第34話

 兄妹と別れた後、駅の反対側にあるファミリーレストランに入ってバジルパスタを注文した。その時になって、兄妹を連れてくれば良かったと気づいた。コンビニ弁当も悪くないけれど、食事は器や場所といった環境も大切だ。

「お待たせしました」

 目の前に置かれたプレートからバジルの香がした。パスタを少し口に運ぶ。ほろ苦いものが舌から胃袋に広がった。

 子供にこの味は無理かな。……もう一口、食べた。

 綾小路が雇った誰かが、葛岡を使って兄妹の父親を殺した。その綾小路と母親が不倫している。神様は意地悪だ。……兄妹の不運に同情を禁じ得ない。

「お客様、何か不手際がありましたでしょうか?」

「エッ?」

 横に店員が立っていた。見上げると、ツーっと頬を何かが伝った。一瞬、汗かと思ったけれど涙だった。

 どうして泣いているのだろう? 元社長の子供たちとはいえ、他人ではないか……。

「ごめんなさい。大丈夫です」

 涙を拭き、ドリンクバーに立った。

 兄妹の未来、鈴菜の不倫、綾小路の犯罪……。あれこれ考えていると二時間も経っていた。何一つ答えを見いだせず、やるせない思いを胸にファミリーレストランを後にした。真っ直ぐ家に帰るつもりだった。

 初夏の太陽に身も心も焼かれた。駅の温度計は【pm1:45 34.9℃】と表示していた。

 ホームで電車を待っていると、向かい側のホームに電車が入った。ぼんやり見ていると電車が出発する。改札に向かう人波の中に、肌の露出の多い派手な衣装の女性に目が向いた。

「エッ!」

 サングラスをしているので顔ははっきりしないけれど、髪型や背格好といった全体の雰囲気が鈴菜そのものだった。

「どういうこと?」

 彼女は男性と肩を寄せていた。綾小路ではない、もっと若く美しい誰かだ。

 もう一人の不倫相手?……誠治の浮かない顔も、鈴菜のこうした行動を知っているからだと解釈すると腑に落ちた。

 そうだ、写真!……反射的にスマホを手にした。その時、目の前に自分が乗る予定の電車が入って来て視界をふさいだ。

 彼女ならマンション寄りの改札に向かうだろう。……慌てて改札に向かって走る。改札についてからは背伸びして探したけれど、彼女を見つけることはできなかった。

 見つけたとして、どうするつもり? 不倫を糾弾する? それで兄妹が喜ぶ?……考えても答えは見つからない。

 きっと人違いだ。……半ば自分を誤魔化し、元のホームに戻った。全身、汗だくだった。

 電車は出たばかりで、ホームに人はまばらだった。ベンチに座ると、どっと疲労を覚えた。

 ほどなく次の電車がホームに入った。重たい腰を上げる。早く冷房の効いた車内に飛び込みたかった。

 ――フォンフォンフォン――

 電車に乗る直前、救急車の暑苦しいサイレンが聞こえた。誰かが熱中症で倒れたのかもしれない。ぼんやり想像しながら電車に乗った。車内は冷房が効いていて、とても心地よかった。ドアが閉まると暑苦しいサイレンの音からも解放された。

「暑い……、暑い……」

 電車を降りてからは、ぶつぶつ言いながら家路を行く。途中、コンビニによってコスメを物色した。それが欲しいからではなく、涼みたかったから。

 立花さんはどんな化粧を気に入るだろう?……あれやこれやと悩んだけれど、結局、決断できなかった。長くいて何も買わないのは申し訳なく、缶ビールと避妊具を買った。買い置きしても腐ることがないからだ。

 帰ったら冷たいシャワーを浴びよう。それから冷たいビールをグイっと飲もう。……マンションに向かう足に力がこもった。

 マンションが見えた時、嫌な予感がした。出入口の日陰にスーツ姿の男性が四人、所在なげに立っている。

 近づくと、法子を認めた彼らの目つきが変わった。

「剣法子さんですね?」

 男性の中の一人が法子に声をかけた。他の者は法子を囲むように場所を変える。セールスマンや宗教の勧誘でないのは明らかだ。

「はい……」

 ヤクザ?……怪しみ身をすくめた法子に、彼らは警察手帳を提示した。正面にたった刑事のそれを読むのがやっとだった。藤堂圭介とうどうけいすけ警部補とあった。

 え? 立花さんの同僚? 彼に何かあった?……汗が一気に引いた。鼓動が激しくなったのが分かった。

「宝田鈴菜さんをご存じですね?」

「え?」

 宝田鈴菜、どうしてその名が彼らの口から出るのか分からない。

「宝田鈴菜さんです。ご存じですね?」

「亡くなった宝田社長の奥様です」

 答えると、刑事同士が目配せした。

「宝田鈴菜さんが刺されました。参考人として同行願います」

 否と言わせない物言いだった。

 いつの間にか車が二台、道路に並んでいた。法子は、二人の刑事に挟まれて、後ろの車の後部座席に乗せられた。



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