第30話
立花はコインパーキングから車を出すと、マンションのはす向かいにあるコンビニの駐車場に停めた。
「ここなら良く見える」
彼が指さす先にマンションのエントランスが見えた。内部は明るく、人の顔も判別できる。
「それじゃ、買い物をしてきます。立花さんは見張っていてください」
「エッ?」
驚く彼を車に残し、コンビニに入った。
張り込みにアンパンと牛乳は必需品だ。使い古されたネタだけど、そうしたものは繰り返されるほど価値が増すものだ。それこそが伝統!……そんなことを考えながらアンパンとパックの牛乳だけでなくジャムパンとクロワッサン、コンビニオリジナルのスイーツもいくつか買った。どれも美味しそうだ。普段ならこんな贅沢はしないのに、何故か、あれもこれも欲しかった。
「ずいぶん買ったんだね」
袋の中身を見た立花が目を丸くした。
「駐車場を使うのに、ただというわけにはいかないじゃないですか」
早速、アンパンを頬張った。
「これだけあったら徹夜の張り込みもできそうだな」
彼もアンパンを選んでかぶりついた。
「そんなこともあるんですか?」
「そりゃ、あるよ」
「お仕事、大変なんですね」
「楽な仕事はないよ」
「でも公務員だから、勤め先がなくなる心配はないからいいですね」
「まあね」
彼がズズズと音をさせて牛乳を飲んだ。法子は音を出さないように気を付けて飲んだ。
「クニノミヤ物産、業績が悪いんです」
「つぶれそうなのかい?」
「そこまでは分かりませんけど。宝田社長、どうしてそんな会社を手に入れようとしたのかなって」
「あくまでも、噂だから」
「火のないところに煙はたたない、です」
「まあ、そうだね」
「アッ!」
目の前の景色に驚いて声が先に出た。数メートル先に白い高級車が停まり、助手席から女性が降りたところだった。
「どうしたの?」
「あれ……」
彼の前に腕を伸ばして指さしたのはワンピース姿の宝田鈴菜だった。瑞希が話していたように着飾っていた。
「……鈴菜さんです」
彼女は、バイバイとでも言うように運転手に手を振った。四十歳を過ぎているのに、まるで少女のようにキラキラしていた。その陰で、運転手の顔は見えない。
高級車が動き出すと、鈴菜はコンビニに向かった。
「立花さんは、運転手が誰か突き止めて。私は彼女に話を訊く」
そう早口で告げ、車を降りる。
「お、おう」
背中で返事を聞いてドアを閉めた。
――ブォン――
立花の車のエンジンが唸る。彼の車が高級車を追い、他の車の波にのまれて消えた。
振り返るとガラス越しに鈴菜の姿があった。彼女は手にしたレジ用のカゴに菓子を入れた。それから冷蔵庫の前、飲み物を見繕った。
法子は出入り口の前で彼女が出てくるのを待つことにした。一人、二人、三人……。多くの人が出入りする。その度に心が緊張と弛緩を繰り返した。
彼女が出てきたのは、人数を数えるのに飽きたころだった。大きなレジ袋を下げていた。弁当やペットボトル、菓子が入っているのが分かる。
「今晩は」
声を掛けると、彼女は眼を瞬かせた。
「どちら様?」
「あ……」抑揚のない調子で訊かれて言葉を失う。葬儀の受付で会ったことなど忘れてしまったらしい。
「……システム・ヤマツミの剣法子です」
「あぁぁ……。その節はお世話になりました」
感情を帯びた声。彼女は表情を崩して頭を下げた。その表情も、頭をあげた時には消えていた。
「……先週、おこしになられたそうで……。ありがとうございます。……もしかしたら、今日も?」
彼女の顔を影が過った。
この人、勘が良い。こちらの意図を察している。……法子は彼女の顔をまっすぐ見つめた。
「はい。どうしても確認したいことがあったので。クニノミヤ物産のことです」
「クニノミヤ物産の何を、でしょう?」
彼女が小首を傾げる。
「宝田社長がクニノミヤ物産の経営権を得ようとしていたという話があるのですが、本当のことでしょうか?」
「さあ、知らないわ」
彼女は即答した。その表情に驚きや困惑の色は全くなかった。
「奥様が働かれているクニノミヤ物産でささやかれている噂なのですが、ご存じありませんか?」
「エッ……」鈴菜の視線が泳いだ。
動揺した。……法子は思った。
「……それで、クニノミヤ物産の誰かが、夫を殺したとでも言うの?」
その口調は、怒り、あるいは反発。法子には意外だった。
「いいえ、とんでもない。社長を刺殺したのは葛岡という官僚です」
「それならどうして、今更?」
「知りたいのは買収話があったのかどうかということなのですが……」
彼女の顔に感情のない人形のような美しさが戻っていた。
「子供たちが待っているので、失礼しますね」
彼女は答えず歩き出す。
「あとひとつだけ……」
法子は追った。鈴菜は足を止めない。
「……十三年前、クニノミヤ物産は、どうして〝故郷応援団ふるふる〟を安価で売却したのですか?」
背中に問うと、彼女は足を止めて振り返った。刺すような怖い眼をしていた。
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