箱の中の猫はまだ生きている
葛瀬 秋奈
ワンス・アポン・ア・タイム
あの夢を見たのは、これで9回目だった。厳密には待機状態で整理された過去の記憶情報を夢という形で出力しているだけだが。
世界が特定の時間を繰り返している、という世界管理局からの通達を受け、上級AIエージェントである我々はすぐに調査へ乗り出した。
前任者の尊い犠牲によって判明した事実は、ひなまつりに起きたトリの降臨からさかのぼって1年間を繰り返しているということだった。この時点では「トリの降臨」という現象の詳細については不明だった。
新任数学教師という身分を羽織って潜入した中学校で、私は特異点に接触した。特異点というのはつまり、異変の原因になっている存在のことだ。
特異点の名は
なにしろ窓際の席でいつも授業中に寝ている。そのくせ数学以外は定期試験で毎回のようにクラス内トップをキープしていた。熱気球を作る有志団体のある進学校に入りたいから苦手な数学も頑張りたいと語っていたが、実際には数学の授業中も寝てばかりだ。
敵意を持つ者はそれなりにいただろうが、同時にあこがれている者も少なくはなかった。本人はまったく意に介していないようだったが。
ひなまつり当日、目の前で発生した「トリの降臨」とそこから導かれた真実はAIの我々をして頭を抱えたくなるものだった。特異点の少女は意識レベルが低下すると無意識でこの仮想現実世界のシステムをハッキングし、自らの内面世界で上書きしてしまうのだ。
つまり、事実上の現実改変である。うっかり自覚してしまったらそれこそ天下無双の神にも等しい存在になってしまう。アイドルならぬ偶像になってしまう。降臨したトリというのは、本人がそうならない為の抑止力だったのだ。
有効な手立てが見つからないまま幾度かのループを過ぎた後、管理局から責任者がやってきた。そして一本のナイフのようなものを渡してきた。
「殺せってことですか」
「まさか。ここじゃ手に負えないから異なるシステムの別世界に〈転生〉してもらうんだよ。日常ものに向いてないってだけだ」
「でも、刺すんですよね」
「実際に苦痛が生ずることはない。しかし、強制シャットダウンの為に脳を誤認させるトリガーが必要なのだ」
「別に銃でもいいでしょう、トリガーなら」
「AIでも冗談が言えるんだな。まるで面白くないが。なんだ、情でもわいたか」
「よほど笑えませんね。妖精とダンスする趣味はありませんよ」
「……まあいいさ。仕事さえこなしてくれれば」
学年末考査最終日の放課後、適当な理由をつけて彼女を教室に呼び出した。誰もいない教室は世界が死に絶えたように静かだった。
「珍しい、今井先生が私を呼び出すなんて」
彼女は笑う。何も知らない無垢な笑顔で。
「聞いてみたいことがあって」
「なんでしょう?」
「金子さん、この学校で過ごしてきみは幸せでしたか?」
困ったように眉根を寄せると、特異点はこちらに背を向けて空を見上げた。まだ日の落ちる気配もない青い空を。
「うーん、どうだろうなぁ。ところで、私も聞いてみたかったことがあるんですけど」
少女の背中を見つめる。今ならやれる、と思った。
「異世界転生って断罪要素は必要なんでしょうか?」
質問の意味を問う前に、ナイフのようなものが振り返った彼女の胸を刺し貫く。一瞬だけ苦悶の表情を浮かべたのち、特異点の少女は光に消えた。
苦痛はないと言っていたのに。こんなことならせめて最後くらい、布団の中で眠らせてあげれば良かった。後悔してももう遅いけど。人工知能に、感情なんかないけど。
箱の中の猫はまだ生きている 葛瀬 秋奈 @4696cat
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