Ⅵ それぞれの戦い
第47話
クニノミヤ物産で綾小路夫妻や小早川部長に話を訊けないものかしら?……法子はブラックコーヒーを飲みながら、彼らに会う方法をあれこれ考えていた。
「ん……?」
首をひねる。自分が間違っていることに気づいた。システム・ヤマツミ同様、クニノミヤ物産は上場企業ではない。株式市場に公開されていない株を手に入れて企業の経営権を手に入れるのは難しい。株を買うには、いちいち現在の株主の同意が要るからだ。
社長、どうやってクニノミヤ物産の経営権を手に入れようとしていたのだろう? 誰がどれだけ株を持っているかさえ公表されていないはずだ。……当初はその情報を得るために鈴菜をそこで働かせていると思った。ところが、鈴菜とは仮面夫婦。逆に鈴菜は綾小路社長と不倫関係にある。彼女が宝田社長の思う通りに動くことはなかっただろう。だからこそ、彼は頻繁に綾小路社長と連絡を取っていたのかもしれない。
そうしてピンときた。宝田社長は、妻と綾小路社長の不倫を黙認する代わりに、クニノミヤ物産の株を手に入れようとしたのではないか?
「それならありえる!……かな?」
自分なら絶対できないことだけに確信できない。
他に取引が成立する対価がある?……法子は立って「対価、対価……」と念仏のように唱えながら室内を往復した。
綾小路がもらって得をするものは何だろう。六十代の男性が。……思考があらぬ方角に飛んだ。亡くなった九条刑事の顔だった。
スマホのバッテリー切れの警告ランプが点滅していた。法子はスマホに充電ケーブルをつないで立花に電話を掛けた。
『法子さん、なにか?』
「今、大丈夫?」
『うん、いいよ』
「良かった。……あのね。九条刑事の事件のことだけど、九条刑事がいなくなって得をするのは誰?」
『叱られなくなった僕かな』
「冗談は要らないから。……九条刑事、色々な事件を調査していたんでしょ?」
『調査じゃない。捜査』
「どっちでも似たようなものじゃないですかぁ。で、どうなの?」
『九条さんが死んで得をする者かぁ。……葛岡殺しの犯人、それから警察組織かな?』
「警察組織が?……どうして?」
『勝手に単独捜査をしていたからな。組織人としては失格だ』
「立花さんだって、そうじゃない」
『そういやそうだ……』電話の向こうで彼が笑った。『……でも僕は、本庁に言われておとなしくしている。九条さんよりは要領よく生きているつもりだよ』
警察組織が九条刑事を殺すことはないだろう。懲戒免職にすれば済むはずだ。いや、警察官でなくなっても、九条刑事なら捜査を進めるかもしれない。……自問自答すると、殺さなければならない理由にピンときた。
「警察組織はともかく、警察官の誰かが殺したかもしれない?」
『エッ、何だって?』
「九条さんを殺したのは、警察の中の人かもしれない。警察官なら警察の操作方法に詳しいから、逆に他殺を事故や自殺に見せかけることもできるんじゃないですか? 九条刑事が単独で捜査していることにも気づけたはずです」
『止めてほしいな。そんな無茶苦茶な推理は。警官が仲間を殺すはずないだろう』
彼の声に棘があった。そんな声を聞いたのは初めてだ。
「そうかなぁ。映画やドラマなら、珍しくないことだと思うけど」
『安っぽいドラマの観すぎだよ』
電話の向こうで苦笑するのが手に取るように分かる。
「人間のやることなんて安っぽいドラマと同じだと思います。大の大人が見え見えの偽装をしたり、噓をついたり、小さな欲やプライドのために、簡単にわかる誤魔化しをするんです。監査をしていると分かります」
『そうかもしれないけど……。ごめん、仕事の電話だ』
彼はそう言うと、法子との通話を切った。
「安っぽいドラマかぁ」
ベッドに身体を投げ出して天井を見上げた。部屋にはテレビがない。ネットで映画やドラマを観る趣味もない。出張先のホテルで時間つぶしに観る程度だ。記憶にあるドラマは中学や高校生の頃に観たもので、あのころからアップデートされていない。その頃のドラマを思い出そうとしていると睡魔が襲ってくる。
――ルルルルル、ルルルルル……――
「……ん……誠治君?」
なんだろう?……疑問に思いながら電話に出ると、聞こえたのは彼の声ではなかった。
『助けて、お姉さん……』
切羽詰まった声だった。
「エッ、瑞希さん?」
『お姉さん、助けて!』
「どうしたの?」
『ママが、……ママが死んじゃう』
「エッ、何があったの?」
『お兄さんが……。早く来て』
電話が切れ、――ツー――と虚しい音が続く。
「もう、何なのよ」
自分を叱るように言いながら、時刻を確認した。スマホのディスプレーには【21:31】とある。
まだ電車はある。……充電ケーブルを外し、バッグを取って部屋を飛び出した。
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