第43話
法子は周囲に視線を走らせた。通行人はいるけれど、あの男性の姿はない。
どうやって監視しているのだろう? 盗聴器、GPS、まさかの人工衛星?……アメリカの軍事衛星は地上の人物を判別できると聞いたことがあった。空を見上げた。
「まさかね」
妄想を展開しながらマンションに入った。
エレベーターに乗り、立花が去った理由を推理した。刑事が被疑者と夜を共にするなんてスキャンダルに違いない。彼の出世にも響くだろう。つまり、彼はワタシより仕事を選んだのだ。それもこれも、誰かが見ていて警視庁に報告するからだ。
――チーン――
電子音が鳴り、エレベーターがとまる。その瞬間、妄想を折りたたんだ。
自分の部屋に戻るとシンとした静けさが胸にしみる。スマホをアンプにつないで音楽を鳴らした。コーヒーを淹れていつもの場所に座る。徒労感と焦りを苦いコーヒーで洗い流した。
「さて、一人捜査会議といきますか……」
意欲を言葉にしてスマホのメモ機能を開く。
〖宝田夫婦は仮面夫婦だった〗
文字を入力しながら考えをめぐらす。アリバイのために子供をつくるだなんて、しかも二人も。そんなことがあるだろうか? 原因と結果は逆で、宝田夫婦も出産の結果、仮面夫婦になったのではないだろうか?……出産を契機にセックスレスになったという話なら聞いたことがある。
〖逆井亜里子は公認の愛人だった〗
それはセックスレスに対する代償だろうか? 夫を拒む代わりに、同級生の亜里子を愛人として紹介した。なのに、アリバイのために子供はつくる。……亜里子の説明は、そんなおぞましいものだった。
亜里子の娘はミズキ、どうして本妻の娘の瑞希と同じ名前を付けたのだろう? 宝田社長、何を考えていたんだろう? それとも亜里子が、自分の存在を印象付けるために本妻の子供と同じ名前を付けたのだろうか?……その疑問は、いずれの事件とも関係があるとは思えなかった。
〖逆井亜里子、篠田美緒、葛岡沙良はDNA鑑定書の存在を知らなかった〗
被検体は彼女らの子供ではない。では誰だ?
――鑑定書。もしかしたら健ちゃんと鈴菜の子供のことかもしれないわね――亜里子の声が脳裏をよぎった。
「まさかよね」
その時、――グゥー――腹の虫が鳴いた。けれど、料理をする気分ではなかった。冷蔵庫を開けて覗き込む。中の黒い塊はバナナだった。
冷蔵庫に入れない方がいいと知っていたのに、どうして入れてしまったのだろう?……自分の行動に困惑を覚えながらバナナを取った。
皮をむく。中身は無事だった。
「いける!」
頬張るとスイーツのような甘さが口の中に広がる。あっという間に二本も食べた。
カロリーは十分。これで明日まで持つ。残りは二本。冷蔵庫に戻すべきか、入れずにおくべきか、迷った末に戻した。
何が正解なのだろう?…‥バナナも宝田夫婦の生き方も事件の真相も分からない。
スマホのメモを見直す。以前、立花との捜査会議で記録したものだ。
〖宝田社長、公衆電話で呼び出され、殺害される〗
〖葛岡、何者かと公衆電話で連絡。後に殺人事件を起こし、現場近くで投身自殺。宝田社長の財布を所持〗
「公衆電話の主、結局、共通する知り合いはいなかったなぁ」
マグカップが空になったのでコーヒーを淹れなおす。
〖九条刑事、溺死。肺の水と川の水の成分は一致。頭部手足に傷。生体反応アリ。手帳とスマホは所在不明〗
「これは調べようがない……」
確信しているのは、九条刑事は殺害されたということ。それから、葛岡の殺害犯と同一犯の可能性が高いということだ。九条刑事は事件の真相に迫っていた。
「……ということは……」
葛岡殺しの真相が分かれば、九条刑事殺しの犯人もわかるということだ。
警察は葛岡が落ちたビルの屋上で事件性の物的証拠を見つけられなかったのだろうか?……足跡とか手すりの指紋とか……。
「なにか痕跡があるはずだ……」
京都の科捜研なら、絶対、痕跡を見つけるのに。……高校生のころに好きだったテレビドラマを思い出しながらコーヒーをすすった。
「で、と……」次のメモに目をやる。
〖九条刑事の捜査対象 葛岡の妻、本庄華、逆井亜里子、篠田美緒、綾小路社長、綾小路社長夫人〗
葛岡沙良と逆井亜里子、篠田美緒には話を聞いたけれど事件に関係している様子はなかった。本庄華は葬儀で騒いだくらいだから、彼女も事件とは無関係だろう。
「残るは綾小路夫婦と小早川部長、綾小路課長かぁ……」
クニノミヤ物産に行ったら会ってもらえるかなぁ。……。音楽に耳を傾けながら、会うための口実をあれこれ検討した。営業担当なら仕事を口実に訪ねられるけれど、そうはいかない。鈴菜との不倫の件を理由に訪ねるのも露骨すぎる。法子の一人捜査会議はいつものように行き詰った。
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