第7話

 キャバ嬢が手切れ金を要求した事件は、翌日には会社中に知れ渡っていた。葬儀に参列していた誰かが面白おかしく言いふらしたのに違いなかった。

「葬式、修羅場だったんだって?」

 亀田に訊かれたので当日のことは正直に話した。隠したことがあるとすれば、家族以上に嘆いていた亜里子という女性がいたことだ。

「社長、女好きだったからなぁ」

「そうみたいですね。私はさっぱり分かりませんでしたけど」

 以前と似たような話が繰り返された。

「そりゃ、女性には知られないように行動していたからさ。不倫とか浮気とか、今の時代はご法度だからな。ネットで騒がれたら社会から抹殺されちゃうだろう?」

「うちの会社、大丈夫ですか?」

 真子が眉根を寄せた。

「大丈夫だと思うよ。死者は鞭打たない。それが日本人の美徳だ」

「良かったぁ……」

 彼女がホッと胸をなでおろした。

「そんなことより、問題は明日の幹部会議だ」

「社長夫人が参加するそうなのよ」

「エッ、そうなのですか?」

 法子は、葬儀場で見たあでやかな雰囲気の鈴菜を思い出した。

「普通なら社長が持っていた株式は全て社長夫人と子供が相続するからな。社長夫人の一存で、人事は好きなようにできてしまう。まあ、理屈の上のことだけど」

「私たち、大丈夫でしょうか?」

 真子が不安げに訊いた。

「部長はどうなるか分からないけど、楯石さんの人事にまで、社長夫人が口をはさむことはないと思うよ」

「ですよね」

「楯石さんが社長の愛人だったら別だけどな」

 亀田が冗談を言って笑った。

「アッ、亀田さん、それ、セクハラです!」

 真子の声に周辺部署の社員までが亀田に視線を向けた。

「ジョ、冗談だよ」

「冗談でも許せません。監査部はそれを指摘して改善させる部署でもあるのですよ。それが自らセクハラするなんて言語道断です」

 彼女は真顔で口を尖らせた。

「ごめん、謝るよ……」

 彼は両手を合わせ、ぺこぺこ頭を下げた。

「もう……」

 彼女が赦したのか、あきらめたのか分からない。「ごめん……」再度謝った亀田に抗議することはなかった。

「……個人の人事はともかく、監査部がなくなる心配をしないといけないよ」

 セクハラ事件をうやむやにしたいのか、亀田が話題を変えた。

「エッ……?」

 真子が書類から頭を上げた。

「もし、社長の死で上場を止めようということになったら、監査部は不要な部署だということだよ。人材を生産的な部署に回そうと、幹部が判断するかもしれないだろう?」

 監査部員に限らず、社員は翌日の幹部会議のことで戦々恐々としていた。そこで新しい社長が決まる。その人選によっては、会社の運命が、同時に自分たちの未来が変わってくる。特に幹部にとって、社長が誰になるのかは影響が大きい。彼らは密かに集まって、自分たちが納得できる人物を社長にすべく談合を重ねていた。

 翌日、法子はロッカールームを出たところで綾子を見かけ、声をかけた。

「五十嵐さん、先日はありがとうございました」

「あら、剣さん。こちらこそ」

「昨日はお休みでしたね」

「ええ、代休をいただきました。社長がいないので、急ぐ仕事もないし……」

 彼女の答えに言葉がつまる。上場しなければ、監査の仕事も重要ではないということだ。

「……あのう、これから……」

「ごめんなさい。幹部会議があるので……。大株主を迎えに行くところなの」

「そうでしたか。呼び止めてごめんなさい」

「いいえ……」

 彼女は会釈し、エレベーターホールに向かった。

 すでに各部署のトップは上階にある会議室に入っていた。残った社員は昨日同様、新社長は誰になるのか、会社と自分の未来はどうなるのか、そんな話題に時間を費やしていた。

「亀田さん。社長、誰になると思います?」

 真子が彼に身体を寄せて尋ねた。昨日のセクハラ騒ぎは嘘のようだ。

「順当なのは専務だけど、専務は事務畑だからなぁ。開発系の常務か、営業系の福島執行役員あたりかな。社長夫人が、今は未亡人だけど、自分がやると言うかもしれないぞ」

「まさかぁ」

 真子が笑った。

「本人がやらなくても、自分がよく知る誰かを連れてくる可能性もある。それで幹部は、昨日中ピリピリしていたんだ。今日の幹部会は荒れるぞぉ」

「そうなんですね。都留部長が社長になる可能性は……」

「ナイ、ナイ。転職して間もないし、監査部だぞ」

「何も知らない外部の人間より良いじゃないですか?」

「それでもナイ、ナイ……」

 彼が手のひらを振った。

「どうして監査部はダメなのですか?」

 法子は訊いた。同じ会社に籍を置きながら、部署で区別されるのは不公平だと思う。評価すべきは経営能力だ。

「部長が教えてくれただろう。監査は嫌われてなんぼだ。そこの人間が他部署の支持を得られるはずがない」

「えー、そんなのひどい」

「楯石さんだって経理にいる時、監査なんて無用だと思っていただろう?」

「まぁ、そうなんですけど……」

「私も最初はそう思ったけど、今は違います。……法務部にいた時は、企業法務のことが分かれば仕事になりました。経理やシステム開発部門もそうだと思うんです。職務に関わる専門知識が大切です。でも監査は、監査をするために、全ての知識が必要です。それに、対面調査には対話の能力も必要ですし、噓を見破る力も必要です。書類を読む力、データを分析する力も必要。会社全体の仕事と人間のことを知らなければならないって分かりました。これって、社長と同じだと思うんです」

 普段、遠慮して発言しない法子が主張したので、亀田と真子がキョトンとした。


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