったクラスというものもないし、ハブりハブられ、グループに入れる入れない、なんてこともない。

友人もそこまで必要とは思っていなかったが、たまたま受講科目が多く被っていた早瀬とは一緒にいることが多かった。


俺は、元々人間関係を広げるのは得意では無い。遊ぶなら遊園地やお洒落なカフェよりも、家でゲームをしていた方が楽だ。

洒落た物を食べて高い金額が飛ぶなら、安くても量の多いバイト先で売れ残ったの残飯弁当を食べる方を選ぶ。


対して、早瀬はどちらかと言えば陽な人間。今日の全身に纏う衣類で一体総額何円だろうか。いつも若者で話題となっているブランドの服を着ているイメージがある。

二十歳を超えてすぐに酒と煙草に手を出し、何ならパチンコみたいな賭け事も好き好むタイプだ。


友人とは言えるが、親友とは言えない。曖昧なラインの関係性。それでも大学四年間ならばそれくらいの緩い関係で問題は無いだろう。


「いやぁ、夜遊びしまくってたら、二日酔いとかなんやらで課題に手がのびなくて……」


「自業自得ってやつだな。……少しだけな」


「サンキュー! まぁ、最近はサークルの先輩に捕まってるってのもあるんだけど」


「飲みサー?」


「そうそう。酒飲む分にはいいんだけど、四年の先輩たちがちょっとなぁ……」


(……サークルもサークルで色々大変なんだな)



楽しむよりも自身の生活費を稼ぐ選んだ俺は、サークルには入らずバイトのみ。

遊び人ばかりいる若々しい遊びの場程度に思っていたが、案外先輩後輩というのが、大学にも存在するらしい。


「窪塚は? 今日もバイト? コンビニだっけ。変な奴とか来ないわけ?」


「んー、まぁ。仕事は慣れたし、一人シフトだから他に気遣わなくていいし……」


そう世間話のように話すが、ふと昨日の狐のモデルの行動を思い出した。

思わず変に言葉を区切ってしまう。目敏くそれに気付いた早瀬は、目を光らせて前のめりにこちらへ寄ってきた。


「何? なになに?? 気になる奴でもいるの? 客? 可愛い女の子? 年上のお姉様??」


「……違う……」


何を思ったのか、勝手に気になる女の客がいるのだと勘違いされてしまった。

気になると言われれば、気になる行動をとった客だったが、気になるの意味合いは全く違うものだ。


(可愛いよりも美人といった方がいい。男だけど)


「えぇー、可愛い子なら一目見たかったのにぃ」


「女の子じゃないし」


「えっ、男かよ……」


男。しかも高身長で顔の良い男だ。早瀬のタイプとは真逆もいいところだ。早瀬は勝手に舞い上がって、勝手に項垂れている。


────国堂麗士。

読み方は定かでは無い。『コクドウ』か『クニドウ』か。『レイシ』か『レイジ』か。

特に呼ぶこともないだろうから、深くは考えていなかった。


「まぁ、男ならいいや、どうでも」


「……ならって……」


早瀬は首を振って、前のめりな身体を元の位置に戻した。

重度の女好きだったのか。知らなかった。


しかし変に問われても俺だってあの男のことが何か分かる訳ではない。

見た目からして成人済み。顔、声、容姿から男。狐目で、妙に胡散臭い関西弁。

いつも会社終わりか何なのか、スーツのジャケットだけを脱いだワイシャツ姿で現れる。


……あと、意図せずして知った携帯の電話番号。


(……ていうか、何で俺に名前と番号の紙……? どう見ても俺、男だよな? ナンパかなんかで女の子に渡すならまだしも────)


「……なぁ、早瀬」


「ん? 何?」


俺の課題レポートを携帯で撮影していた早瀬に尋ねてしまった。


「俺、女に見える?」


「……は?」


分からない。他人から見れば女だと思えなくもない見た目なのかもしれない。

もしかしたら俺もあの男の声を聞かずにいれば、狐目の高身長女性モデルと言われたら疑わなかったかもしれない。


尋ねた俺に驚いた早瀬は、数秒表情を凍らせていたが、一気にそれが溶けた。そして一言。


「……頭でも沸いたか?」


失礼なことを言ってきた。

変に見えると言われるのも嫌だが、そんなバッサリと蔑んだ目で見て言われることも、なんだか癇に障る。


(でもまぁ、やっぱそうだよなぁ)


