第19話

「田中支店長、田舎はどちらですか?」

 言葉を交わしながら、雇用契約書に目を通す。書式、日付、署名など、不備がないことを確認してチェックリストにレ点を入れた。

「福島、喜多方だよ」

「そうでしたか。本社で、そんなことは?」

「剣さんも知っての通り、本社は日本中からの寄せ集めだからね。田舎者と思われていたのかもしれないけれどお互い様だ。誰も口にしたりしないよ」

「そういえば〝故郷応援団ふるふる〟なんですけど……」

「ん?」

「あれは田中支店長が本社にいたころに譲り受けたのですよね?」

「ああ、当時営業だった宝田社長が話をまとめて、私が契約書を作った。私たちは同期入社でね。仕事では、よくペアを組んでいた。それが、あんなことになるとは……。悔しいよ」

「では、個人的にもお付き合いがあったのですね?」

「いや。宝田は営業、私は管理部門。深い付き合いはなかった。……しかし、あの時は驚いたよ。突然、彼が〝故郷応援団ふるふる〟を買い取ると言いだしたからね」

〝故郷応援団ふるふる〟の買い取りは、彼にとっては手柄話のようで、全く警戒の色を見せていなかった。

「どうして驚いたのですか?」

「クニノミヤ物産が宝田社長の求めに応じて、それを手放したからだよ。それが破格の値段だった」

「へー、すごい!……」大げさに驚いて見せた。「……破格って、どのくらいだったのですか?」

〝故郷応援団ふるふる〟の秘密にたどり着く!……胸が躍った。

「正確なところは覚えてないけど、五万とか七万とか、そのくらいだったんじゃないかな」

 なるほど!……〝故郷応援団ふるふる〟が資産計上されていないことに合点がいった。買い取り金額が数万円なら、費用で一括処理するのが正解だ。しかし、開発に数千万を要したシステムだ。それを安価で買い取れたことを誰も疑問に思わなかったのだろうか?

「クニノミヤ物産は、どうして〝故郷応援団ふるふる〟を手放したのですか? 運用し続けていたら成長したのは、あちらなのに? 当時〝故郷応援団ふるふる〟のシステムに何か問題でもあったのでしょうか?」

「不良品を持って帰れ、なんてことはなかったよ。運用を開始して二年、確かに今と違ってふるさと納税の利用者は少なかったが、将来性は誰もが確信していた。もっとも、税金の一部をピンハネするような仕組みだから、良く思わない人もいたけどね」

「クニノミヤ物産の綾小路社長も、そんな発想をする方だったのでしょうか?」

「それはないだろう。そんな人なら、そもそも〝故郷応援団ふるふる〟の開発を発注してくるはずがない」

「確かにそうですね」

 質問に行き詰まり、しばらく契約書のチェックに専念した。

「まあ……」話し始めたのは田中だった。「……どんな営業折衝をしたのか分からないが〝故郷応援団ふるふる〟の買い取りに成功したのは亡くなった宝田社長の功績だ。先見の明に加えて運と実力があったということだろう」

「そういえば、宝田社長の奥さんはクニノミヤ物産で働いています。それは昔からですか?」

「そうらしいな。葬儀の件で友永部長と話した時に教えられたよ。昔、綾小路社長が仲人だとは聞いていたが、宝田の奴、どうして教えてくれなかったんだ……」

 彼は故人に抗議するようにつぶやいた。

「仲人……」それは意外だった。「……田中支店長は、宝田社長の結婚式には?」

 当時の同僚なら、結婚式に参列するのが普通だろうと思った。

「ああ。宝田は、結婚式を挙げなかった。嫁さんを紹介しろと迫っても、会わせてもくれなかった。誰にも会わせようとしないので、当時は、とんでもないブスに違いないと噂になった。そのうち、どんどん出世したものだから、会わせろとは言い難くなった」

「そうでしたか……」

 どうして宝田社長は同僚に妻を合わせようとしなかったのだろう? 仲人をしたほど、宝田社長は綾小路社長と人間関係ができていた。だからといって〝故郷応援団ふるふる〟を数万円の安値で売るだろうか?……釈然としないものを覚えながら、契約書のチェックを進めた。

「奥さん、奇麗な人らしいな。友永部長に聞いたよ。日曜日なのに約束があって私は参列できなかった。仕事がなければ馳せ参じたところだが……」

 彼は会議室の窓の景色に目をやった。その先が東京なのだろうか?

 法子は、収入印紙の管理台帳を閉じた。隠された契約書がないか、それと突き合わせて確認していたのだ。他に支店長印を押す際に記録をつける捺印台帳と突き合わせる。それらの台帳に使用した記載があって、契約書が提出されていない場合、紛失や隠ぺいの可能性がある。

 支店で作成した契約書はすべてそろっていた。記載内容にも不備はなかった。もっとも、印紙を貼らず、かつ捺印台帳に記載せずに締結した契約書が隠されていたら話は別だ。

「……何か、問題はあったかな?」

 田中が探るように訊いた。

「いいえ。帳簿と契約書は一致しています。今のところ、問題はないと思います」

「今のところ、なのかい?」

 彼が苦笑した。

 契約書の確認など、それをスキャンして送ってもらえば本社でもできる。その方が出張の経費や移動時間がかからなくてすむのだけれど、AIの進化した時代、画像データなどいくらでも改ざんできてしまう。ましてシステム・ヤマツミはIT企業だ。AI技術に長けた社員も多い。それで出張といった効率の悪い方法を都留が選択した。社員が何らかの改ざんを行っている可能性を前提にしているのだ。疑われて気持ちのいい人間などいるはずがない。だから、というわけだ。

「すみません。すべての監査項目を確認し終えるまでは、断定するなと命じられていますので……」

 法子は、別のテーブルで営業社員に聞き取り調査している都留の横顔に目をやった。田中がその視線を追った。その瞳には、中途採用の監査部長に対する妬みや猜疑のような光があった。

「なるほど。監査とはそういうものなのだろうな」

 田中が、うなずいて席を立った。



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