深山剣客無念無想

まらはる

魔の住まう山

 時は寛永のころ、将軍は家光公であったか。

 戦国の世に漂っていた血風の臭いはいよいよ忘れ去られていた。

 若かりし頃、刀を振るい馬に乗り、手柄をいくつも上げた武士の類は、老境に足を踏み入れ始めている。

 海老泥段心えびでいだんしんもまた、そんなかつての武士の一人であった。

 かつての活躍ゆえに十分な禄はある。

 まだ武士そのものの地位は高く、剣の教えを乞うものもいれば、まつりごとでも要職を務め、すなわち自身求められる立場にある。

 だが、足りぬのだ。

 かつての戦場に心を置いてきてしまった者が、この江戸の幕府の下にいる。

 段心はなにより、天下無双とうたわれるほどの腕っぷしであった。

 剣術を極めたとさえ言われ、一対一の戦いでも、騎馬での合戦の中でも、同じように無敵を誇った。

 ゆえに、足りぬのだ。

 太平の世では、その腕前が正しく振るわれることはない。

 些事の争いごとや、悪漢を懲らしめたり、道場での稽古もあろうが、当然足りぬ。

 政務をこなす学もあり、そちらに力をいれることもできた。

 それでも頭の片隅には常に無双の頃がよぎるのだ。

 自らの残りの人生、もはや満たされることはないのか。

 そう考えていたとき、ふと噂を耳にした。

 ──ある深山にて、魔と逢った話を。

 それは恐ろしい物の怪か何からしく、段真も名を知る剛の者が立ち入って、恐怖のあまり帰ってきておかしくなった、と。

 これだ、と段心は思った。

 人相手に剣をふるえぬ世ならば、魔を相手に剣をふるうのはどうか。

 段心はすぐさま、その物の怪退治に手を挙げた。

「並の者では歯が立ちますまい」

「若い者では万一失っては損失」

「老人でかつ天下無双の名を一度はいただいたこの段心であれば、うってつけでありましょう」

「なに、家督はせがれに譲りました。無事帰ってきたら、隠居させていただければ」

 などとそのようなことを言い、いざその物の怪の山へと向かったのであった。


 事実、そこは魔の山であった。

 常に霧が深く、木々は鬱蒼と生い茂り、谷は入り組み、川の流れは複雑怪奇。

 戦国の世では戦場から戦場へと野山を駆けることも少なくなかった。

 少ない手持ちで自然の中を進むことは慣れている方と自信もあった。

 しかし、これほどの山は初めてだった。

「確かに、人外の者が住まうにはふさわしそうな場所、か……」

 一人ごちる。

 既に数日ほど山をさまよっていた。

 生きて動き回るだけならなんとかなるが、さてこのようなところを常の住みかとするような生き物に、果たして自分の剣術がどれほど役に立つのか。

 少し身震いした。

 文字通りの武者震い、だけでなく恐怖も混じったものであったか。

 そして苦笑する。

 まさしくそのような敵を望んでいたのだろう。

 全力でもって、斬れる敵を。

 命のやり取りを。

 そう心を改め、更に進もうとすると……霧が濃くなった。

「む?」

 一寸先も前が見えない。

 足元すら怪しい。

 こういう時は動くべきではない。

 じっと、その場にとどまる。

 霧は、ここでは完全に晴れることは無いので、薄まるまで待つ。

 ……何刻経っただろうか。

 徐々に、周りの景色が見えるようになる。

「ようやくか」

 足を一歩踏み出す。

 しかし、なにかがおかしい。

 やけに地面が硬く、平らである。

 山の中、不安定な土の上ではない。

 すわ何事かと落ち着いて周囲を見渡す。

 霧が晴れている。

 夜のような闇。

 いや、しかし妙な色の明かりがそこかしこに見られる。

 人もいつの間にか大勢いる。

 魔の者による幻惑か?