自分の思う自分は正しかったらしい。女には見えない。では、何で男の俺に名前と番号を教えたのだろうか、という疑問が残る。


「早瀬が名前と電話番号知って欲しいと思う人ってどんな奴?」


「え、何だよ。さっきから」


「ちょっと気になることがあったんだよ」


俺は早瀬から自分のレポートを返してもらい、また一つ尋ねる。早瀬は怪しげな目をこちらに向けると「えー」と考える素振りを見せた。


「……まぁ、一目見て好みだった子、とか?」


俺は唾をゴクリと飲み込んでしまう。これはあくまで、早瀬の一個人的な意見だ。それは分かっているが、薄々俺もそんな類のことを思っている相手にしか取らない行動だろうと考えていた。


しかし、そうじゃないと言い切れるのは、俺が男という事実。そして、向かいにいる同性の早瀬から見ても容姿が女には見えない、という言質が取れたからだ。


(ないない。変人なんだろう。こちらが名前教えたから自分も教えなきゃなんて思ったんだ……。番号は意味が分からないけど……)


狐のモデルを変人の一言で片すことにした。理解できないことは考えないようにした。

分かったとして、いい事は無いだろうから。


☆☆☆



自動ドアが開けば、いつもと同じチャイムの音。そして、いつも通りのこの時間。本当にこの男は何者なのだろうか。


「こんばんわぁ、澄華君」


「……いらっしゃいませ……」


昨日のほんのやり取りがあったからか、男は俺の名前を呼んで一つ挨拶をしてきた。

あくまで接客としての挨拶のみを返すと、「ふふ」と口に手をあてながら、隠すようにして笑った。


「…………何ですか」


腹が立った訳でもないが、勤務に相応しい挨拶をしたというのに笑われる理由が分からない。今日もこの男と俺以外は誰もいないのだから、少しくらいの会話は許されるだろう。


「いやぁ、なーんか、名前言われて嫌そうな顔してるから」


そう言われ、咄嗟に自分の頬を両手で隠す。意識してはいなかったが、そんな顔をしていたのだろうか。


「すんません。元々こんな顔なんで……、嫌とかじゃないです」


「んじゃぁ、嬉しい?」


「……それも違うと思いますけど」


「ははっ、ハッキリ言うなぁ」


男は変わらずの格好で、同じ飲み物に、今日はカツ丼をレジに持ってきた。

バーコードを読み込む。いつも通りだ、全部が。


昨日を境に何か態度を変えることもない。親しく話すような仲になった訳でもない。ただ、俺の名前を知られただけだ。


「……煙草は、いりますか」


「ん? あぁ、今日はまだあるから大丈夫」


変わりはしないが、一度少しの会話をしてしまえば、案外慣れるもので、他の客にはしないこともしてしまう。

こんなに平然と他人に話しかける俺ではなかった。恐らく、昨日の会話でこの男が変人ではあるが、悪い奴ではないと分かったから、という理由もあるのだろう。

煙草を買うか買わないか、なんて他の客にすることはない。何を買うか知っていても、わざわざ聞こうとも思わない。


「そっすか」


「おん、あ。弁当の温めはお願いな」


「……っす」


こんな敬語とも言えない敬語で返しても、顔色一つ変えない。話していれば、常に細目ながらニコニコ笑っていることが分かる。

電子レンジに入れたカツ丼が温まるまで、数十秒の間。普段なら黙っていれば、客も携帯でも弄って待っていてくれる時間だが。


「澄華君、いっつもこの時間帯におるよなぁ。学生さんか?」


「……一応……大学生っす」


「ふぅん、近く?」


「近所ではないっす」


詳しく突っ込んでくることもない。この男にとっては、ただの世間話なのだろう。構えることもない。


「……気ぃつけや。大学生やと二十なって、色んなこと、試したなるやろ? 酒とか煙草とか……、まぁ俺が言えたことやないけどなぁ」


笑い話にしながら、年上らしいことを言ってきた。俺は流すように「っす」と、返事をするだけだった。


「……んまぁ、澄華君はあんまりしなさそうやけど、賭け事で金、飛ばさんようにな」


少しドキリとした。勿論これからしようとも思っていなかったが、昼間に話した早瀬が、それらをする側の人間だったから、あまりにもタイムリーな話で、ビクリとしてしまった。


