佐藤宇佳子さんのレビューを読んで、興味を持ちました。女性です。普段はBLに興味はなく、私小説も読みません。心情や気持ちよりは、台詞と行動重視のミステリやホラー小説を書きます。つまり、全く畑違いなんですが、ただ、萩尾望都のトーマやポーの一族で育った世代です。現実のゲイの男の子は、女子とはかなり違ってるのだろうなと、そのくらいの感覚で読み始めました。
文章、上手ですね。
淡々とした中に、懸命な男の子の気持ちが伝わってきて、理久君、応援したくなりました。まるで自分とは違う主人公に感情移入させられる、というのは、かなり腕のある作家さんです。思い出話の途中で、時折、現在の理久君が登場して解説してくれるので、背景がわかったり、ちょっと一息つけたりする構成も上手です。良い小説だと思います。
マイノリティに関する概説書の良いところは、多くの事例を集めて平均的なイメージをつかませてくれるところでしょうか。それを押さえることは大事なのですが、平均化されたものはすでに生身の人ではありません。平均の性質を持つ人などこの世には存在しないからです。実存するのは、その統計のもととなった、たくさんの突出した人たちです。だから、中庸を知ったうえで、その母体となる個人個人の生き方をざっくばらんに知りたいと思っていました。
なんて固い言葉で書きましたが、ぶっちゃけ、ゲイの実態をもっと知りたいと思っていたわけです。
そんなときに出会ったのが本作でした。歴野さんはこの作品を私小説のかたちで執筆されています。
何度も考えさせられました。
本作で推したいのは、ひとつに、尖がっているところを包み隠さず語ってくださっているところです。
主人公理久くんは、いわゆるゲイの若者に対する「ふつう」のイメージからかけ離れた幼少期を過ごしています。でも、それが現実です。理久くんの友達の中には数人のゲイがいますが、その中には別の方向に尖がっている人もいれば、ゲイと言われて思い浮かべるイメージに近い人もいます。つまりゲイとひとくくりにしている人たちだって、実は多様なのだということがはっきりと示されています。
さらに推したい点は、ゲイは同性愛者である前に男性であるという当たりまえのことを認識させてくれたことです。これには目からうろこが落ちたようでした。
レズビアンとゲイは同性愛者という点でひとくくりにされることが多いです。しかし、彼らの体は片や女で片や男、根本的にスタート地点が異なります。体が精神に与える影響は計り知れません。私がゲイについて目からうろこが落ちるように感じたことのほとんどが、男性について実感できていない点と重なりました。また、ゲイの事情からレズビアンの事情を推し量ること、またその逆も、大きな誤解を招く危険性があると感じさせられました。
何かを元に想像することは大事ですが、それを実際に知る機会があるのなら、現実も知っておくほうがよりいいよね、そう思わせてくれる作品です。
語り口はわずかにしっとりして、ときにユーモラス。読み手に向かって大きく開かれているのが気持ちよいです。