第7話「母へ贈る手紙」
夜のアパートに、静かなすすり泣きが響いた。
「母さんに、ちゃんとお礼を言えなかったんです……」
薄暗い部屋の片隅に、制服姿の少年が佇んでいた。結城翔——その名前を聞いて、真琴は記憶を辿った。数年前、この街で事故に遭い、帰らぬ人となった高校生だ。
「いつもお弁当を作ってくれて、夜遅く帰っても起きて待っててくれたのに……」
翔の声は震えていた。彼の言葉に込められた後悔と寂しさが、真琴の胸に深く突き刺さる。
「母さんは、俺が突然いなくなって、きっと寂しい思いをしてる。でも……俺はもう何もできない。せめて、ありがとうって伝えたかった……」
翔はぎゅっと拳を握りしめ、苦しげに俯いた。その姿を見つめながら、真琴はふと自分の幼い頃を思い出した。忙しさにかまけて、母に「ありがとう」と言えなかった日々。あの時、もっと素直に伝えていれば——。
「じゃあ、手紙を書きましょう。あなたの言葉を、私が届けます」
「手紙……?」翔が驚いたように顔を上げる。
「うん。あなたが伝えたい気持ちを、私が便箋にしたためる。母親の元に届けば、きっと心に響くはずです」
しばらくの沈黙の後、翔は静かに頷いた。その瞳には、わずかに希望の光が宿っていた。
翌日、真琴は翔と向き合いながら、彼の言葉を紙に綴った。
『母さんへ
突然いなくなって、ごめん。
母さんのお弁当、大好きだったよ。毎朝早起きして作ってくれたこと、ちゃんと分かってた。
夜、遅く帰ったときに聞く「おかえり」が嬉しかった。
本当は、もっと母さんに甘えたかった。ありがとう。
翔』
翔は手紙を見つめ、涙をこぼした。
「……これなら、伝わる気がする」
真琴は優しく微笑んだ。
「きっと、お母さんも喜んでくれますよ」
翔は感謝の気持ちを込めて、深く頭を下げた。
数日後——。
真琴はアパートの前を通りかかった。ふと、玄関先に座り込む女性の姿が目に入る。彼女は震える手で一通の手紙を握りしめ、肩を震わせていた。
「翔……っ……」
かすれた声が、夜の空気に溶けて消えていく。頬を伝う涙が、手紙の紙面に静かに落ちた。
遠く、微かな気配を感じた。
振り向くと、そこに翔がいた。穏やかな微笑みを浮かべながら、母を見つめている。
「これで……やっと言えました。ありがとう、母さん」
そう呟くと、翔の姿はふわりと淡い光に包まれ、静かに消えていった。
真琴はそっと手を合わせた。
——言葉は、届く。
夜風が優しく吹き抜ける中、彼の想いは確かに母親の胸に刻まれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます