第35話

 法子が連行されたのは星城警察署だった。取調室で正面に座ったのは藤堂より年齢のいった刑事だった。彼が、姓名や本籍地、勤務先と所属部署を確認した。それから改めて尋ねた。

「剣さん、あなたは午後二時ごろ、何処にいたかな?」

「何処って、……私が何をしたというんです?」

「質問をしているのは自分です。答えてください」

 法子はグッと怒りをこらえた。

「……星城駅にいました」

「間違いありませんね」

「はい。ファミレスで食事をして、駅に着いたのが一時四十五分です」

「正確に憶えているのですな」

 彼の唇の端が上がる。

「駅に温度計がありました。時刻も出ていました。午後一時四十五分、三十四.九度でした」

「なるほど」

「それで、すぐには電車に乗らなかった。そうだね?」

 すぐに乗らなかったことを言い当てられて驚いた。

「防犯カメラで確認したのですか?」

 刑事が冷笑した。

「質問をしているのは自分だ。どうして乗らなかった?」

「どうしてって……。知り合いを見かけて追いかけたのです」

「知り合いというのは、誰だね?」

「宝田鈴菜さんです。サングラスをしていたので確実ではないのですが、よく似ていました」

「なるほど。宝田さんを見かけて追ったのですな。そして刺した?」

「エッ……?」

「あなたは駅の外まで追いかけて宝田さんを刺した」

 刑事が睨む。

「私、そんなことしていません。駅を出ていませんから。第一、どうして私が刺すんですか?」

「自分もそれが知りたい。たびたび宝田家を訪ねているようだな?」

 それを誰から聞いたのだろう?……誠治、瑞希、鈴菜の顔が脳裏をよぎる。まさか!……最後に浮かんだのは立花の顔だった。

「それはそうですが……。宝田さんは、宝田鈴菜さんは無事なのですか?」

「ああ、怪我自体は軽傷だ。しかし、精神的ショックが大きいそうだ。可哀そうに……」

 芝居じみた言い方だった。

「彼女に聞いてもらえれば、刺したのは私じゃないと分かるはずです」

「それが、彼女は犯人をはっきりとは見ていないそうだ。ただ、逃げる後姿があなたに似ていた。そう話している」

「私に?」

 私が刺したというのも、たびたび宝田家を訪ねていたというのも、鈴菜の証言だ。彼女は私を陥れようとしている? どうして?……頭の中で疑問が渦巻いた。

「彼女と一緒にいた男性はどうなのです? 犯人を見ていないのですか?」

 彼に訊けば。鈴菜の嘘がはっきりするはずだ。

「男性?」

 刑事が、記録係の刑事に目をやった。その刑事は、知らないというように首を振った。

「宝田鈴菜さんは、男と一緒だったのですな?」

「はい。駅のホームでは肩を並べて話していました。若くて中性的な男性です。Tシャツと黒いパンツ姿でした」

 記録係の刑事が取調室を出て行った。同行者がいたことを他の捜査員に伝えるのだろう。

「ふむ……」

 正面に座った刑事は腕を組み、まるで値踏みでもするように、じっと法子を見つめた。

 法子は目を閉じた。中年男性とにらめっこをする趣味はない。

 長い沈黙が続いた。それにしびれを切らしたのは刑事の方だった。

「宝田家に出向くのは何故かな?」

「社長の仏前に手を合わせに……。変ですか?」

「一度ならともかく、三度はどうかな。社長と個人的な関係でも?」

 個人的な関係? 不倫の関係にあるとでも?……彼に軽蔑の視線を投げた。

「ありません。社長の生前は、まともに話したこともありません」

「フーン。監査なら、社長直属の部署ではないのかな?」

「そうですが、社長と話すのは部長です」

「なるほど。……で、どうして宝田家に何度も足を運ぶ? 正直に教えてくれないかな」

「宝田社長は、奥さまが働いている会社を買収しようとしていたという噂がありました。その真偽を、確かめるために訪ねていました」

「答えは聞けたのかな?」

「いいえ。奥さまは何も知らないと」

「それなら、どうして何度も……」

「何かを隠していると感じました」

「ほう。俺たちと一緒だな」

 刑事が不敵な笑みを浮かべた。法子はヘビににらまれたカエル同然だった。

 気持ちを奮い立たせて刑事の目を睨み返す。法子は考えた。ここは警察署の取調室。彼が猫なら自分は弱いネズミだ。窮鼠だ。〝窮鼠猫をかむ〟負けられるか、と……。


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