第22話
スマホでぼんやりと見ていたのは葛岡が住む高級住宅街にある一戸建ての写真だった。そんな住宅に住めるのは財務省の官僚だからだろうか?
財務省!……その言葉に引っかかった。真子によれば、それはふるさと納税制度に反対する勢力だ。それなら〝故郷応援団ふるふる〟にも面白くないものを覚えているだろう。それが葛岡と宝田社長の接点ではないか?
真子は窓ガラスに頭を押し当てるような態勢で、まだ景色を見ていた。浜松駅のホームが後方へ流れていく。
「楯石さん、訊いても良いですか?」
「え?」
彼女が顔を向けた。額にガラスに押し付けていた赤い跡があった。思わず吹きそうになるのをこらえた。
「……あ、あのう……」
ゴクンと笑いと唾を飲む。
「なあに?」
「宝田社長を刺したのは財務官僚でした。ふるさと納税制度がらみで刺されたということはないですか?」
「エッ……」
彼女は驚いて、しばらくの間、開けた口をそのままにした。
「……ノリちゃんって、おかしな子ね」
真子が、法子をノリちゃんと呼んだのは、それが初めてだった。
「そ、そうですか?」
「だって、財務省がふるさと納税制度をなくしたいからって、私たちのようなサイトのトップを殺すと思う? 社長が代わるだけでしょ?」
「それはそうですけど……」
「財務省がふるさと納税制度をあつかう企業を追い込むなら、税務的にやるわよ」
「税務的って、どういうことですか?」
「大手メディアに対して行った手法よ。何度も何度も国税が税務調査に入るの。そうして小さなことまで難癖をつけていく」
「うわっ、そんなことされたら大変ですね。税務署だけでも面倒なのに」
これまでシステム・ヤマツミに国税局の査察が入ったことはない。経営規模が小さく税務署の管轄だからだ。しかし、上場すれば国税局の対象になるだろう。
「国税局も税務署も、やることは一緒だと思うわよ。でも、国税局の人間の方が、頭が切れるというか、見解の相違程度の抗弁で妥協してくれそうにないわね。毎年のように査察に入られたら大変よ」
「それなら、上場しない方がいいですね」
「そんなことはないわよ。上場していなくたって、国税局に目をつけられたら税務署が来るわ。下部組織みたいなものだもの」
「なるほど」
「そうやって国は、企業に言うことをきかせるのよ」
「企業はやられっぱなしということですね」
「止めてほしければ政治家に頼んだり、国の意向に従う役員をトップに据えたりすることになるのよ」
「それで政治献金やパーティーですね。経営者も大変だ」
「そんなことないわ。国の言う通りにしていればいいだけだもの。そのおかげで、政治家と徒党を組む企業はぬるま湯の中で革新力を失い、排除された中小企業はいつまでも泥水をすすることになる。結果が、今の日本経済よ」
真子はそう言って冷笑を浮かべた。
「怖いですね」
素直な驚きだった。
「私たちがやっていることだって同じようなものよ」
「エッ?」
「考えてもみなさい。監査は、コンプラは当然だけど、支店や部署の長が会社の意向に従うように指導している。逆らう者がいれば報告してその首が据え変えられる。だから責任重大なのよ。誤った報告をすれば、誰かの人生が変わってしまう。分かる?」
「はい、分かります」
葛岡の人生を変えたのは誰なのだろう?……考えながら、視線を前方の電光表示板に向けた。まもなく静岡駅を通過すると文字が流れている。
静岡駅を過ぎたら新富士駅だ。富士山は見えるかな? 東京はまだまだ先だなぁ。……通過する静岡駅の看板が矢のように流れた。
法子たちが会社に戻ったのは午後四時過ぎだった。いつものように出張費を精算し、三々五々家路についた。
法子のスマホに立花からの着信があったのは、駅の改札に入る直前だった。
「立花さん……」
表示された名前に胸の痛みを覚えた。人波をかき分け、壁際に移動した。
「もしもし、剣です」
『今、大丈夫かな?』
「はい。まだ駅なので」
『そうか……』
短い沈黙の中に彼の息遣いを感じた。
何があったの?……頭の中で問いかけた。
『……九条さんの件は、事故ということで決着した。僕は事件性を主張したけど、上を納得させられなかった』
淡々と語る立花。法子は意外に感じた。もっと悔しがると思ったのだ。
「その結論に納得しているのですか?」
『いいや、だから君と話したい。会えないかな?』
エッ、どうしてそうなるの?……疑問を覚えたけれど、嫌な気分ではなかった。
「今からですか?」
『無理なら、後日でもかまわない。でも、早い方がいいと思うんだ。記憶と証拠が鮮明なうちに』
記憶と証拠、その言葉に好奇心が掻き立てられる。
「分かりました。出張帰りなので、私の家の近くでもいいですか?」
『もちろん、僕がそっちに行くよ』
二人は、法子が住むマンションに近い居酒屋〝八兵衛〟で会う約束をした。法子は帰宅し、荷物を置いてから〝八兵衛〟を訪れた。
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