第6話
葬儀開始時刻が迫る。遅れてくる人もいる、という葬儀場のスタッフのアドバイスもあって、法子と綾子は受付に残った。実際、葬儀開始後にポツリポツリと参列者がやってきた。
「どうもすみません。ご心配をかけました」
声をかけてきたのは、それまでソファーで参列者を観察していた刑事だった。彼は警察手帳を提示して神宿署の
本物の刑事を見るのは初めてだった。声をかけられたときは緊張したけれど、彼の物腰の柔らかさにそれも解けた。近くで見ると目元や口元が父親に似ていて親近感さえ覚えた。
「どうでしょう。皆さんから見て、様子のおかしい弔問客はいませんでしたか?」
「そのような方はおられなかったと……」
綾子がもごもごと答え、「私も特に……」とあいまいに応じた。
彼が「どうですか?」とスタッフに言葉を向けた。
「はい。どなた様も一般的な参列者とお見受けいたしました」
彼女は事務的だった。
「そうですか……。何かありましたら、私まで連絡をいただけますか……」
彼はそう言って名刺を配った。
「あのう、事件は解決したのではないですか?」
「いやぁ、念のためです。では……」
彼はそう答えて葬儀会場に入った。
様子のおかしい弔問客かぁ。……頭を過ったのは逆井亜里子の悲痛にくれた蒼い顔だった。彼女こそ社長の愛人ではないのか?
「もう参列者は来られないと思いますので、お二人は会場にお入りください」
スタッフの言葉で法子の思索が途切れた。
綾子について読経が響く会場に入った。会場は薄暗く、祭壇の社長の遺影が映えていた。厳かな読経が社長の死を実感させた。
座席は親族の席とそれ以外の席に分かれていた。親族以外の空いた席を探す。綾子と並んで座れる空席はなく、別れて座った。途端、シクシクとむせび泣く声がした。親族でもないのに泣く人がいるのに驚いた。好奇心で泣き声の主を捜した。二つ前の席に座る女性だった。
逆井亜里子だ!……彼女と社長の関係が気になって、儀式のことはなにも頭に入らなかった。あっという間に葬儀は終わった。
慌てて受付の席に戻った。帰る弔問客に会葬の御礼品を渡す仕事が残っている。
事件が起きたのは、会葬の御礼品を渡しているときだった。
「手切れ金をいただきたいの!」
甲高い声がホールに反響した。人々でザワザワしていたロビーがシンとなり、沢山の視線が声の主に集中した。
「死んだから逃げ得だなんて、認めませんよ」
声の主は喪主、宝田鈴菜の前に直立していた。百合の花が黒いドレスをまとったような細身の女性だった。対する鈴菜は喪服を着ているのにボタンの花のように優雅だ。彼女は言いがかりをつける弔問客に驚き、呆れたようにポカンとしていた。隣に並んでいる背の高い長男は顔を赤らめ、妹は兄の腕を握り、その陰に身体を半分隠していた。彼女たちの隣に立つ社長の年老いた両親は、亡くなった息子の不始末に恐縮し、黙ってうつむいていた。
法子は彼らに同情を覚え、綾子に声をかけた。
「あれ、誰ですか?」
「
「へ……」そんなことまで知っているのか!……よどみなく返事が返ってきたので面食らった。
鈴菜のもとに友永が駆け寄り、「場をわきまえて」と、華を引き離そうとした。
「触るな、ジジイ! これは女同士の話なのよ」
華が吠え、友永がたじろいだ。
綾子がボソッと言う。
「……社長が懇意にしていた人よ」
愛人ということだろう。「過去形……?」
「社長は死んでしまったから」
なるほど、と法子は納得した。
「ちょっとしたお金で身を引いてあげると言っているの。財産の半分なんて言わないから、喜んでほしいわ」
無茶を言っているなぁ。……華の勢いに法子も呆れた。
「不倫相手が開き直っているということですね。本来なら、奥さんの方が慰謝料を請求する権利があるのに……。もしかしたら……、まさか……」
綾子が首をひねる。
「何か、心当たりでも?」
「子供がいるなら、彼女が強く出る理由になります」
「ああ、なるほど」
子供がいたら、それがまだお腹の中だとしても、本庄華には子供の分の遺産を請求する権利がある。そうしたことを綾子が知っているのは意外だった。
結局、葬儀場のスタッフとあの九条刑事が前に出て、華を奥へ連れて行った。弔問客が帰ってから改めて話し合う場を設ける、とでも告げたのだろう。
綾小路社長夫妻が鈴菜の前に立っていた。ホッとしたのか、彼女の表情は穏やかなものに変わっていた。
会場から最後に出たのは、あの亜里子だった。彼女は鈴菜を抱きしめた。まるで姉妹を慰めるように……。ところが、鈴菜は棒立ちだった。亜里子の気持ちは一方通行のようだ。それでも二人はしばらく抱き合うような状態でいた。
納得がいったのか、亜里子が鈴菜から離れた。うつむき加減に受付まで来ると引換券と会葬御礼を交換して出口へ向かった。
「今の女性ですけど、どういった方ですか?」
気になって訊かずにいられなかった。
「奥様の親しいお友達です」
冷淡な口調だった。
それぐらい見れば分かる、と言いたいのをのみ込んだ。
「ずいぶん悲しんでおられましたけど」
「十三年……。社長とは、奥様と結婚した時からの付き合いですから、様々な思いがあるのでしょう。数年前、お嬢さんを連れて社長を訪ねてこられました。瑞希お嬢さんと同じ年頃でした」
彼女が兄の隣で身をすくめている瑞希に目をやった。
社長の外の子供って、その女の子?……紳士だと思っていた社長の裏の顔を知った気がして胸が悪くなった。
友永がやって来た。
「君たちは先に帰っていいよ」
許可というより命じられた格好だった。亡くなった社長とキャバ嬢のスキャンダルを知られたくなかったのだろう。法子は綾子と共に葬儀場を後にした。
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