「……俺は……、しない、と思います……」


「やろなぁ。苦手そうやし」


ムッとする言い方だが、的を得ているので何も言えず言葉に詰まる。

ゲームは好きだが、運ゲーは苦手。考えて外すタイプの人間だ。

見抜いたように男はまた、麗しき顔に笑みを貼り付けてこちらを見る。男の俺にその顔を見せても何にもならないというのに。


「金、飛ばして借金まみれとか、するもんやない」


「……だから、しませんってば」


弁当が温まればそれを袋に入れて、男に手渡す。それを男は受け取った。

今まで気にしたことはなかったが、男の長いゴツゴツと関節の浮き出る指には、いくつか銀の指輪がついていた。

位置からして結婚指輪ではないし、太めのイカついタイプの指輪だった。


(会社員は、しないよな? こういうの……)


余計男が何者なのか分からなくなる。


「……ほな、ありがとうな。また、来るわぁ」


知りたい訳では無い。でも気になる。そんな葛藤。わざわざ男の素性を知って何かになる訳でもない。

これからもこうやって、バーコード打って、弁当温めて、たまに煙草取って、商品を受け渡す。その流れ作業をするだけの仲にしかなり得ない。


だけど────


「……っ、あ、あの……」


「んー?」


自動ドア前まで行った男に思わず声をかけてしまう。あまり大声ではなかったが、人もいない店内では小さめにかかるアーティストの宣伝の声だけ。

男に俺の声は届いたらしい。


「っえ、えっと……、昨日の、紙……、どういう、意味すか……」


葛藤の末、俺の『気になる』の感情が勝った。


「紙ぃ?」


「な、なまえ……と、番号書いたの……」


あれの意図を聞いてどうなる、という話だが、今一番気になっていることは、それなのだから、聞くしかないだろう。

男は思い出したように「あぁ!」と両手を合掌するように、パチンと鳴らす。

そして身体はドアへ向けたまま、顔だけをこちらに見せている。


「意味かぁ……。そやなぁ、ま、何か困ったことあったら連絡しぃやって意味かなぁ?」


(な、何か……?)


その『何か』も分からないが、とりあえず一つの疑問は解けたということにしよう。


「あと、あの……、名前、なんて、読むんすか」


そう尋ねると次は、細いつり目を少しだけ見開いたようで、驚いていた。

一瞬無言となったが、「ぶふっ」と男は吹き出してから、また口元に手をあてる。


「あ、あぁー、そうか。読めへんかったか。ごめんごめん」


続けてまた「はははっ」と笑いが止まらないようだった。


「……漢字は読めても、どの読み方が正しいのか、分かんなかったんで……」


漢字の知識がなかったと思われるのは、癪だったので訂正するようにそう言うと、男は長く垂れた横髪を耳にかける。


「こくどう。国堂麗士こくどうれいしや」


「……国堂、麗士…………さん」


つい復唱してしまったが、相手が客であり、見るからに年上だったことを思い出し、遅れて「さん」を付け足す。

そうすれば小さく「いひひ」とまた一つ変わった奇妙な笑い声を残す。


「じゃあな。困ったこと、あったら連絡しぃや」


(することもないと思うけど……)


くるりと背を向ければ片手の甲を見せてヒラヒラと手を振った。国堂麗士という男。

耳に横髪をかければ、キラリと何かが光るのが見えた。恐らくピアスだろう。


(……結局、何者なんだ……? 普通の会社員じゃない、のか?)


ワイシャツやネクタイ、いつも現れるのが夜中なことから、ブラック企業に勤める会社員と予想していたが、どうもハズレな気がする。


指輪やピアスをつけている。わざわざ一度帰宅して、アクセサリーをつけてからコンビニに来るとも思えない。


名前を知ったところで、国堂の謎は深まるばかりだった。


制服のポケットに忍ばせた皺になった例の紙を取り出し、じっと眺める。


(……国堂、麗士……か)

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