第3話

辿り着くまでには大変な苦労があった―――その一言で済めばどれだけ良いだろうか。

俺は今、バスの車内で物思いに耽る。

と、それっぽく表現してみるが実態はただの遠い目だ。

なんで俺がそんな状況になっているのか、それは周りを見れば分かるだろう。


「あの子1人?大丈夫かな?」

「ねぇ。明らかにサイズ合ってないの来てるし、警戒してるっぽいし………もしかして逃走中なのかも?」

「それは無いって言いたい所だけど、その可能性もありそうだよね」


そんな会話が俺の後ろで交わされている。

この会話を聞いて分かる通り、周囲から会話とまでは行かずとも訝しげな視線が俺に向けられていた。

無数の視線というのは恐ろしく、特に今の俺のような――秘密を抱える者にとって地獄とも言える環境だった。

いつバレるのだろうかと、そんな不安が顔を覗かせる。

なるべく挙動不審な行動は避け、堂々と乗っているつもりだったが、やはりどこかで挙動不審な行動をしていたのだろう。

思わず溜め息が漏れる。疲れていた。

早く着いて欲しい。一刻も早くこのバスから降りたいのだ。

流れる風景を眺めながら祈る。

祈り先なんて特に決めてはいなかったが、何故かあの神の姿が思い浮かぶ。

嫌みなぐらい良い笑顔を浮かべるあの神に一発拳をぶつけてやりたい。

今なら神すら殺せる気がする。


(よくもこの状況にしやがって!どれだけ俺が苦労してると思ってやがる!!)


心の鬱憤を晴らさんばかりに愚痴が溢れ出る。

その全てを虚像の神に向けるが変わらぬ表情で――もっと愉しげに笑う。

虚しく、無意味な罵倒に俺は疲れ、後どれくらいで着くのだろうかと考える。

そのタイミングで鳴るアナウンス。

バス停の名を聞いた俺はすぐにボタンを押した。

後少しで降りれる。そう安堵する俺の前に影が差す。


「ちょいちょい、そこの君。今良い?」

「は?」


思わず反応してしまう。

油断した。ここまで声を掛けられなかったから大丈夫だと思っていたが、まさかこのタイミングで声を掛けられるとは。

条件反射で顔を向けてしまうが、顔を半分覆う帽子のお陰で顔はバレていないはずだ。


「……………」

「あれぇ?声聞こえてるよ、ね?」

「……………」

「もしも~~し。聞こえてますか~~?」

「……………」

「メグどうしよう!?この子気絶してる!!救急車呼ばなきゃ!」

「やめろ!!―――――あっ」


思わず声を上げてしまった。

慌てて口を抑えるが時既に遅し。


「やっと反応したね?」


ニヤリと笑っている。

その表情は語っていた。


“獲物が引っ掛かった”


まるでネズミにでもなったようだ。

早く逃げたと思うのに、逃げ道を防がれたせいで逃げられない。

せめて顔を見られまいと両手で掴み帽子を深く被るが、しゃがみこんで覗いてこようとする。


「お姉さん心配なんだぁ。君のような子供が1人で、それも遠くに来るなんて普通はないからさ。様子もおかしかったし、何かあったんだろうなって思ったんだけど違うかな?」

「…………………違う」


問いかけて来るその声に無視を決め込もうとするが、出来なかった。

俺の目の前に110番寸前のスマホ画面が表示されたからだ。

仕方なく答えたが、俺にはこの女が悪魔に見えた。

子供相手に脅すとかヤバいだろ。

先程とは別の理由で俺は逃げ出したくなった。


「ふぅ~ん………………まっ、いっか。急に話し掛けてゴメンね?」

「えっ?」


思わぬ発言に呆けた声を漏らす。

両手を合わせて可愛らしく謝罪する姿に俺は戸惑った。

どうして、いきなり、聞かなくて良いのか。

そんな疑問の声が心の中を渦巻く。

俺のそんな姿を前に彼女はニコリと笑う。


「もっと聞いて欲しかった?」

「い、いや……そうじゃないけど………」


心を読んだかのような発言に驚き、思わず答えてしまう。


「それなら無理に聞くことはしないよ。確認だけど誘拐されたとかではないんだよね?」


その問いに俺は頷きを持って答える。

彼女はそれなら問題なしと言って、俺の前から去ろうとした。


「ほ、本当に聞かなくて良いのか?」


口から漏れ出た言葉に俺は驚く。

このまま何も言わなければ危機が去ったはずだ。

なのに、どうして、俺は声を掛けた。

自分で自分の行動が分からず困惑する。


「さっきも言ったけど、無理に聞くことはしないよ。だって、私と君は他人だもん。誰にだって他人に聞かれたくないこと、あるでしょ?」

「そうだが……そうなんだが……」


その言葉は正論で、これ以上の正解はないだろう。

だが、何故なのか。その言葉に納得しきれない自分がいた。

答えの出ない感情に俺は混乱する。


「う~ん。君が何で混乱してるのか分からないけど、あまり難しく考え過ぎない方が良いよ。人の考え方なんて千差万別なんだしさ。気楽に生きなって」

「あっ………」


彼女はそう言って俺の頭を撫でる。

暖かな手の平から感じる優しい手付きに俺は思わず声を漏らす。


この感じ、とても懐かし――


『――――前に到着しました。お降りの際は忘れ物のないようお気をつけください』


「っと、降りるんでしょ?早く行かないと」

「あ、あぁ……」


アナウンスが流れたと同時に手が離れる。

その瞬間に感じた虚無感。

声に促されて俺は立ち上がるが、どうにも足が覚束ない。

ボーッとしながら会計を済ましバスを降りる。

ふらふらと歩きながら思う。


――さっきの懐かしい感覚はなんだったのだろうかと。

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