黒色と雪色
武
カムイ
黒は好きだ。生きている感じがする。囲炉裏の中の炭は黒くて温かい。田んぼもてらてらした黒で、僕たちのご飯を作ってくれる。泥んこ遊びで真っ黒になるのも楽しい。真っ暗な夜には、家族で集まって温かく寝れるから良い。ときどき出会う熊は怖いけど、その生命力には憧れる。
雪は嫌いだ。真っ白に何もなくなってしまう。僕たちがつくった田んぼも道も家も全部真っ白になって消えてしまう。音も無く僕たちを呑みこんでいって、世界から音を消してしまう。炭も、真っ白になるとうんともすんとも言わずに崩れちゃう。
なかでも僕が嫌なのは、雪がとてつもなく積もるようになった頃に、お父さんたちが村の用事で外に出て行ってしまうことだ。なんでも、毎年一回だけ神様が僕たちに試練を与えてくださるらしい。なぜだか切れてしまうケヤキ様のしめ縄を結び直さにゃいかんって。いつもお父さんは、すぐ帰ってくるから良い子で待ってるんだぞって、凸凹した手で頭を撫でてくれる。お母さんは熊みたいに黒くておっきいお守り人形を作ってくれた。それでも僕は寂しくて、お父さんたちの背中が見えなくなるまで玄関から見送るんだ。ついでに、意味が無いと分かってるけど、雪に文句を言ってる。
「お前なんか消えちゃえばいいのに。」
お父さんたちの姿が吹雪のせいで見えなくなった頃、お父さんたちの足跡も雪で消えてしまっていた。これを見るたびいつも、お父さんたちは無事に帰って来れるのだろうかって不安になる。やっぱり雪は嫌いだ。
・ ・ ・ ・ ・
吹雪が止んでしばらくした頃。いつもなら、お父さんたちはとっくのとうに帰ってきている夕暮れ時。僕はまだ家に1人だった。
言いつけ通り家で待ってなきゃって気持ちと、このまま夜になってしまったらどうしようって気持ちで落ち着かなくなってた。その日は、冬にしては珍しく綺麗に夕日が見えてたこともあって、刻々と夜が近づいてくるのが分かってしまった。いよいよ夕日の端っこが山のてっぺんにくっつきそうになったぐらいに、僕の決心が固まった。
お父さんが着てる大きい羽織を着て、なんだか不気味な夕日の下へ出た。1人じゃ不安だったからお守り人形も持っていこうと思ったんだけど、雪に引っかかってうまく運べなかった。しょうがないから、家の前に目印として立っといてもらうことにした。これなら、足跡辿れなくなっても戻ってこれるし、お父さんたちも家に帰ってきやすいだろうと思った。
雪の中を歩くのは想像よりもずっと大変だった。足を踏み込むと、どこまでも沈んでいってしまうのではないかと思うほどに沈み込んでしまい、一歩進むのでも一苦労だった。雪の海の中をかき分けながら、たまに後ろの人形を見て元気を貰いながら、えっさえっさと進んでいった。
ケヤキ様が近くなってきた頃、夕日はもうほとんどが山に沈んでしまっていた。かろうじて山の端から漏れる日の光も、つるべ落としが落ちるかのように弱くなっていく。随分と小さくなった後ろの人形も、いよいよ夜の闇に溶け込んで見えなくなってしまった。
おまけに雪まで降ってきてしまって、白と黒しかない世界で1人になってしまった僕は、僕が感じれる全ての不安に襲われて気が狂ってしまうかと思った。すると、
「お~い、お~い。」
と、どこからか声が聞こえてきた。誰の声なのか判別できるほど鮮明なものではなかったが、僕の不安は和らいだ。
「お~い!!お父さ~ん!?」
一筋の光に縋りつくように、腹の底から声を出した。「お~い!ここだよ~!」と、精一杯背伸びして雪の海からはばたくのかとばかりに手を振ったりもした。けれど、お父さんはこなかった。
「お~い、お~い。」
その声は、変わらずケヤキ様の方角から呼びかけてくる。たまに押し黙ったかと思えば、急に今までよりも少し大きな声になったりと、意図が分からず不気味だった。もう怖いから引き返してしまおうかと後ろを振り返ると、降り始めた雪が静かに僕の来た道を埋めていた。ずぼずぼと穴をあけるように進んできたこともあって、僕の来た道は嘘のような速度で埋まっていた。
進むのは怖いが、何の道しるべも無く悪い視界の中戻るほうが不安だった。僕は、徐々に強くなっていく雪の中、不気味な声を頼りに前へ進むことにした。
・ ・ ・ ・ ・
音が大きくなるほうへ進んでいくと、わずかに雪がおさまってきた。少し上を見上げてみると、ケヤキ様の周辺に生えている樹木たちによって雪が遮られていたのだと分かった。足元の雪を掘ってみると、ケヤキ様の鳥居近くでよく見る石畳が現れた。どうにか目的地についた安心感で大きく白い息を吐く。
いまだ謎の声が鳴り響く中、お父さんたちの痕跡がないか周囲を見渡してみた。すると、鳥居への道からわずかにずれた場所に、ぽっかりと空間をくりぬいたような黒穴が現れた。夜の闇の中でも異質な黒さを放つその地点には雪が全く積もっておらず、声の発生源もそこのようだった。
その黒の異質さに魅了されるように黒穴に近づいていくと、その黒穴の正体が目の錯覚によって池と洞穴の黒がくっついたものだと分かった。「お~い、お~い」という声も、どうやらこの洞穴と風が悪さをしたもののようだ。自分を不安にさせていた謎の理由が分かってほっと一息ついたところで、体がどっと疲れてきた。鳥居の奥のほうで、おそらくお父さんたちのものであろう松明の光が見えたから、この池の横で待つことにした。
それにしても、いくら夜だからとはいえ随分と真っ黒に染まったものだなと池を覗き込んでいると、
ボチャン!
と、何かが池に落ちたような音と共に僕の視界が真っ黒に染まった。顔面全体に冷たさが広がる。
・ ・ ・ ・ ・
真っ黒な暖かさに包まれながらゆらゆらと漂うような夢を見ていた。その夢を認識した瞬間に、ハッ、と目が覚めた。雪のようなモスモスとしたものを踏みながら後退りしつつ、濡れた目を拭う。沁みる目で何が起きたのかを確認したところ、さっきまで覗き込んでいた池に雪の塊のような白い塊が浮いてるのが見えた。どうやら落雪によって池の水が顔に跳ねてきたみたいだ。不意をつかれたせいで心臓の音がバクンバクンと体中に木霊している。
深呼吸しながら心臓の鼓動を静めていくと、僕の背後から・・・・・・洞穴とは違う方向から、
「お~い、お~い。」
と、声が聞こえた。気のせいだと無視をしたかった。
「お~い、お~い。」
けれど、その声が、降り積もる雪のようにじわりじわりとその量を増していくので無視することはできなかった。
「お~い、お~い。」
乾いてきた視界で捉えたその声の正体は振、辺り一面を覆う雪だった。
「お~い、お~い。」
雪の内側から人間の顔を押し付けたかのような凹凸が雪の表面に浮かび上がってくるたびに声は量を増していく。その雪の化け物は、ただ同じ言葉を繰り返しているだけだというのに、何かこちらに尋常ならざる怒りを向けているような気がした。
「お~い、お~い。」
雪の怪物が音もなく、シンシンとこちらに近づいてくる。思わず後退りすると、踵らへんに何かが触れた。一瞬にして生気が吸い取られるような感覚に飛び退くと、先ほど池に浮かんでいた雪が静かに這い出てきていた。
前にも後ろにも動けない状態で狂ってしまいそうな僕の目に、松明の光が移った。鳥居を出て、僕の横を通り過ぎ、雪の海の中を帰路につく松明の光が見えた。
「待って!!お父さん!!」
道からそれた場所にいたから見つけられなかった?いつ通ったの?分かんない、分かんない。
「お父さん!!僕ここだよ!!」
涙も凍るような冷気の中、白い怪物に道を阻まれた僕にはただ精一杯声を出すことしかできなかった。
「いやだ……いやだ……。誰か……誰か、助けて……!!」
もう一巻の終わりだと、目を閉じて祈るようにしゃがみ込む。怪物の声が耳元まで近づいてきた瞬間、何かが僕に覆いかぶさってきた。それは、見知った温かさの黒い塊だった。
・ ・ ・ ・ ・
「……!!……や!!……坊や!!お願い!目を開けて!!」
お母さんの声が遠くから聞こえてくるような感覚の中、僕は目を覚ました。
「あぁ!!良かった……!!」
お母さんが体を震わせながらギュッと抱きしめてくれる。抱きしめられて、自分の体がびしょびしょなことに気づいた。未だに現実を理解することができず、呆然とする。そんな僕に、お父さんが𠮟りつけるように言ってきた。
「お前ってやつはほんとに……。見つけれたからよかったものを!そうじゃなかったら池で溺れ死んでたぞ!!」
池に落ちてた……。そう、それで、そうだ。
「雪の化け物は?」
「雪の化け物……。そうか、そういうことか……。」
他の大人たちも互いの顔を見合いながら、白く染まった何かを僕の前に持ち出してきた。それは、僕がお母さんからもらったお守り人形と瓜二つの白い人形だった。
「これが、お前を守ってくれた。」
そう言って、唯一黒い部分が残っていた手の平付近の布を切り取って僕に渡してくれた。それを手にしたときに、僕は少し大人に近づいた気がした。
・ ・ ・ ・ ・
「後々聞いた話によると、あの日お父さんたちは異常な量の落雪に襲われて帰りが遅れたらしい。そして、どうにか帰路につけそうになったところで、なぜか僕のお守り人形がいるのを見つけたんだとさ。不思議に思って近づいてみると、息子が池に浮かんでるもんだから血の気が引いたって言ってたよ。その後、お守り人形は役目を終えたかのように真っ白に染まっていったんだって。」
そんな話を、目をキラキラさせながら娘が聞いている。
「お母さん!私もお人形欲しい!!」
「はいはい、今度一緒に作ろうね。」
結局、あの化け物が何だったのかも、どこからどこまでが現実だったのかもよく分かってはいないけど、こういった試練はお父さんの前の代からあったらしい。今もケヤキ様の下へ行く人たちは、何かしらの化け物に襲われたことがあるんだって。鬼に熊、女房の化け物に襲われたって言ってた人もいたっけ。でも、雪の化け物に襲われた人は僕が初めてだったらしい。
いまだに雪は怖い。ちっぽけな人間じゃ太刀打ちできないほどに大きな存在だから。けれど、それと同じぐらい大きな存在が僕を支えてくれてるということも知れた。今も僕の籠手には彼の布が使われている。
自然は時に理不尽で無慈悲なものだ。けれど、そのうえでどうするかなんだと思えるようになった。僕が愛した黒も、厳しい雪の中だからこそあんなにも愛おしく思えたのだろう。
今年もまた、ケヤキ様の下で彼が僕たちを呼んでる。
黒色と雪色 武 @idakisime
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