俺は狐ヤクザに恋をしない

楠永遠

狐のモデル

第1話

「ほな、兄ちゃん。会計頼むわぁ」


白いワイシャツはヨレが目立つ。飾り程度についた真っ黒なネクタイ。襟元も不恰好に折れている。

寒いのかは知らないが、中に黒の長袖のインナーが白いシャツから透けて見えるし、開けた首元からも黒い布が覗いている。


差し出されるのは、決まって百十円の五百ミリリットルの天然水と、値引きシールの貼られた大きめの弁当。


「……うぃっす」


男が登場する時間も決まっている。

俺が深夜ワンオペでバイトを勤める時間帯だ。大体、日にちを跨ぐ時間にやってくる。

レジに置かれたその二つを手に取り、バーコードを読み込む。男は財布を取り出し、小銭を数枚抜いている。


(……コンビニ弁当ばっか。身体に悪そう)


大学入学と同時に都会に上京し、一人暮らしを始めた。大学提携で少し家賃が安くなるアパートを借り、生活費のためにこんな都会とは思えないほど客数の少ない、影に追いやられたコンビニで深夜バイトをする俺にそんなこと思われたくはないだろうが。


「あ、あと──……」


金額をおおよそ計算していたのか、合計金額に近い小銭をトレーに置いてから、思い出したように男は角張った大きな手を出し、長い指でこちらの方を指してくる。


(……あ)


「十九ですよね、煙草。マルボロの十四」


つい口に出てしまった。男の指がピタリと止まる。後ろに並んだ煙草棚の列を男の指が辿るように動き、若干眉間に皺を寄せている姿を、眠たく、ぼぉっとしていれば、口から男のよく頼む煙草の番号と名前を発していた。


(うわ、引かれたか? 可愛い女の子とかだったら嬉しいかもしれないけど、俺みたいな男の餓鬼に覚えられてても嬉しくないわな)


後悔した。常連と言えば常連なこの男。名前は知らない。

ただ、いつも同じようにスーツの上を脱いだ状態の風貌で、髪の毛は黒く長髪。後ろに一つ結んでいる。身長もかなり高い。百七十後半の俺でも、見上げるくらいには。

胡散臭い関西弁も男の特徴だ。


接客業だ、たまに目が合うし、顔だって当然見る訳だ。

男にしては色白で、鼻筋が通っている。

あと、とりわけ目がいくのは瞳が薄らと見えるか見えないか、そんな細い狐目だった。

眉間に皺を寄せた表情は、糸ほど細くなっていたが、整った顔は崩れない。不思議なこともあるものだ。

頭の中では勝手に"狐のモデル"なんて呼んでいる。


まぁ、美形の狐目で男で、モデル並の外見を持つという俺の勝手な見解でしかない。

本人に言う訳でもないあだ名なんて、そんなものだ。


俺は思わず口を片手で抑える。

男は何かを言うこともなく、宙で止めた指を下ろした。


(何か言って欲しい……。『そうだ』くらいの簡単な返事でいいから! 肯定してくれないと煙草を取るに取れないから!)


何とも言えない気まずい空気を打破して欲しいと願った。何だか手汗がじんわりと浮き出た。それをギュッと握り潰す。


「っあ、ち、違いました、か……?」


無言が息苦しい。結局俺から声をかけてしまった。おかしな事はないだろう。

男は髪が長い分、触角のような横髪が顔にかかっており、表情がいまいち読み取れない。

しかし、尋ねれば顔を僅かに斜めに傾かせる。そうすれば、さらりと艶のある毛が男の顔から退けた。


「んや、合っとるわ。ありがとぉな。覚えててくれて」


「っ! あ、あ、はぃ」



正直驚いた。美形美形とは思っていたが、髪の毛が開けた先にあった笑みを浮かべていた男の顔は、イケメンというか、美人の方が言葉が合っている。


「……窪塚…………」


次に口が出たのは男の方だった。俺は煙草を取るために男に背を向けたが、その声に驚き、振り返る。決して男が喋ったことに驚いた訳では無い。


"窪塚"は、俺の苗字である。唐突に名前を呼ばれれば驚くものだろう。

思わず「えっ」と言ってしまった。煙草の箱をくしゃりと潰してしまった。手に握った箱を見て「あっ」となる。


「そんな驚くか?」


「ひひ」と不気味とも思える笑い方をしたが、やはり顔は良い。


「いや、何で名前……」


男は自分の胸元を、先程宙を彷徨っていた長い指でトントンと数回叩く。

一度疑問を頭に描いたが、ハッと自分の胸元へ目をやる。

そこには"窪塚"と書かれたプラスチック製のネームプレート。


「あ、あぁ……。これ、ですか……」


(知り合いかと思った……)


自分が覚えていないだけで、何かしら交流があったのかもしれないと焦ったが、そうではなかった。


「窪塚────、何、君?」


俺は一度悩む。そう易々と名も知らない他人に自分の名前を明かす必要があるのか、と。

同じ大学の生徒とか、これから関わり合いになるから───とか、そういうことならば何も考えず名乗るのだが……。

会社員か、何なのか。そもそも何歳だろうか。見て成人しているのは分かるが、二十代、前半といったところか? そんな曖昧なことしか分からない。


しかし向かってくる笑顔がキラキラと美しいものだから、すっぱりと「個人情報なんで」と断ることも何だか躊躇われる。


(それに、これからもここには来るだろうし。……変に癪に障る行動はすべきではないよなぁ)


「……澄華です。窪塚澄華くぼつかすみか。変な名前ですよね」


「珍しい名前やね。漢字は?」


「え、えぇ……とぉ」


説明が難しい。『澄む』に難しい方の『華』ですって言っても、伝わる人と伝わらない人がいる。過去の俺の説明経験からして。

変に会話を長引かせたくもないし、と思い、レジ内にあったメモ紙の切れ端を台に置く。

胸元のポケットに刺してあるボールペンで、自分の名前を雑に書く。


『窪塚澄華』を男子学生らしい不格好な文字で、少し右上がりに書き連ねる。そして男にそれを見せる。


「ほぇー、澄華君な。覚えた覚えた」


(別に覚えなくてもいいけど……)


「あっ、弁当、温めは」


「頼むわぁ。あと、袋も一枚」


いつもであれば、ほんの一分程度の接客を既に五分くらいは相手にしてしまった。客いないし、暇だから別に良いのだが。

電子レンジに弁当を入れ、ラベルに書かれた時間で設定する。

言われたようにレジ袋を取り、割り箸も台に乗せておく。煙草のバーコードを読み、ようやく会計までもっていく。


「えーと、1323円です」


「ほい」


男はすぐにトレーにお金を置く。ピッタリであった。レシートのみを返し、あとは弁当を待つのみだ。

すると男は、俺が台に置きっぱなしにしていた汚い字で俺の名前が書かれている紙を裏にし、ボールペンで何かを書いていた。


(……話し方からして悪い人ではないんだろうけど、少し変わってるよな……)


こちらに害がないから良いが、コンビニのレジ台で紙とペンがあるからと何か書き出す人間は中々特殊だと思えた。

チン、と電子レンジが鳴れば、温まる弁当を袋に入れ、箸を入れる。


「飲み物と煙草は一緒に──」


一緒に入れていいか、と聞こうとすれば、男はこちらに紙とペンを返してきた。俺はすんなりとそれを受け取る。対して男は、袋とペットボトル、煙草を分けて持つ。


「ほな。いつもありがとうな、澄華君」


「っ!ぉわ」


煙草をワイシャツの胸ポケットへしまい、片手にペットボトルと弁当の入ったレジ袋。

空いた片手で正面にあった俺の髪の毛を前からくしゃりと一つ優しく撫でたような掴んだような。


(……こ、怖い……、都会の人って当たり前に人の髪撫でてくるの!?)


男はニヤリとこれまた綺麗な顔で不敵な笑みを見せれば、背を向けて撫でてきた片手をヒラヒラと振り、自動ドアをくぐった。チャイムが一つ鳴る。


「……ていうか、何書いて……」


思わず反射的に受け取ってしまった紙を見る。


「ぅえっ!?」


傾いた汚い俺の名前の裏に書かれた達筆で真っ直ぐな文字。


『黒堂麗士』と横には十一桁の数字とハイフン二つ。間違えなくそれは電話番号だ。


「っこ、こわぁ……」


狐のモデルは良い人だと思うが変わり者。

あと少し闇を感じる男だ。

捨てようかとも考えたが、これからも来るだろうし、その時に、あの紙どうしたとか聞かれて、捨てたとも言えないし、罪悪感が過ぎりそうだ。

嘘をつくという手もあるが、それも何だか申し訳ない。常連は常連だ。


とりあえず制服のポケットにその紙を突っ込んでおくことにした。

この時間の、この場所でしか会うことの無い人間なのだから、と。

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