ああ、これはまごうことなき、滅びの記憶だ

 少女たちは、笑う。沢で遊び、チョコを分け合う。その日常のすべてが、死と向き合う前の儀式のように慎ましく、そして切実だった。

 ハルカとミズキ。二人の輪郭はくっきりと描かれていながら、その存在はどこまでも脆い。文明の崩壊、国家の横暴、兵器の暴力、それらが一度も彼女たちの言葉では語られないまま、ただ画面越しに伝えられ、風景の中で変質していく。 

 タブレットが鳴る。警報が鳴る。警報が鳴る。沢が枯れる。鼻血が滲む。警報が鳴る。その一つ一つの描写に、「死ぬかもしれない」という言葉すら要らない。むしろ、その不在こそが、物語全体にじわじわと死と終末の温度を与えていた。

 世界が音を立てて崩れていく中で、彼女たちが交わす言葉の軽やかさが、逆に戦慄をもたらす。

 それは、言葉の無力ではない。言葉しか持たない人間が、どうしようもなく「それでも語る」ことしかできなかった記録だ。

 戦争文学でも、ジュブナイルでも、ディストピアでもない。

 これは、命が命でなくなる一歩手前の、“沈黙の手前”にとどまった物語だと思います。素晴らしかったです、おそらく私は、あなたのような書き手に出会いたくて、この企画を始めた。そう思える作品でした。