脳髄の巣

小狸

掌編

 頭の中に蜘蛛くもの巣が張ったような状態になる。


 そんな比喩表現を聞くことがしばしある。


 これは恐らく「頭に霞がかかって、思考がまとまらなくなる」に類似した表現であり、僕が初めてその表現を聞いた時にも、「霞」の方を先に連想した。


 ただ、今は、「蜘蛛の巣」の方が、どちらかというと適切であるように思う。


 蜘蛛の巣。


 


 僕の脳髄には、巣が、糸が張り巡らされている――そのままでも十二分に思考の邪魔なのだが、それだけではない。


 僕の頭には、蜘蛛がいる。


 思考という領域の上に大きな蜘蛛が鎮座し、電気信号を啜って生きている。


 形状はオニグモに似ているけれど、細部が異なる。禍々しい容貌をして、こちらをじっと眺めている。


 勿論もちろん、実際に脳内に蜘蛛が居たら大変なことである。これは僕の想像上の、架空の生物であることを、念頭に置いておいてほしい。

 

 蜘蛛は、こちらを襲って来るということも、思考そのものを食い破るということもない。


 ただ、脳の重要な箇所に留まって、情報の通行をはばんでいるのである。


 そこに座っているというだけの話なのである。


 しかしそのせいで、僕の思考を大幅に遅らせている。

 

 これは日常生活を送る上で、大変な迷惑な迷惑を被っている


 僕は、人よりも行動がワンテンポ遅れることが多い。


 上司から言われた指示を、飲み込む際――そう、飲み込むという行動が、人よりもやや時間を必要とするのだ。他の人々がほぼノータイムで返事をし、仕事に従事しているのに対して、僕は一呼吸、必要とするのだ。そのせいで、いつも上司に怒られている。


 頭の中の蜘蛛は、動き出す気配を見せない。最早永劫そこに鎮座し続けるのではないかと思うほどの腰の落ち着けっぷりである。既に脳細胞と脚部が癒着してしまっているのかもしれない。


 この蜘蛛を初めて見たのは、高校時代の時だった。


 何か良くも悪くも、自分は人と違うのではないか、何か自分には欠陥があるのではないか。高校生――いやさ学生ならば誰しもが、そんな思いを抱く時期というのはあるのではないか。実際はそんなことはほとんどなく、僕らは大概皆同じようにできていて、たとえ本当に人と違えども、それを支援する制度は、ある程度整っている。


 僕にもそういう時期があった。


 高校の図書館で本を読んでいた頃の話である。


 読書は、好きであった。本を一冊読了するのにはかなり時間がかかったけれど、誰にも迷惑を掛けていない。誰にも邪魔されることがない、自分だけの世界である。


 ああ、今でも覚えている。


 とある小説の中で、「頭の中を、虫がうごめいているような心地である」という文章を見た。


 虫。


 それは一体どんな心地なのだろう。


 こそばゆいのだろうか。


 むず痒いのだろうか。


 気持ちが悪いのだろうか。


 僕には、この比喩表現の意味する所が分からなかった。


 そして分からないまま、帰路に立った。


 いつも通り、読書友達と帰りながらである。友達は優しかったので、僕の会話がワンテンポ遅れることを承知した上で、話を振ってくれていた。


 そんな帰り道の中で――ふと。


 自分の頭の中はどうなっているのだろう、と、探ってみたくなったのである。


 最初はほんの好奇心だった。友達と別れて、電車に乗っている間、生まれて初めて、自分の頭の中を覗いてみた。


 直後。

 

 見なければ良かったと、僕は後悔することになった。


 


 現在ほどに蜘蛛の巣が張り巡らされているわけではなかったけれど。


 脳のあちこちの部分に、粘着する糸が、剥がすことが不可能なくらい壁にくっついて、不可思議な、幾何学でもなければ宗教的でもない、異様な模様を形成していた。


 そしてその中央となる部分に、黒点があった。


 僕は、見なければ良いのに、それを、凝視した。


 それは、蜘蛛だった。


 その時はまだ、巣を張るために時折蠢いていたけれど、禍々しさは、今と変わらなかった。


 


 蜘蛛の八つの瞳に、僕の眼球が映るのが分かった。


 深淵を覗く時、深淵もまた、こちらを覗いている。


 僕はその状況に耐えきることができなかった。

 

 次の駅ですぐ電車を降り、多目的トイレで嘔吐した。


 何だ、この状況は。


 僕の脳髄が、何ものかに、侵されている。


 今すぐ発狂して、首の辺りを搔き毟って死んでしまいたい衝動に駆られたけれど、それを何とか抑圧して、落ち着くのを待った。


 そして吐き気を抑えながら家に帰宅した。


 頭の中に蜘蛛がいる、などと両親に訴えても、信じてもらえないだろうことは容易に想像がついた。


 どうすることもできないまま、今に至る、という流れである。


 何、他愛もない大人の、つまらない想像の話である。聞き流してもらって構わない。


 ただ。


 大人になった現在もまだ僕の思考は、蜘蛛に阻まれたまま――他人より物事の反応速度が遅いままである。


 僕はまだ、あの時見てしまった蜘蛛に囚われている。


 きっと僕が死ぬ時は。


 この蜘蛛が、脳髄そのものを咀嚼そしゃくし始めた時なのだろう、と。


 何となく僕は思った。




(「脳髄の巣」――了)

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