「おっ、変な渋い格好してるねェ爺さん!飲んでるゥ!?」

「な、なに?」

 戸惑っているとすぐ近くにいた者に話しかけられた。

 格好についてはそちらの方が妙だろう。

 何とも形容しがたいが、折り目も少なく薄手でかといって上質そうな布で作られた動きやすそうな服の男性であった。

「こ、ここはどこだ……」

「お、酔ってる? ダンスクラブだよダンスクラブ。ほら、あそこで踊ってるやつら居るだろ? どっちが上手いか対決してるの、ダンスバトルしてんの」

「だんす、ばとる……踊りの対決?」

 そう言われて少し離れたところを見やれば、そこだけ人だかりのない開けた場所があり、二人の人間が踊っていた。

 いや、踊りと言って良いのか。

 珍妙かつ高速に、回転したり、頭部を激しく揺らしたりと、おおよそ段心の見てきた踊り……舞の類とは似ても似つかぬものであった。合わせて流れる音楽も、心臓の音より速く刻まれる。

 そしてそれらを酒を飲みながら大声で騒ぎ煽る者たち。

(やはり、ここは魔の山の中……どこか魔物たちの集う洞窟にでも迷い込んだか!?)

 周りの者らは人に見えるが髪も服も装飾も化粧も見慣れぬ。

 幻惑ではなく、化け物の住処かなにかと思ったほうが早そうだ。

「爺さん大丈夫? 水飲む?」

「あ、いや、すまぬ……大丈夫だ」

 若い魔物はどうやら段心をあくまで珍妙な格好をした仲間、と思ったらしい。

 親切な態度である。

(どうしたものか……)

 すべてまとめて斬ってしまうか?

 だが踊りと言いながらあのような動きができる生き物、まとめて相手にするのは難しいだろう。

 居合のように手首を早く動かすことはできよう。

 戦場の端から端まで一息に駆けることもできよう。

 壁のような崖を跳びはねて上り下りもまぁできよう。

 されど、あの珍妙にして拘束の動きを自分もできるか、というと、そのが無い。

 腕をあのように振り回すか、腰をあのようにひねってくねるか、足をあのように振り上げて振り下ろし交差して踏み込むか。

 段心の修めた剣の術は、合理である。

 より速く、より斬りやすく、動かすための修練である。

 体格や流派で異なる答えを持ってはいても、それぞれが歩む一つの道である。

 だが、今見ている動きは合理から外れながらも、無駄が無いのだ。

 珍妙に思えていたが、見るほどに何かを表すための必要な動きなのだ。

 いや自身が江戸の町で見た芸事としての舞も同じではあったのかもしれない。

 だが、それをこの速度で、合戦の中飛び交う矢の速さの中で重ねるのは、初めて見たのだ。

「酔いがさめてるなら、爺さん、踊るかい?」

「ワシが、踊る……よいの、か?」

「今日は勝ち抜きのフリーバトルだからよ、負けた方が退場して、勝ったやつが残り続けるの。今のやつそろそろ終わるから、飛び入りできるぜ」

「そういう趣向か……踊りで勝敗、というとどのように決めるのだ?」

「観客の声だよ。交互に踊って、曲終わったら周りに聞いて反応見るの。歓声デカいほうが勝ち。そんぐらいの気楽な奴よ、オウケイ?」

「応敬」

 魔物ら独自の言葉だろうが、返答の一種と判断した。

 分からぬ言葉がいくらか挟まっていたが、なんとなく察した。

 踊り、というが型にはまっているものではないようだ。

 ある程度の動きはいくつか共通しているが、流れている音に合わせて踊るならばどのようでもよい、と。

「やる……か!」

「お、良いねぇ! じゃあ近くまで行こうぜ」

 いつの間にか、心に知らぬ火がついていた。

 発想のない動き。

 されど、自分にできないことはないはずだ。

 音を聞き、呼吸を合わせて、全身を動かす。

 歓声が上がり、一仕合終わったらしい

「さぁ、次の挑戦者は……おっと、ご老人だ!サムライ風の格好で、どんな踊りを見せてくれるのか!!」

「任せよ」

 相手は体格良く、武芸も知らぬならず者、と言った風体だったが先ほどの機敏な動きは見ている。この「踊り」に関して相当な修練を積んだ相手だろう。

 だが、負けるつもりはない。

 音楽が流れ始める。

 拍子に合わせて手足をふるう。

 生まれた土地の盆踊りの動きを基礎に、いつか見た芸者の踊り、そして武術の動きを組み合わせつつ、更に先ほどまで見ていた魔物たちの踊りの動きも取り込む。

「あ、あの爺さんの動き、なんだ……!?」

 それは、観客たちの目にも珍妙に映った。

 ゆったりとして流れるような動きだが、けっして拍子に遅れてはいない。

 手先は鋭く、腰や首は安定して回ってしなり、踏み込みは硬いが重くない。

 それは、誰も見たことない、しかし人々の目を奪う動きだった。

(どうやら、ワシも捨てたものではない、か……!)

