第48話

 駅に向かいながら想像をめぐらす。

 誠治と瑞希には何かあったら電話をしてくるように話してあった。瑞希が誠治のスマホを使って連絡してきたということは、病気か怪我か、誠治の身に重大な何かが起きたからだ。自分のスマホを使わなかったのは、誠治のスマホの通信履歴を利用したほうが楽だからだろう。

 どうして母親に助けを求めない? 当然、最初に電話をかけた相手は母親だろう。つながらないのだ。彼女はスマホの電源を落としているか、電話に出られない状況にある。綾小路と一緒なのかもしれない!……推理すると腹が立った。

「子供を放置するな」

 鈴菜のネグレクトを非難しながら足を速めた。

 電車に乗ってから思いつき、立花にメッセージを送る。

〖宝田鈴菜さんのスマホの電話番号を教えてほしい。連絡を取りたいの〗

 瑞希が連絡をあきらめても、自分は連絡し続けるべきだと思った。

 ほどなく返信が届いた。

【すまない。法子さんは傷害の被疑者だから教えられない】

「そっかぁ……」

 声が大きかったようで、乗客の目が法子に集まった。

 ごめんなさい。……ぺこりと頭を下げた。

【今度は何を考えているの?】

 メッセージが続いた。

〖娘の瑞希さんから電話があった。お兄さんが大変だって〗

【大変って、なに?】

〖分からないから向かっているところ。立花さんから母親に電話して。家に帰るように〗

【了解】

 しばらくすると新たなメッセージが届いた。

【母親は電話に出ない】

〖きっと不倫中。連絡してくれてありがとう〗

【助けが必要なら、電話して】

〖ありがとう。そうする〗

 ほどなく星城駅に着き、そこからは全力で走った。

 エントランスで1304とボタンを押す。『入って』と瑞希の声がして自動ドアが開いた。

 エレベーターには住人らしい男性が乗っていて、不審者を見るような不躾な視線を向けられた。彼は十階で降りた。

 エレベーターを降りると1304号室まで走った。インターフォンを押すと返事より先にドアが開いた。顔を見せたのは瑞希。

「瑞希さん、何があったの?」

「お兄さんが……」

 彼女は半べそをかいていたが、どこか嘘くさい。

 廊下の奥から漂う怪しい気配。見たところ景色は以前と同じだけれど、何か生臭いものが漂っている。

「上がるわよ」

 彼女を置き去りにしてリビングに向かう。

 ドアは開いていた。そこに立った時、身体が固まった。

 部屋の奥、ソファーと応接テーブルの間に横たわる鈴菜の足が見えた。その腹部が赤黒く汚れている。ソファーの陰に座り込んだ誠治は震えているように見えた。

「誠治君……」

 近づいて気づいた。彼は血に染まったシェフナイフを握っていた。

「まさか、誠治君が……」

 信じられなかった。

「ボクは、ボクは……」

 彼は不明瞭な声で何かをつぶやいた。

 法子は迷った。誠治を彼の部屋に入れるべきかどうかを。今のままでは、血迷った彼が襲ってくるかもしれない。そうさせないためには彼を何らかの方法で拘束するか、彼を自分の部屋に行かせることだけれど、彼が自死の道を選択してしまう可能性が頭をよぎった。マンションの十三階、刃物がなくても死ぬ方法はある。

「誠治君はそこにいて」

 声を掛けても反応はなかった。凍えたように固まっている。

 襲ってくることはなさそうだ。……法子は判断すると、流れた血を踏まないようにして鈴菜の頭側に回った。腹部の傷から大量の血が出ていた。胸は微かに上下している。

 まだ生きている。救急車!……自分に言ってスマホを手にした。ところがディスプレーは黒いままだった。

 ヤバッ!……充電が不十分でバッテリーが切れていた。

「瑞希さん、スマホを貸して。それからタオル出して、沢山」

「どうするの?」

 彼女がおずおずと誠治のスマホを指し出した。

「まだ息がある。救急車を呼ぶわ」

 誠治のスマホを使って通報してから、彼女と一緒にタオルを探した。それで少しでも出血を抑えるつもりだ。

「サニタリーかな……」

 瑞希はわざとそうしているのではないかと思うほど、ゆっくり話し、ゆっくり歩いた。電話で助けを求めた時と態度が違う。

 洗面所は広く、三人同時に顔が洗えるほど大きな家具調の洗面化粧台が壁の片面を占めていた。鏡の上部に吊戸棚があって、色とりどりのタオルが詰まっていた。

「あった!」

 無作為に一抱えのタオルを引っ張り出すとリビングに戻った。

 さっきまで震えていた誠治は静かに泣いていた。それにはかまわず、鈴菜の傷口にタオルを押し当てた。白いタオルがじんわりと赤く染まる。新しいピンク色のタオルに替えた。次は水色のタオル……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る