ティーポットのささやき:スコーン付き 雑学を添えて
Algo Lighter アルゴライター
第1話 ダージリンの春風
東京の片隅にある、小さな紅茶専門店「リーフ&カップ」。扉を開けると、心地よい紅茶の香りが鼻をくすぐる。窓辺には春の日差しが差し込み、棚には世界中の茶葉が整然と並んでいた。カウンターに立つ店主の浅井直人は、手にした茶缶を開けて深く息を吸い込んだ。
「やっぱり、この香りは特別だな。」
呟いた言葉は、最近の沈んだ気持ちを少しだけ和らげた。
直人は27歳。大学時代からの夢だった紅茶専門店を3年前に開いたが、最近は客足が減り、自分のやり方に自信を失いつつあった。「紅茶はただの飲み物じゃない」という思いを伝えたいのに、その情熱が空回りしている気がしてならなかった。
その日、店を訪れたのは若い女性だった。軽く肩についた髪に、どこか疲れた表情を浮かべている。
「いらっしゃいませ。何かおすすめはありますか?」
彼女が尋ねる声には、迷いや疲労が滲んでいた。
直人は少し考えた後、カウンターに並ぶ茶缶の一つを取り出した。
「今日は『ダージリン ファーストフラッシュ』を試してみませんか?紅茶の中でも特別な香りを楽しめますよ。」
「ダージリン……ですか?」
「はい。春に収穫された最初の茶葉だけで作られる、いわば紅茶のシャンパンです。」
彼女が頷くのを見て、直人は手際よくティーポットを準備した。茶葉を湯に注ぐと、店内に青々とした花のような香りが広がる。
彼女が一口含むと、目を丸くした。
「すごい……こんなに香りが豊かな紅茶、初めて飲みました。」
「でしょう?ダージリンの中でも、特にこのファーストフラッシュは特別なんです。」
直人は嬉しそうに話し始めた。
「ダージリンはインドの北東、ヒマラヤ山脈の麓で作られる紅茶です。その中でも、このファーストフラッシュは春に摘まれる一番茶だけで作られます。新芽の繊細な風味と香りが特徴なんですよ。」
「春だからこその味……なんですね。」
彼女はカップを見つめながら、小さく呟いた。
「紅茶を飲んでいると、何かを始めるきっかけになる気がしますね。」
直人はその言葉にハッとした。彼女の言葉は、閉じかけていた自分の心にそっと風を送ったようだった。
翌日、彼女は再び店を訪れた。今度は少しだけ晴れやかな表情だった。
「昨日の紅茶、本当に素敵でした。私、少しだけ新しいことに挑戦してみようかなって思ったんです。」
「新しいこと?」
「はい。仕事で提案するのをためらっていた企画があって。でも、この香りに背中を押された気がします。」
直人は微笑みながら、彼女に再びダージリンを淹れた。
「春風のように軽やかで、力強い紅茶ですからね。きっといい結果になりますよ。」
その後、彼女の提案は採用され、彼女は再び店を訪れるようになった。店のことを同僚や友人に話してくれる彼女のおかげで、少しずつ「リーフ&カップ」に新しい客が増え始めた。
「紅茶はただの飲み物じゃない」――直人の思いが少しずつ広がっていくようだった。
エピローグ
季節が巡り、再び春がやってきた。「リーフ&カップ」のカウンターには、今年のファーストフラッシュが並んでいる。直人はカップに注がれるダージリンの澄んだ色を見つめながら、心の中で静かに誓った。
「また新しい春を、この紅茶と一緒に迎えよう。」
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