第9話
社長室のドアをノックする。「どうぞ」と声がした。中にいたのは綾子だけで、処分品を入れる段ボール箱の組み立てをしていた。
「剣さん、ありがとうございます。自分の仕事もあるのに、手伝いを頼んでしまって申し訳ありません」
彼女は作業の手を止めて頭を下げた。
「本来なら総務部の仕事なのですが、社長交代の手続きが多くて、みんなバタバタしていて……」
彼女が苦しそうに理由を言った。
「大変ですね……」彼女のために、ため息をのみ込む。
「とりあえず手当たり次第に箱詰めしてください。私、机を整理しますので、剣さんはそっちの書棚をお願いします」
彼女は指示し、躊躇することなく机の上にあった家族四人が微笑む写真を段ボール箱に入れた。何もかも処分してほしいと鈴奈が言ったというのは噓ではないらしい。
書籍をまとめるのは簡単だった。ビジネス書や法律関係の書籍はそのままにして、小説や雑誌、マンガ本を箱に詰めた。それから、書棚の下部のキャビネットの整理に当たった。様々な商品のパンフレットが入った袋や取引先から受け取っただろう粗品、ゴルフコンペの商品のボール、懇親会時の記念写真、中身の分からない茶封筒など、そこは雑然としていた。
「使えるものは、社員に配ったらどうでしょう」
ゴルフボールを手にして提案した。
「そうね。捨てたらもったいないわね。剣さんの判断に任せます。使えそうなものは分けておいてください」
「了解です」
箱を一つ作ってゴルフボールや粗品はそっちに入れた。封筒類は商品券でも入っていないかと期待しながら開けてみた。多くは社長が営業時代に関係したプレゼン資料や見積書だった。
そうした見積書の中にクニノミヤ物産宛の〝故郷応援団ふるふる〟の見積書もあった。数年後、それを丸ごと買い取り、当時は一介の営業担当だった宝田社長の出世の足掛かりになった。見積額は二千万円を超えていたけれど、その金額に見合うだけ、ふるさと納税制度は食い込む価値があったのだ。
法子は宝田社長の輝かしい功績も焼却ごみの箱に放り込み、次の袋を手にした。出てきたのは大学の研究機関名が印刷された白い封筒だった。
取引先かな?……疑問を覚えながら、それを開けた。出てきたのは書類だった。
【検体AとB、両者が親子である確率は0・0001%】
「エッ……」声をのみ込んだ。見てはいけないものを見てしまった戸惑いを覚えた。が、好奇心が抑えられない。改めて手にしたDNA鑑定書に目を落とす。鑑定書の日付は半年ほど前だった。
両者とは、誰と誰だろう?……一方は宝田社長だと確信していた。
思い出したのは亀田の話だった。愛人に子供がいるという話だ。
それが半年前のことなのだろうか?……葬儀場で手切れ金を要求した本庄華の美しい横顔を思い出す。彼女の子供だろうか? いや、彼女は〝遺産〟ではなく手切れ金と言った。子供はいないはずだ。少なくとも、葬儀のその時までは……。
「五十嵐さん、変なことを訊いても良いですか?」
「ええ、何でしょう?」
彼女が手を止めた。その時、握っているのが避妊具の箱なので驚いた。社長はそんな物を会社に置いていたのだ。彼女の顔が、何故か本庄華の顔とだぶって見えた。
「葬儀場で騒いだ本庄さんという方、どうなったのでしょう?」
「私は何も聞いていないけど……。話題になっていないということは、無事に決着したということだと思うわ」
「そうですか。……あのう、これ……」
DNA鑑定書を差し出した。
彼女は鑑定書に視線を落とし、しばらく考え込んでいた。
「捨てましょう」
そう結論を出し、鑑定書を封筒に戻すと焼却ごみの箱に入れた。それから法子に向かって小声で言った。
「書棚の下に置いたぐらいだから、社長にとって大切なものではなかったはずです。でも、万が一ということがあるので、このことは二人だけの秘密です。いいですね?」
それまでの口調とはうって変わって、丁寧ながら拒むことを許さない命令調だった。
社長室にはクローゼットがあって、段ボール箱が積まれていた。その中身を確認して片づけるのに夕方までかかった。法子は台車にのせた焼却ごみを集積所に運んでから自分の席に戻った。
「お疲れさま。面倒をかけたね」
都留に声を掛けられたが、すぐに返事ができなかった。DNA鑑定書のことが胸に引っかかっていた。
「どうした、何かあった?」
「いいえ、何も……」
結局、綾子との約束があって何も話せなかった。
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