第4話

 午前十時、木藤専務が会社に戻って役員と部長職で構成する幹部会が招集された。そのころには、テレビやネットニュースで事件が報じられた。――その日の午前一時ごろ、繁華街の裏通りで葛岡龍斗くずおかりゅうとがビルから飛び降りて亡くなった。その近くで宝田の刺殺体が発見された。葛岡が宝田の財布を所持していたことから、金銭目的で殺害に及び、その後に飛び降り自殺を図ったとみられる――と。

「強盗殺人かよ。社長も運が悪かったな。そういえば社長、あの辺りのキャバクラを接待に使っていたな」

 亀田はどこかホッとした様子だった。

「キャバクラって、どんな所なんですか?」

 真子は興味津々といった様子。法子も気になったが、社長の事件と絡めて話す気持ちにはなれなかった。

「女性だってホストクラブとかあるだろう。シャンパンタワーとか押し活とか、みんな盛り上がっているじゃないか」

 会話は興味半分の世間話に突入していく。

「ホストクラブなんて、行ったことないですよ。亀田さんは行ったことあるんですよね。キャバクラ?」

「そりゃあ、……数えるほどだけどな」

「どうなんです、キャバクラ?」

 真子が身を乗り出して詰めていく。

「……まぁ、天国だな」

 彼が言いにくそうに応じた。

「昇天しちゃう?」

「おいおい、それは亡くなった社長に不敬だぞ」

「そうでした……」

 後悔したのだろう。真子が唇を結んだ。

「おかしくないですか? 殺人まで犯して財布を取ったのに、自殺なんてします?」

 法子は報道内容に違和感を覚えていた。

「それもそうね」

 真子が応じた。

「いや、犯人は財布を奪ってみたものの事の重大さに気づき、怖くなって飛び降りたのさ」

 亀田が言った。

「えー、犯人ってバカですか?」

「人を殺したんだ。当然、バカだろう」

 法子は納得できなかった。刃物を用意して強盗に及んだのなら計画的犯罪だ。後悔したところで逃亡するだけではないか?

「アッ、犯人の葛岡龍斗って、財務省の高級官僚みたいですよ!」

 ネットで情報を漁っていた真子が声をあげた。

「官僚!」

「財務官僚が……?」

 亀田と法子の声がシンクロした。

「金銭目的の強盗?」

 二人の疑問は一致していた。強盗は、官僚の犯罪から最も遠い場所にある。

 その時、幹部会から都留が戻った。

「みんな聞いてくれ」

 監査部員たちの顔が会社員のそれに戻った。

「まず事件のことだが、木藤専務が宝田社長の奥さんと警察に足を運び、社長の遺体を確認した。……警察の説明では、社長は即死状態だったそうだ。凶器は犯人が投身自殺したビルの屋上にあったそうだ。その男が犯人に間違いない。事件としては解決しているが、何らかの補充捜査があるそうだ。警察から事情聴取を受けた場合、必ず私に報告すること……」

 彼はそこで部下の顔を見まわした。

「……メディアには、くれぐれも迂闊な受け答えをしないこと。しつこく聞かれた際は総務部に問い合わせるよう答えなさい。我々は淡々と日常業務を進める」

 法子は、彼の指示に応じてうなずいた。

「犯人は財務官僚というのは、本当ですか?」

 亀田が訊いた。

「そうなのか?」

 都留が質問を返した。

「ネットでは財務省の葛岡龍斗と出ています」

「そうか。警察ではどうか知らないが、幹部会では犯人の名前も職業も出なかった。……ネットの情報は玉石混交だ。正式な発表があるまで、犯人のことは口にするな」

「社長の席は空席のままにするのですか?」

 法子は訊いた。

「とんでもない。早く社長を決めないといけないんだよ。書類の多くには社長印が押される。社長が不在では手形や小切手の発行も対外的な契約行為もできなくなる。しかし、社長を決めるのは私たちではない。役員会であり、その上にいる株主たちだ」

「株主というと……」

 株式会社システム・ヤマツミの創業者はITエンジニア三名だったが、それらの二人から、宝田が株を購入して筆頭株主になっていた。

「社長の相続人は社長夫人と二人のお子さんだそうだ。子供は二人とも未成年。法律上はともかく、実質、宝田夫人が決定権を持つだろう。夫人の意見が株主の意見であり、会社の未来を左右することになるな」

「すべて社長夫人の気持ち次第ということですね」

「社長夫人って、どんな人なのですか?」

「それが、役員たちも社長夫人とは会ったことがないそうだ。木藤専務も今日が初対面だったらしい」

「へー」

「そうなんだ」

 部員から感嘆とも疑問ともとれる声が漏れた。

 法子も驚きを覚えていた。社長は優秀な営業社員だった。仕事のためなら妻を取引先や同僚に紹介するのが自然ではないか?

「場合によっては、社長夫人が社長就任なんてこともあるということですね?」

「もちろん、その可能性はある」

「今日、専務は確認しなかったのですか?」

「木藤専務は他人の心情に無関心な人だが、さすがに社長が亡くなった当日に訊くのははばかられたのだろう。……社長の件は、まず葬儀を済ませて、ということになるだろうな。それまで、社長の代行は専務が行う。社外には広報室がコメントを出す。……家族葬を明後日に執り行うそうだ。社葬は後日、別に行う。……で、葬儀の手伝いに、剣さん、手を貸してもらえるかな? もちろん休日出勤扱いで構わない」

「あ、はい……」

 都留の強い眼差しを受け、思わずうなずいていた。明後日の日曜日は大学時代の友人と花見に行く予定だった。どうして私が? 女で一番の年少者だから?……答えは自分で出していた。その後、手伝いを断るチャンスはあったけれど、そうしなかった。上司に仕事を断って謝るより、友人に急な仕事ができたと謝る方が、気が楽だ。

「あぁ、ごめん。社長の葬式が入っちゃって」

 帰宅してから友人に予定変更の電話を入れた。

『うん、ニュース見たよ。大変そうだね』

「社長で業績が持っていたような会社だからね。上場の話もどうなることやら」

『まぁ、今回の花見はお流れということで。また、連絡するよ』

 宝田の事件はメジャーなニュースになっていて、友人はすんなり受け入れてくれた。


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