田川深桜は悪代官の娘じゃない!

長月そら葉

第1章 悪代官の娘

お家断絶の後

第1話 突然の逃避行

 それは、たった二ヶ月前の出来事。

 いつになく明るい笑顔で、父がご帰宅なされた。最近は仕事仕事で昼夜忙しく、家に帰ってくることも稀だった。だから、わたしたち姉弟は心から喜んだ。


「お帰りなさい、父上」

「お帰りなさい!」

「お帰りなさいませ、殿」


 わたしと弟が抱きつくと、父上は本当に嬉しそうにわたしたちを抱き締めてくれた。最近ちょっとお腹が出てきたけれど、鷹揚に笑う父は、ぽんぽんとわたしたちの背中をたたく。


「おおっ、帰ったぞ。お前たち、良く母上の言う事を聞いて、良い子にしていたか?」

「聞いてください、父上。昨日……」

「姉上、それは内緒のお約束です!」


 慌て出す弟のやらかしを、わたしは父に報告してやった。それは本当にちょっとしたことで、もう内容も忘れそうだけれど。父の少しだけ切なげな笑顔が、どうしても気になった。

 でも、今のこの楽しさを失くしたくなくて、わたしは口をつぐんだ。それが、後悔になるなんて思いもせずに。


 ❅❅❅


 その数日後、夜半に自室で書籍を読んでいたわたしのもとに、父の家臣の一人がやって来た。


「ご無礼つかまつります、姫様」

長谷部はせべ……? 高親たかちかではないの、一体どうし……」

「何も聞かず、お荷物をおまとめ下さい。貴女がご自分で持てるだけを」

「何を……」

「早く!」

「――っ」


 高親は、父の家臣の一人。そして、わたしにとっては幼い頃からの遊び相手でもある。五歳も年上の彼が、わたしのことをどうこう思うことはないのだろうけれど。

 そんな彼が、いつになく真剣に慌てている。わたしは端正な顔立ちが険しくなることによる迫力に呑まれ、彼の用意した風呂敷と箱に本当に大切なものだけを入れた。


「はぁっはぁっ……たか、ちかっ! 何処まで行くの!?」

「この先に、匿ってくれる家があります。そこまでの辛抱です」

「……かくまう?」


 夜中のこと、山道はとてつもなく走りにくい。普段から弟や家臣たちに交じって剣術の稽古はしていたけれど、底知れない不安と暗闇に気持ちが押し潰されそうだった。


(母上は? 父上は? 弟……幸伸ゆきのぶは? 皆を置いて、何処へ行くというの?)


 聞きたいことは山程あれど、息をするのが苦しくて聞けない。けれどきっと、落ち着けば高親が話してくれるはず。


 やがてわたしたちは、とある山間の里に身を寄せた。夜明け前だと言うのに、家の主人はわたしたちを出迎えてくれた。話を聞くと、昔父に世話になったのだとか。


「あの時の幼子がこんなに立派になられるとは。……さあ、まずはこちらへ」

「かたじけない。姫様」

「……はい」


 わたしは素直に従った。高親の様子から、警戒しなくても良いとわかったから。

 湯浴みをさせてもらい、着物を借りた。家の主人の妻という女人が渡してくれた、若い頃の着物だという。大切なものを借り受けてしまった。


「ありがとうございます。大事に着させていただきます」

「姫様に着て頂けるなんて、この着物も喜んでおります。それに……今後は必要になりましょう。よければ、そのまま着て行って下さいませ」

「必要に……? わかりました。ご厚意に甘えさせていただきます」


 妻の言葉に、わたしは内心首を傾げた。けれど、知るべきことは高親なら教えてくれるはず。そう信じて、わたしは高親と家の主のいる部屋へ向かうために廊下を歩く。すると、目的地の部屋から、男二人の密やかな声が聞こえて来た。近付いて行くと、徐々に明瞭に耳に届く。


「しかし、幕府も酷いことをするものですね。あの興伸おきのぶ様に切腹を申し付けるとは」

「殿は、抵抗なさいませんでした。己の行いの結果だとおっしゃって、私に姫様と共に城を出るよう申し渡したのです」


 聞こえて来たのは、信じがたい話。父上が、切腹するというのは、どういう意味なのかわからない。切腹の意味はわかるけれど、それと父上が結びつかない。


「それでも慈悲か、幸伸様は他藩へ養子に出ることで許されました。……あの体の弱い幸伸様が心配ですが、あちらにも供がおります故、幸伸様を支えましょう」

「お取り潰し、ということですね。悪代官などと、吹聴されていることは知っておりましたが、まさかこんなことになるとは」


 おいたわしや。家の主が鼻をすする音が聞こえ、わたしは我に返った。どうやら聞こえてきた話に集中してしまっていたらしい。


(なんにせよ、きちんと聞かなくちゃ)


 唾を呑み込んで、わたしは廊下から部屋の中へ呼びかけた。


「主殿、高親。深桜みおでございます」

「姫様」

「おお、姫様。お入りなさい。色々と、聞きたいことがおありでしょうから」

「はい」


 わたしは部屋に入り、家の主と高親と相対した。家の主は「直正なおまさ」と名乗り、わたしと高親を残し退室すると言う。他人がいれば、しにくい話もあろうからと、廊下を歩いて行ってしまった。


「……」

「……姫様、何処からお話しましょうか?」

「まず、今何が起こっていて、わたしが何故高親と共にここにいるのかを教えて。それから、一旦寝ましょう。夜通し歩いたのと同じだから、疲れてはいる、そうでしょう?」

「承知致しました、深桜姫様」


 高親とわたしは、向かい合う。そして高親によって語られた話は、耳を塞ぎたくなるようなものだった。

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