第5話

 宝田の家族葬は、大きな葬儀会場で執り行われた。会社からは法子のほかに総務部で社長秘書の五十嵐綾子いがらしあやこが受付の手伝いに入った。彼女は知的で物腰の柔らかい三十代の美人だ。

「休日なのに、大変でしたね」

「いいえ。五十嵐さんこそ」

 ――仕事はできるけど、女性関係はルーズなようだからな――亀田の言葉を思い出し、もしかしたら彼女は社長と関係があったのではないか、と邪推しながら首を振った。

「私は社長の秘書なので当然だけど、監査部のあなたは違うでしょ?」

「きっと、監査部は暇だと思われているんです」

 手伝いを引きうけてきた都留の顔を思い出した。中途採用の彼は肩身の狭い思いをしているのだろう。それで、こうした雑事を引き受けたのに違いない。

「二人ともすまないね」

 そう声をかけてきたのは総務部長の友永ともながだった。彼は創業当時からの社員だ。

「友永部長こそ、大変ですね」

 綾子が穏やかに返した。

「どんな連中が来るか分からないからな。もし、記者とかとか。ないとは思うけど、反社の連中などが来たら私が対応するから、その時は呼んでくれよ。控室で待機しているから」

 彼はそう言うと奥へ姿を消した。

 入れ替わりに喪主がやって来た。社長夫人、宝田鈴菜すずなだ。四十代、子供が二人いるというのに艶のある黒髪と白い肌がむきたてのゆで卵のような美女だった。大きな瞳が魅力的で、法子は魂をのみ込まれそうに感じた。

「この度は、お世話になります。至らないこともあると思いますが、よろしくお願いします」

 彼女は夫を亡くしたばかりとは思えない、強い視線と張りのある声を持っていた。それに比べたら、一緒にいる中学生の誠治せいじと小学生の瑞希みずきの様子といったら、泣きはらした目とこけた頬が哀れだった。

「この度はご愁傷さまです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 綾子の言葉にあわせて、法子も頭を下げた。その状態で、綾子の表情を窺った。もし彼女が社長と特別な関係にあったとしたら、何らかの感情の変化があるのではないか……。けれど、そんな様子は全くなかった。とても事務的だ。それで逆のことを思った。……彼女は直属の上司が亡くなったのに悲しくないのだろうか?

 鈴奈たちが去った後、率直な感想を言った。

「奥様、気丈な方ですね」

「子供がいるんだもの、めそめそしているわけにはいかないでしょう」

 まるで鈴菜をかばうように綾子が答えた。

 葬儀開始の一時間前に受付が始まる。すると、社長と社長秘書の関係を妄想する暇はなくなった。家族葬ということだったけれど、事件がメディアで報道されたこともあり参列者が多い。親族、自宅の近隣住人、経済団体関係者、学友、キャバクラのホステスやスナックのママ……。会社からも役員や幹部社員が参列した。幹部ではないけれど営業時代の親しい仲間もやってきた。こうなることを予想して大きな会場が選ばれたのだろう。

 参列者には、取引先のクニノミヤ物産の社長夫妻、綾小路あやのこうじ寿明としあき瑞穂みずほの姿もあった。六十歳前後と思われる二人は、凛とした佇まいと男女の色気を兼ね備えていた。

 政治家の秘書も数人やってきた。彼らはこうしたことに慣れているのか、故人を悼む芝居が板についていた。

「これって、いいんだっけ……?」

 政治家の名を記した香典袋を手に綾子が戸惑う。

「選挙区外の議員さんなら問題ないのではないでしょうか?」

 付け焼刃の知識で答えた。その時だ。気になる人物を見つけた。受付から見えるソファーに座っている中年男性だ。葬儀場だというのにくたびれたビジネススーツ姿で、受付を観察するように鋭い視線を向けてくる。まるでストーカーのように。

 私? 五十嵐さん?……一瞬、そんなことを考えて自分の馬鹿さ加減に気づいた。友永部長が、記者が来るかもしれないと言っていたではないか。……参列者が途絶えた隙をみて、葬儀場のスタッフに友永を呼んでもらった。

 すぐに友永が駆けつけ、怪しい男性に近づいた。

 法子は受付の仕事をしながら二人の様子を観察していた。驚いたことに、友永の方が頭をぺこぺこ下げ始めた。

 エッ、何が起きているの?……二人の様子が気になって、会葬御礼の引換券を渡し損ねそうになった。

「いやいやいや……」と、ぶつぶつ言いながら友永が戻ってくる。

「どうでした?」

「刑事だ」

「事件は解決しているのではないですか?」

 綾子が訊いた。

「まぁ、犯人は死んでいるわけだからな。念のため、ということらしい。参列者に怪しい人物がいないか、見ているそうだ。私は助かったよ。何かあればあの刑事が対応してくれるだろう」

 友永は唇の端を少し持ち上げて控室に帰った。

 電車が到着する時刻の関係でもあるのだろう。参列者は怒涛のようにやって来たかと思うと波が引くように減っていく。そして再び参列者が渋滞。法子はアワアワしながら彼らをさばいた。

「こちらにお名前を……」

 芳名帳を差し出すと「休日にすまなかったね」と頭の上から声がした。

「部長……」

 都留は使い慣れない筆ペンでぎこちなく名前を書いた。

「それじゃ、頼んだよ……」

 一言いうと、ちらっと綾子に視線を走らせてから会場内に入った。その背中を目で追っていると「この度は……」と女性の震える声がした。

「アッ、はい」

 彼女に目を向けて驚いた。その女性といったら、喪主の子供たちよりも泣きはらした目をしていて、黒い喪服から悲哀がにじみ出ていた。それまで弔問に訪れた人々の中では一番の悲しみようだ。芳名帳に記載した名前は逆井亜里子さかいありす

 サカイアリコ、ありこ? 名前が変だからといって問いかける必要はないよね?……それを知りたくて綾子に目を向けた。

「エッ……」今度は声が出るほど驚いた。彼女の瞳が亜里子を凝視していた。

「何か?」

 彼女に顔を寄せて尋ねた。

「ん、何でもない」

 その時、住所まで書き終えた亜里子が受付を離れて行ってしまった。その後ろ姿を綾子の視線が追っていた。


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