 音楽はより激しくなり、観客の声も湧く。

 しかし、

(体が、ついていかぬ……!?)

 年齢、山歩きでの消耗、そして慣れぬ動き。

 純粋な限界であった。

 動きがぎこちなくなり、足元がふらついた。

「なっ!」

 倒れこむ。

 これまでか。

 無理な姿勢。

 骨の一つでも折れるか。

 だがそうはならなかった。

「爺さん、ナイスダンシン!」

「お主、ワシの名を知って……?」

 さきほど案内してくれた魔物が、自分を支えてくれていたのだ。

「あ、なんで?」

「今、段心と……」

「あ、爺さんダンシンって名前なんだ。すっげ。でも今のはダンシングって普通に踊りの意味だから。ちょっとカッコつけてダンシンって言っただけ」

「な、なるほど……」

「それより、周り!」

 言われて支えられながら観客たちを見た。

 熱気は、最高潮であった。

 相手も、拍手をしている。

「ワシは、失敗したはずだが、最後まで踊り損ねたが……」

「ああ、そいつは残念だったけど、見たことない踊りだった。最高だったんだよ。だからナイスダンシン! みんなそう思ってるってことだよ」

 歓声。

 拍手。

 それらを段心は浴びたことが無かった。

 いや昔、今踊って思い出した記憶がある。

 それこそ盆踊り……村祭りで踊ったときか。

「こういうのも、悪くない、か……」

 ふっ、と力が抜けた。

 武の道に生きた自分だと思っていた。

 戦うことこそ、生きがいで、それでしか満たされぬ、と。

 だが埒外の踊りを通じて、それだけではないのかもしれないと、気づかされた。

「なぁ、またここに来てくれないか? 爺さんの踊り見てぇよ!!」

「そうだな……それは──」

 この深山幽谷の魔峡。

 また来れるなら、来たいと思った。

 だが、そう伝えようと思ったら、霧が出てきた。

「な、爺さん、体が透けて──」

 声が遠い。

 自分の声も、出しても響かない。

 妙な感覚だ。

 だが、この感覚は覚えがある。

 まるで夢から覚めるような……。

「ッハ!?」

「貴方、大丈夫ですか? 仕事の最中に倒れられたのですよ、覚えてます?」

「ここは……」

 布団の上。自分の屋敷の一室。

 隣にいたのは、妻だった。

 どうやら倒れた自分を介抱してくれていたらしい。

「帰ってきた……いや、夢、だった?」

「随分うなされてましたけど、どんな夢を見たのですか?」

「恐ろしいような、不思議な……ああそうだ、物の怪の住む山は、どうなった?」

「物の怪……はて、そんな話聞いてませんが」

 段心の聞くところ、そもそもそんな話はなかったらしい。

 家督を継がせた、という話も初耳だという。

 先に山に入って人事不省となった剛の者の名を言ったが、ピンピンしているらしい。

 どうやらかなりの日数分、現実のような夢を見ていた、ということか。

 段心は混乱しながらも、もう一日休養したのち、仕事へと戻った。

「ワシはいったい何を見ていたのか……」

 アレを布団の上で、身動き一つ取らずに見た夢と、それで終わらせるのは納得がいかない。

 あの聞きなれなかった音楽と、見慣れない踊り。

 それは段心の心をとらえて離さなかった。

「やってみるか……」

 一人、屋敷で踊る。

 一つ一つ思い出しながら、踊る。

 あの速い音は、焼き付いていた。

 海老泥段心は気づいていなかった。

 すでに、自分の心は戦国に無くなっていた。

 はるかな未来で踊っていた。

 

 海老泥段心はのちに、その名を流派とする芸踊りの開祖となる。

 独特和風の踊りでありながら、非常に速い拍子で時代を数百年先取りしたとされている。

 かつての天下無双の武者が、太平の世で新たに自ら作った道で成功した例として、のちの世にも伝わったのである。

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