第32話
――グゥー――
アンパンとスイーツでは満たされなかった立花の腹の虫が鳴いた。それをきっかけに、二人は〝八兵衛〟に足を運んで食事を取った。レモンサワーを注文すると話も弾んだ。もちろんイニシャルトークだ。
「アッ……」息をのんだのは立花だった。「……僕、車だった」
彼は車を近所のコインパーキングに入れていた。
「泊っていくしかないわね」
法子の唇から希望がこぼれた。
「いいのかい?」
「まだ、検討しなければならないことがあります」
「仕事熱心なんだね」
「仕事ではありません」
言っちゃった!……胸がドキドキした。
「エッ……」
彼の赤い顔から笑みが消えていた。それで疑問が湧いた。
「立花さん、独身ですか?」
彼の左手を見る。その手に結婚指輪はないけれど、それをしない人もいるから当てにならない。
「エッ……。独身だけど、どうして?」
「私、不倫はしないと決めているんです」
「好きになってしまった人に、後日、奥さんがいると分かったら、どうする?」
彼が探るように訊いた。
「嫌いになります」
「都合がいいんだな」
彼はのどを鳴らして笑った。
「はい。女性はそれができます。その気になれば」
彼女もそうかもしれない。……法子は酔った頭で、鈴菜の整った顔を思い出していた。
「へえ……」彼が黙った。
いけない。彼が疑っている!……慌てて逃げ道を捜した。
「私、何言っているんだろう。飲みすぎちゃった。お手洗い、行ってきます」
彼の視線から隠れるためにトイレに入った。
席に戻ると〝故郷応援団フルフル〟の話を鈴菜に尋ねた時のことを話した。彼女は何も知らないと答えたけれど、その態度が怪しかった、と。
「〝故郷応援団フルフル〟の売買に疑惑があるとしても、それを調べるのは警察じゃなくて税務署の仕事じゃないのかい? それとも、君のような監査の仕事だ」
彼は乗り気ではなかった。
「それはそうですけど、システム・ヤマツミは利益を得た側なので」
「墓穴を掘ることになるね」
「誤っていることなら正すべきだと思うけど……」
「十三年も前の話だ」
「そうなんです。税法上は時効が成立しています」
法子はグラスを傾け、レモンサワーを飲み干した。
その夜、立花は法子の部屋に泊まった。二度目だった。
「好きだ」
彼がそうした言葉を口にするのは初めてだった。
「バディだものね」
自虐的に応じた。
「いや、愛してる」
彼はぎこちなく言った。
胸の奥から熱いものが込み上げる。涙をこらえることができなかった。
二人は抱き合い、ベッドに沈んだ。
「……あれ? あれ?」
立花の困惑に、思わずクスッと笑った。最初の時と違って余裕があった。
「立花さん、酔いすぎです」
「あ、うん……」
彼が再挑戦する。またしても彼のものはヌルッと敏感な部分を滑りぬけた。
大人だな。……失敗続きの中で思うのは鈴菜のことだった。彼女は夫だけでなく勤め先の社長とも関係している。……不潔とか羨ましいとかいったことではなく、自分とはまったく異なる未知の生物を発見した感動のようなものを覚えていた。
その時だった。わずかな痛みと快感が身体の真中を貫通した。
「フゥー……」
立花の熱い息が耳をくすぐった。
「好きだよ」
彼が照れくさそうに囁いて動き出す。快感と感激が全身を駆け巡り、頭の中が真っ白になった。
立花さんを失いたくない。……その思いが、彼をきつく抱きしめさせた。
「私、分かったことがあるの」
翌朝、帰る準備をしている彼の背中に言った。帰したくない、と思いながら。
「なに?」
彼が振り返る。それだけで嬉しさが込み上げた。
「〝愛〟は殺人の動機になるって」
「うん、そうだね」
彼が微笑んだ。
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